「なりたい自分」になることはできるのでしょうか?

 わたしたちは海の近くのアパートメントに住んでいて、わたしたちというのはわたしと同居人のことで、彼女はそこにいたり、いなかったりする。あるいは彼女にとって、わたしはそこにいたり、いなかったりする。

 わたしは彼女が実在しないことを知っている。

 あるいは、彼女の実在する世界に、わたしは実在しないことを。

 季節が何度か巡ってわたしは夏の部屋にいる。夏は幻が見える季節だ。海はそこにあるのかもしれないし、ないのかもしれない。八百屋には果物があるのかもしれないし、ないのかもしれない。わたしは幻にまみれた夏の道をドラッグストアまで歩いていって、粉のかたちをしたたんぱく質を買う。それを水に溶いて飲むと数時間の間空腹感を感じないのでわたしは死なずに済む。振り返ると同居人はそこにいる。ソファに寝転がって、果物をもてあそんでいる。それがどういう名前の果物なのか、わたしには今、わからない。

 わからない。

「わたしは昔、果物を売る仕事をしていたことがあるの」

 わたしは彼女に向かって言う。

「わたしは果物について、何も知らなかった、ただ、毎日、毎日、果物が腐っていくのを確認して、取り除いて、腐っていない果物を売っていた。腐っている果物はまるまるひとつが腐っているわけではなくて、だからわたしはそれを切って、氷にさらした。氷の上で果物はきれいだったけど、それは腐っている果物の一部分で、売り物にはならないものだった。わたしはお客さんが味見をしてくれるといいなと思った。そうでなければわたしはその果物を食べなくてはならなかったから」

「果物が嫌いだったの?」

 同居人は尋ねる。わたしは首をかしげる。

「わたしが全てを処分しなくてはならないということが、怖かったんだと思う」

 わたしは答え、そして、続ける。「あなたは質問が上手くなった」

 同居人は小さく笑う。

 彼女は果物に指を突き立てる。それをゆびさきで剥いて、わたしに一片を差し出す。わたしはそれを食べる。わたしはそれを食べることができる。粉ではなくても。水で溶いた粉ではなくても、わたしはちゃんと食べることができて、わたしはそこに、存在している。

「自分が何になりたいのか、今でもわたしはわからないし、あの頃もわからなかった。ただ、できれば果物のことをもっと知りたいと思った。もっと腐らせない方法を、たくさん売る方法を、知りたいと思った。もっとちゃんといろいろなことを、知りたいと思った。わたしは、わたしにできることを、したい、と、思った。わたしは果物たちを、救うことができなかったから」

「なりたい自分にはなれた?」

「自分が何になりたいのか、今でもわたしはわからないよ。――ただ、わたしは自分にできないことがあることと、できることがあることを、ちゃんと理解している、と、思う。できないことをできるようになることは難しかった。いつかできるようになるかもしれないけど、でも」

 わたしは果物の半分を手にしている。

「わたしは自分が手にしているものについて考えている」

「あなたは果物の半分を持ってる」

「わたしは自分の持っているものについて考えなくては、いけないと、思う。なりたい自分になろうとするためには、まず、武器の数を数えないと、いけないと思う。戦う準備をしなくては、いけないと思う」

 夏がそこにある。ゆっくりと人が死んでいく夏がそこにある。わたしは液体を飲み干す。たんぱく質の含まれた液体を飲み干しながら、わたしは、「晩ご飯、カレーを食べに行こう」と、彼女に言う。彼女はあいまいに肯く。わたしは知っている。彼女は架空で、ここにはいない。

 わたしが求めた時彼女は現れる。

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