神様になることはできましたか?
わたしには友達がいくにんかいて、そのうちの誰かであって誰でもない誰かのことを、わたしは同居人、と呼ぶのだと思う。わたしは海辺の街にいる。あるいはそうではない場所に。わたしはインターネットにいる。あるいはそうではない場所に。
架空の鹿が死んだ話をしよう。
わたしのことを知らない誰かが、わたしのことを特別な人間だと呼んだ。その人はわたしを知らなかったし、わたしもその人を知らなかった。わたしはその人にとって、架空の鹿だった。わたしは実在しない、まったく実在しない、架空の存在だった。そしてそれはわたしの望んだことでもあった。わたしは架空の存在になりたかった。実体を持たない存在に。
「近頃また、わたしのことをみんなが、鹿と呼ぶよ」
わたしは言う。わたしの友達の誰でもなく、そして誰でもあるような、同居人が、「そう」と答える。
「それは実在する鹿のように思えるよ。というより、鹿ではなくて、ただ単にそう呼ばれている人間のように思えるよ。わたしはそう思えるようになったことを、とても良いことだと思う」
「そう。そうだね」
「わたしはね」
わたしはベランダごしに、お祭りを見ている。にぎやかな音を聴いている。わたしは真夏のぬるい風のなかに、架空の潮騒を感じる。ここは海辺の街ではない。それは架空だ。ここはどこでもないどこかで、それは架空だ。わたしの目の前には神社があって、でもそれは架空ではなくて、架空ではない人間たちが踊りを踊っていて、わたしがそれを観ているのは、ほんとうのことなのだった。わたしがここにいるのは、ほんとうのことなのだった。
「わたしを神様にしたがる人たちのことが、嫌いだったと思う」
「……あのね」
わたしの友達は言う。
「わたしも、そうだよ、嫌いだった」
「でも、質問に答え続けるのは、神様でいるようなことで、それは、特別なことじゃないんだと思うよ。多分。多分ね。それはたぶん、システムになるってことなんだと思う。そうしてそれが、働くってことなんじゃないかと、わたしは、思う」
「システム」
「わたしはそこでは感情がない。でも、それでいいんだよ」
「本当に?」
「わたしはその架空を生き延びて、帰ってくる」
「どこに?」
「あなたのところに」
わたしは友達の名を呼ぶ。わたしは友達と呼ばれる誰かの名を呼ぶ。わたしは誰かの名を呼ぶ。わたしは実在の名を呼ぶ。わたしは実在する。「鹿さん」同居人は言う。そこにいつまでもいつでも必ず存在する、彼女はわたしの同居人で、わたしの知るあらゆるわたしの実在を知る誰かたちすべてだ。
「帰ってきたの? 鹿さん」
「そうだよ」
わたしは応える。「そうだよ、そうだな」
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