裏庭とは何ですか?
梨が食べたいと同居人が言うので、神社を抜けて八百屋に行く。八百屋は神社を挟んでマンションの向かい側にあり、コンビニエンスストアに行くよりよほど近いので、わたしたちはコンビニスイーツやアイスを買うくらいの感覚で、頻繁に果物を買う。
この文章を書いたとき、まだ秋だった。梨のシーズンだった。梨はさほど安くはないので、それは若干手痛い出費だ(なにしろわたしたちはとてもとても貧乏だ)。でも同居人は小鳥くらいしかものを食べないので、どうせこの豊水もひとつまるまる食べることができないことをわたしは知っている。わたしにはいろいろと知っていることがある(もちろん知らないこともたくさんある)。
広い幹線道路をスピードを上げて走っていく車は、ビルと車屋とガソリンスタンドと量販店が並んだ殺風景な道に、唐突に巨大な木を目にすることになる。それが神社で、わたしのマンションはその前にある。詳細を述べるのが憚られる理由によってこのマンションは新築であるにも関わらず恐ろしく家賃が安く、貧乏なわたしたちには詳細などどうでもよくて全くすばらしい部屋だというほかにない。窓の外には巨大な木があり、十五分歩くと海があり、肉屋と八百屋とドラッグストアとパン屋がある。わたしたちはどちらも幼い子供ではなくまたその親でもないので子供のためだけに用意された遊園地に入ることができないが、子供たちのこころから愉しそうな声を遠く聞くこともできる。
わたしは梨と白菜と韮と生姜を手に神社を通り抜ける。巨大な木を見上げ、通り抜けるついでに神様に柏手を打つ(打つ間はもちろん梨と白菜と韮と生姜は足元に置かれている)。それからふと思いつく。
「ねえ、わたしは、インターネットで自分のいる場所を、裏庭、って呼んでいるの、そろそろ八年くらいになる」
「そろそろ一緒だね」
「なに?」
同居人はソファに転がって足の爪を塗っていた(もう秋なのに彼女はサンダルばかり履いている)。わたしのほうは見ないで爪ばかりを見ながら、彼女は答えた。
「おとうさんが死んで十九歳になるまで」
「ああ、そうだね、そうだね、すごいね、八年は長い」
「裏庭」
「そう、裏庭。神社の木を見ていたら思い出したの」同居人は神社の木を見上げた。あけ放った窓の向こうで木が揺れている。
「わたしはインターネットで自分のいる場所を、裏庭、って、呼んでいる。梨木香歩という作家が、そういうタイトルの小説を書いているの。読んだことはある?」
「ううん」
「わたしは、裏庭のある家に住んだことは、一度もない」
「うん」
「ここにもないしね」
「マンションだもん」
「だからわたしにとって裏庭っていうのは、心のなかにある場所。小説にもそういうふうに出てくる。ムーミンは知ってる?」
「知ってる」
「ムーミンにも出てくる。裏庭という名前ではなかったかもしれないけれど、あそこにいるひとたち――ひとではないけれどだれかに似ているだれかたちは、家を離れて森の中へ行く。はっきりと裏庭に行くという趣旨の文章を大人向けの小説で書いていることもある。赤毛のアンを書いたモンゴメリも、裏庭に類する場所へ逃げてゆく少女をよく描く。そこにはきれいなものがあって、静かで、何を考えてもいいし、何を言ってもいい。王様の耳はロバの耳だって叫んだあの床屋が行った場所も、広い意味で、裏庭だと思うよ」
ふうん、と同居人は言う。わたしが机の上に取り出す、買い物袋の中身を、彼女は目で追っている。梨、と彼女は言う。梨、とわたしは答える。これは彼女への愛情を示すもので、つまりメタファだ。裏庭もそうだ。つまりメタファだ。わたしはメタファが好きだ。伝わるか伝わらないかわからないかたちで示されつづける愛が好きだ。前提として、愛していると伝えたうえで、それでも伝えきれない愛はメタファの形でばらまいてゆくしかない。
「裏庭はどこにでもあるわけじゃない。でも誰にでもあるべきなんだ」
「神社があるみたいに」
「そう。別にみんな神様を本気で信じてるわけじゃないと思う。信じてる人ももちろんいる。でもたいていの人はそうじゃない。ただそこでは自由な感情が許される。神様には何でもお願いしていい。それがかなわないとしても。神様には何でも言っていい。それが誰にも聞こえないとしても。むしろ誰にも聞こえないことにこそ価値があるかもしれない。ただ許されているというそれだけの価値があればそれでいいのかもしれない。裏庭はそのためにある」
唐突に、ぱちん、と電気が消えて、唐突に、ぱちん、と電気がつく。同居人がわたしに、パーカーを差し出している。奈良土産の、鹿の角がついた、お気に入りのパーカーだ。梨はそこに転がっている、ラフランス、豊水はもう売っていない、二十世紀梨も。部屋がひどく寒い。わたしは同居人にカウチンセーターを差し出す。鹿が二匹織り込まれている。
時間軸はリアルタイムになっている。氷点下の部屋でわたしたちは向き合っている。秋から冬にかけてたくさんの悲しい出来事が起こった。そうしてわたしはひとつの暴力的行為を行った。わたしたちは梨を前にして、わたしの罪に向き合っている。
「わたしは裏庭を焼いてしまった」
彼女の足の爪はいまでもきれいに塗られている。こんなに寒いのに。
「裏庭は心の中にあるんでしょう」
彼女は答える。
「だから、今夜」
ここから先は
¥ 200
気に入っていただけたらサポートいただけるとうれしいです。