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入国拒否、強制送還。〜3ヵ月間のアメリカ滞在計画が25時間で終了した話〜


今回は、先日あった大学生活最大の事件をシェア。
いつもは変な前置きから入るが、このnoteは長くなりそうだから割愛。

前回のnoteを読んでくれた方はご存知の通り、7/30から85日間アメリカに行く予定だった。
そう、本当なら今ごろモンタナ州のホステルで世界中から集まった仲間とバドワイザー片手にワッサーなんて言ってグータッチしてるはずだった!
それがなぜ今自分の部屋でキーボードを叩くことになってしまったのか…


〈終わりの始まり〉

7月30日午前9:30、直行便で10時間かけてサンフランシスコ国際空港に到着。
85日間の大冒険が始まろうとしていた。
アメリカに住む友人や留学経験者に相談したり、バイト先とも折り合いをつけたりしながら、ESTAを取得して3ヶ月近くかけて計画を練った渾身のひとり旅。
行きの飛行機では、隣に座っていたケニー君という9才のアメリカンボーイと仲良くなり、手始めにケニーファミリーの家族紹介が1時間に渡って行われた。
その後は一緒にゲームをしたり映画を観たりしながら過ごした。
お母さんは日本人で、時折「ずっと相手していただいてすみません…」なんて申し訳なさそうに言ってくれたが、飛行機に乗る前は緊張していた僕からすればケニー君の隣に座れたことは幸運に感じられた。
実際半分近く聞き取れなかったが、ずっと笑顔だった彼のおかげで楽しいフライトになった。

空港に到着すると、ケニー君とお別れ。
空港はその国の匂い(日本だと醤油っぽいらしい)がするなんて言われてるが、サンフランシスコはどこか身覚えのある匂いがした。
コストコあたりで嗅いだことがあったのだろう。
WELCOME TO SAN FRANCISCO」なんてポスターを横目に入国審査に向かった。


「Next!」
呼ばれて入国審査官の元に向かう。
「Why are you here?」
この質問が、終わりの始まりになるなんて当時は思いもしなかった。


そもそも85日間のアメリカ旅はちょっと特殊な旅程になっていた。

サンフランシスコ観光: 5日

ロサンゼルス留学: ほぼ1ヶ月

ボーズマン(モンタナ州)でWorkaway: 1ヶ月半

ニューヨーク観光: 5日

Workaway を利用して、ホステルで掃除などのお手伝いをする代わりに無料で泊めてもらう予定だった。
※Workaway を詳しく知りたい人は、リンクを貼っておくので読んでみて。

これらの旅程を目の前の入国審査官に全部説明したうえに周遊フライトの予約表も渡した。
すると、遠くにいたベイマックス体型の強そうな男が呼ばれてこちらにやってきた。
審査官に「この男に着いて行って」と言われ、その男に病院の待合室の様な場所に案内された。
そこには同じように、一発で入国審査をパスできなかったであろう人たちが何人かいた。
ほぼアジア人だ、ランダムの抜き打ちで審査されていた人もいただろう、自分もその類いだと思って、オフィサーから呼ばれるのを気長に待っていた。

待っている途中、日本人ばかりが部屋に入ってくる時間帯があり、嫌がらせされてるのかと思ったこともあった。

〈ロペスとの出逢い〉

1時間ほど待ったあと、やっと呼び出された。
スペイン系の色黒で坊主、ふさふさのヒゲをこしらえたロペス感強めなロペスに呼び出された。
細かく何を聞かれたかは覚えていないが、旅程から所持金から両親の名前まできっちり説明した。

そこからまた1時間ほど待たされた後で別室に連れていかれ、尋問でもされるのかと思いきや指紋を採られた。
めちゃめちゃ採られた。
iPhone 5台分ロックかけられるんじゃないかってぐらい何度も機械に指を乗せた。

結局、空港に着いてから4時間以上経ったあと再びロペスに呼び出され
「残念だけど君はアメリカに入れない」
と言われた。
心の中の富澤が出てきた。

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ロペス曰く、ボーズマンでのWorkawayの内容が就労扱いになってしまうのでESTAではなく、J-1ビザを取得する必要があるそうだ。
賃金が発生しなくても、何かをする代わりに宿やご飯を提供してもらうのならばそれは全て労働として見なされるようだ。
当然ながら帰りたくなかったので「お金を稼ぎに行くわけじゃない。英語を話せるようになるために多くの人と交流するためにボーズマンに行くんだ。わ゛がっっっでぐれ゛よ゛ぉぉぉお゛お゛お゛」と必死に伝えても聞いてもらえない。

かなり落ち込んだ。
ターミナルのトムハンクスの気持ちめちゃめちゃわかった。
誰よりも共感できる。
そりゃあんな顔になるわな。

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それからよくわからないサインをたくさん書いて、よくわからない書類をもらった。

幸いにもロペスは人間の心を持ち合わせていたので、励ましてくれた。
「東京は外国人たくさんいるから英語の勉強のチャンスたくさんあるじゃん!」「君は犯罪をしたわけじゃないから安心して!」
いや、そういう問題じゃないんだロペス。
話題を変えようと音楽の話とかもしてくれたが、メンタルにそんな余裕はなかったので全く話が入ってこなかった。
いや、聞き取れなかっただけかもしれない。

幸いにもロペスは人を思いやることも出来たので「家族に電話するか?」と聞いてくれた。でも、その時日本時間は午前4:30だったので、寝起きの親がこんなサプライジングがニュースを聞いたら心停止を起こすだろうと察し、数時間後に電話をすることにして、一旦ロペスと別れた。

それからロペスは僕の前を通りかかる度に声をかけてくれた。

〈ロペス帰宅〉

ロペスのシフトが終わった。
早番だった。

日本に連絡するため、遅番のオフィサーに事情を説明するも、「No」ばかり。
キャンセル料かかっちゃうから宿に連絡させてくれと言っても「No」の一点張り。
ロペス帰ってきてぇぇぇええええ

入国審査の待合室では携帯の使用が禁止されている。
親や友人に連絡するためトイレに行ってwi-fiを繋いでLINEを送っていたら、5回目ぐらいでオフィサーに目をつけられてしまい、携帯を没収された。

それからは本当に暇だった。
お土産で持ってきたお菓子は食べてしまった。
時間の潰し方が睡眠以外にない。
入国拒否を告げられてから20時間ほどの時間を、寝たり、オフィサーと旅行者の会話を聞いたりして過ごした。
地獄だった。

そういえば途中、チーズバーガーやサンドウィッチを買ってくれた。
最低限の食事はくれるみたい。
ちょっと美味しかった。

〈羽田の女神〉

翌日の午前10:50発の飛行機で日本に帰ることになった。
帰りはオフィサー2人に囲まれながら、旅行客で賑わう空港を歩き、一般客が並ぶなか優先的に搭乗させられた。
めちゃめちゃ目立ってたと思う。

ゲートに向かう途中、ロペスとすれ違った。
「元気でな」的なことを言われ、グータッチした。
日本でそんなことやった記憶がないけど何故か自然と手が動いた。
あ、ケニーとゲームをクリアする度にやってたからだ。

そしてまた直行便で10時間かけて羽田に帰国。
飛行機を降りてからも特別人物扱いだったが、付き添ってくれた羽田空港のグランドスタッフのお姉さんの優しさと明るさがとんでもなく身に染みた。
他愛もない話をした後、別れ際に
「またすぐビザとってアメリカ戻ります。」
と言ったら
また戻ってきても今度は通しませんからね!」と首を傾けながら最高の笑顔で空港ジョークを飛ばしてきた。
100点の可愛さだった。
「養わせてください」って言いそうになった。


長くなったが、こんな感じで初のアメリカ旅は幕を閉じた。
この経験以来、テレビで空港警察官と怪しい旅行客のやり取りをコミカルに吹き替えしている番組を見る度に他人事じゃないなと思うようになった。

次のnoteは、もう少し真面目に、頑張ってビザを取ろうとした話でもしようかな。

最後まで読んでくれてありがとうございました!!!

quigon


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