週間報告(10/28〜11/3)
おはこんばんにちは。まあ生きている。
10/28
26日に買ったコーヒー豆(コロンビア ベジャ・ビスタ ブルボン)を20g、挽目45、温度90℃、50(蒸らし)、120、170、210、310、450(400で滴下終了)で淹れた。正直、このレシピだと未抽出という味がしたので次は挽目をより細かくしようと思う。味自体は苦み、甘みが中心で比較的香りが良く、バランスがいいと感じた。チョコレートなんかとよく合うと思う。
10/29
おきた。薄々思っていたがどうにもやはり調子が悪い。椅子に座っているのが苦痛。半日は意識が朦朧としている。全く以て現職で働ける気がしない。雨だからかもしれない。雨の日は一般的に鬱屈とした気分になる。そう考えると相対的には調子が良いのかもしれない。雨の日は最高だ。ありがとうございます。
インスタグラムに半年ぶりに写真を上げてみた。知らないうちに10枚以上上げられるようになっていた。時代の移り変わりの速さを感じた。
カウンセラリングはカウンセラーがちょっとアホすぎて使いもんにならず、あまり意味を感じないので、自分の思考を整理するために壁打ちとして使おうと思う。
多分全てに怒っており、だがそれを抑えていて疲れる。怒るべきときに怒れない。ある意味でアンガーマネジメントが必要なのだと思う。ブチ切れるラインを決めておいて、瞬間湯沸かし器となる。しかしそれもそれで面倒だなと思う。
神性≒理性、動物性≒感情と捉えており、常に中庸でありたいが出来ない。この論理は大学生の時に読んだ何かの神話において、神性とは理性そのもののことを指し、理性そのものであることを指す。そして動物性とは感情そのもののことを指し、人間は唯一動物の中で理性(神性)と感情(動物性)を併せ持った存在である、というところから来ている。前提が前提なので論理として正しいかと言われると、正しくはないのだが(アニミズムとかとガッツリさよならしてるし)、腑に落ちる部分はあったのでこの表現をよく覚えている。別に神になりたいとは思わないので、感情が不要であるとは思っていないが、感情的である人々、快不快で行動する人々を見ると、残念な気持ちにはなるので中庸であることを心掛けている。それもあって前述した怒りを表現、表出しないようにしているが、疲れるし、正しいのかもわからんのでモヤモヤしている。しかし、だからといってブチ切れまくるのもその見ると残念な気持ちになる人々に合流してしまったように感じ、プライドがそれを許さないのと、自分に迎合しているようで気に食わない。なのでやらない。以上。
病院の帰りはいつも死にたくなる。死ぬのは難しいことなのでしないが。多分、病院に通うということが自分が病人である、心身に問題を抱えているというレッテルを貼られる事だと思っているからだと思う。相変わらず薬は飲みたくないし、自分は鬱だと思っていないし、休むことは罪だと思っているし、自分という存在は社会の負債だと思っている。
10/30
おきた。人参養栄湯が増えた。クソ不味い。
1日→なんとか動ける
2日→凄く頑張れば動ける
3日→無理
といった感じ。1年前よりはマシだが半年前から良くなっているのかはわからない。ここが僕の限界なのかもしれない。非正規雇用を考えたほうがいいのかもしれない。
10/31
記載なし
11/1
記載なし
11/2
名古屋栄ミネラルマルシェに行き、サファイアを買ったのち、マロリーポークステーキ(猿投山)を食べた。充実した一日。
宝石鑑定士を取って買ったサファイアをロイヤルブルーサファイアにランクアップさせたい。
宝石、鉱物やデザインの話をするのは楽しかったので興味があるのかもしれない。自分なりに調べてみたい。
11/3
体調が悪くて一日寝ていた。blenderをダウンロードした。
GPUを使ったスクリプトを書く練習としてbirth of lifeを魔改造して対話能力を持たせ、ニューラルネットワークを獲得させた上で「こちら側」と通信する機能を持たせようとしているが何度やっても最高14世代(10000個体ほど)で気がつくことなく絶滅する。核戦争でもしてるんか?