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最近考えてることが歌になっているのを見つけ、心が少し軽くなった話


最近文字を書きたい欲があって、書いてはいるけど下書きやメモに残して終わることが多い。

ネットという大きな大きな海の隅のはじっこにいるわたしの文章なんて、って思う気持ち半分、でも見返して「書いててよかった〜!」って過去の自分に感謝する気持ち半分。

今回心を震える経験があったので、それは文字に残したいなと思い書いてみます。





最近、新しい生活がはじまりました。

留まることで慣れ親しんだ安心感と今後どうなるかわからない不明瞭な怖さを天秤にかけて、なかなか新たな一歩を踏み出す勇気が出せなかったけど、まだ見えない未来への祈りを胸に天秤を傾けてみました。


ただ、ひとつだけ決めたことがあります。


普段の自分とはちがう自分で過ごす


そう決めて過ごすようになってから少し。もちろん環境の影響も大きいと思うけど、以前よりだいぶ気が楽に過ごせています。


心穏やかで、怒りという感情がほぼなくなり、仕事とプライベートをしっかりと分けて生活ができてる。なんて素晴らしいんだろうか。


そう思う反面、どこか寂しさもあって。


人間は欲張りな生き物だと思うし、自覚もしているけど、これまでの自分ではこうなれてなかった。生きるのが不器用だったのか、ただただまっすぐ素のわたしで真正面からぶつかって行っていた。

過去のわたしは、自分に嘘をつきたくないから、おかしいと思ったことはまっすぐ「おかしい」って伝えるようにしていたし、それを口だけじゃなくてちゃんと結果を出した上で伝えようと意識してた。


それが一番大事なことだと思っていたんです。


もちろん大事なことは大事。


でも、そうすることで知らず知らずのうちに自分の負担を増やして首をしめていたり、傷つく必要のないことで傷ついたりすることも多くて、大人になってまでこんな想いをしないといけないのかって何度も絶望したり。


得るものと失うもののバランスが均等にならないことに気づいてから、やっとこのままじゃ自分がしんどいなってことに思い知らされたんです。



一度、心がバキッと折れる瞬間を味わったからこそ、「もう傷つきたくない」って強く思うようになりました。


素の自分で真正面から歩いたり、走ったりすると石に躓いて転んでしまったり、強敵に出会ったりして傷ついてしまうと立ち直るのにかなりの時間がかかってしまう。


その反面、「この場面でのわたし」を作ることで転んでしまっても、「これは真のわたしじゃないしな」って心のスイッチを切り替えることができることを知って、それがどれほど心の負担を軽くしてくれたことか。すごいなって。


そっか、「自分」というものに分厚くなくてもいいから一枚フィルターを挟むことで、こんなに見える世界が変わるんだって気づいたんです。一枚フィルターがぐしゃぐしゃになっても、替えはきくし。


そして現在。


仕事は大変だけど、対人関係に悩むこともなくなり、純粋に働くっていいなって気持ちのまま働けている。


プライベートは仕事としっかりくぎりができてるから、身体や心を休めることに集中できる環境があったり、友人と過ごすことで心の栄養補給もできてる。たのしいことをたのしいと思えるくらい充実してる。



申し分のない生活。



だけど、何か物足りなくて。


あれ?
何か忘れてない?


すっごく奥の奥で泣いてる声、聴こえない?

どうしても過去の自分をスパッと切り捨てることはできない。


いまの自分が振り返ってみて、過去の自分は子供だったのか?

いや、そうじゃないって即答する自信しかない。だって、あのときの自分を否定するなんてそんな悲しいこと、したくないじゃない。


あんなに泣いて、あんなに傷ついた自分を、未来の自分が一番の理解者として抱きしめてあげないとあんまりじゃないか。





不器用だったんだと思います。



「わたしだったらこうするのに」って相手に求めすぎてたんだと思います。



これまでみてきた同年代の世界から、新人から中堅、ベテランまで幅広い年代の方が混ざりに混ざる世界に飛び込んで、いろいろな考え方があることに戸惑ってたんだと思います。


社会にもまれて丸くなった


そう考えれば楽なのかもしれない。
だけど、あの純粋で真っ直ぐに走ってた自分をその言葉で丸めて否定したくないなって最近すごく思っていて。



過去も現在も抱えた上で、また歩いていきたいなってもやもや考えていた中、ある曲と出会いました。


正しく言えば、10年前に出会ってたんです。


その当時も「いい曲だなあ」って思ってたけど、曲の本質に触れられるほどまだ経験が浅かったから、歌詞の意味が深くはわからなくて。


でもまさに今、その曲を聴くとあまりにど直球に刺さりすぎて、下手したら立ち直れなくなるほど響くとは。涙なしには聴けないけど、ふとしたときに頭の中で曲が流れてます。



年齢も重ねていくと、社会を見る目も、社会から見られる目も大きく変わることに自覚していっている最中にいて。付き合っていく人も変わるし、考え方も見え方も変わるし。


決して悪い変化ばかりではないです。


新人のときにはできなくて悔しい想いをしたことが今はサラッとできるようになったことだってあるし。


ただ、そのスピードに自分がうまくついていけてるのかは別の話。

うまく泳げるときもあるけど、あまりに波がはやくて、日によっては溺れるときだってあります。

そのバランスが難しいなってへこむときもある。



だけど、過去も踏まえた今の自分で、また着実に一歩ずつ踏み出して行きたいなって思ったんです。


いろいろとまた新しい壁にぶつかることもあるだろうし、これまでのやり方では通用できない敵もどんどん出てくるでしょう。時代の波ははやいから、ついていけなくなることも多くなることでしょう。


その度に学んで、吸収して、考え方をアップデートして、新たなフィルターやスイッチを手にして「よし、やるか!」で進んでいけたらなって自分に期待してます。



そんな、ある種の決意表明みたいな話。


とりとめのない文章になりましたが、今の自分として残してよかったなあって未来の自分が思ってもらえることを祈って。



現在の自分を救ってくれる曲です。


ここまで文章を書いていて、もっと気楽に生きたらいいのに…!って自分でも思うけど、ここまで生きてきて結局そうなれないのが自分だって諦め半分で認めてるんですよね。


認めるまで時間がかかったけど、認めてから気は楽になった。楽になったからこそ、「楽しかったな!」って思える瞬間を増やしていきたいなって思えるようにもなって。これは良い変化。


性格的にそう思うのは毎日は無理だろうけど、意識することはできるかなって。そう思って最近生活してます。


この変化を大人になったから、ではなくて新しい一面を知れたと思えたらいいなって。



どんな想いを抱えて、この曲を作ったのか知りたくて仕方がない。

でもすべての想いはこの曲に詰まっているんだろうな。大事に、大切に聴いていきます。


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