チキン南蛮の味がした日
先日、とある節目の日を迎えました。
その節目の日を迎える前夜のお話をつらつらと書いてみます。
実は昨年、前職を退職しまして。
本当にいろいろとあった前職で特に覚えてるのが
チキン南蛮弁当
からあげ弁当
の2種類のお弁当のこと。
お弁当…?って侮ることなかれ。
意外と味覚って記憶に根強く残るものなんだなぁと今回痛感したのです。このお弁当達には胃袋に限らず、心まで大いに支えられました。
昔から馴染み親しんできたお弁当だったけど、社会人になって事あるごとに食べるようになった気がするなぁ。
時には味わいながら、時には悔し涙を流しながら、本当の意味で良いことも悪いことも、このお弁当たちが全部喉を通してくれた。
本当に大切で、大好きな存在だった。
だけど、深い思い入れが邪魔をして食べられなくなることもあるのだと学びました。
ある日を境に食べられなくなりました。
原因ははっきりとわかっているんです。
いろいろなバランスを崩してしまって。
「あ、このままいくとやばいぞ?」のボーダーラインを大幅に超えていて、それにも気づけず。いや、結果的には見てみぬふりをしていたのかな。全部のバランスを崩してしまった。
周りが全員敵のように思えて、そんな意図はないはずなのに言葉の意味を変に勘ぐって、勝手に傷ついて。もう傷つきたくないから、人と関わらないようにしたり、かと思えば寂しくなって関わりを持とうとしたり。もうめちゃくちゃ。支離滅裂。
人と話したり、仕事したり、ライブに行ったりすることが好きだったはずなのに。すべて億劫になってきた自分にショックを受けてへこんだこともありました。
思い入れというものは味覚だけじゃなくて、聴覚へもつながってたんですね。
だけど、退職を選んだその日。
急にからあげ弁当が食べたくなったんです。
特別な日しか食べてなかった特盛。
この日ほど特別な日はないと思い、身体がというよりも心が欲してたんですね。
自然と足はいつものお店に向かい、いつもより多めの特からあげ弁当を受け取っていました。
泣きながら帰ることの多かった通勤の道を歩みながら、手には久しぶりのからあげ弁当。耳には深い思い入れのある「泡と羊/back number」をお供に、マスクの下で歌いながら一歩一歩踏みしめて帰宅。
今までで一番からあげの味がしました。
いろいろなものがぐちゃぐちゃに混ざっていたので、その気持ちを言葉にするのは難しい。だけど、味わうことができたことが何よりもうれしくて、最終的に涙を流しながら完食。
からあげ弁当を食してから少し日は経って、先日。
あの経験があったからか、今回の節目ではチキン南蛮弁当が食べたい!って自然となりました。
今回のことは周りから見たらものすごく小さな一歩だと思うけど、わたしにとってそれは非常に大きな一歩でした。
踏み出すまでに時間がかかりました。
だけど、その分得られるものがたっくさんあった。
凝り固まっていたものが少しずつ溶けていくような感覚を味わったんです。
ひとつの場所でずっと頑張り続ける強さや良さがあるのもわかります。だけど、わたしにはできなかった。それを負い目に感じることもありますが、今の状況を前向きな意味で考えると、視野が一気に広がったんです。
あの席に座り続けていたんじゃ気づかなかった世界が、ここにあったんだって肌身で感じられたことが大きな衝撃でした。
新しい環境で出会えた方から「あなたの存在に救われました」と言ってもらえたことが本当にうれしかった。自信をなくしていたわたしにとって、心のお守りができたような気持ちでいっぱいになった。
自分を労うために食べたチキン南蛮弁当のあの味。
味だけじゃなくてたくさんの感情も込めていたから、この味はこの先きっと忘れないんだろうなと噛みしめながら食しました。
ちょっと休んで、
また半歩でも前に動き出します。
ごちそうさまでした。