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「ものがたりがあるものづくり」出版イベント

今回は先日行われた、
イベントの書き起こしです。

それは、
「作り手の想い」を伝える会社
「ファクトリエ」の
山田敏夫社長の著書
「ものがたりがあるものづくり」
の出版記念で行われた、トークイベントです。

ゲストに村上美香さんもいらっしゃいました。
村上さんは熊本県民テレビのアナウンサー時代
「テレビタミン」という情報番組を
担当していました。
テレビ局を退職後、起業し講演会や
イベントの司会の会社を経営されています。

1部は山田社長のトークイベント、
2部は村上さんとの対談となっております。

とても面白い内容なので、
是非読んでみてください。

「ものがたりがあるものづくり」出版イベント
1部:山田敏夫社長トークイベント
2部:山田社長×村上さん対談

会場:TSUTAYA熊本三年坂店
12月22日(土)15時~16時

1部《山田社長トークイベント》
【山田社長の原体験】
山田社長:僕が何をやってるかって言うと
     「メイドインジャパン」
     ってちっちゃく見えるかもしれ
     ないんですが、(スクリーン)
     今日皆さんの中で日本製の服
     着てる人どれくらいいますか?
     今野鳥の会並みのスピードで
     調べました(笑)8人。
     もしかしたらタグを見たら
     日本製着てる方
     いらっしゃると思うんです。
     以前よりもたくさんの人が
     日本製着てると思います。
     で、僕らがやりたいのは
     「作り手の想い」で買うって
     いう新しい価値基準を
     作ろうとしている会社、
     チャレンジしている
     チームです。
     今ですね、洋服買う時って、
    「デザイン」か「経済性(値段)」
     で買うって言われて
     るんですが、 僕らは
     「誰が作ったのか」
     っていう作り手の想いで
     洋服を買うっていうことを
     していきたい会社になります。
     知ってる方もいるかも
     しれませんが、
     僕は下通り(熊本のアーケード街)
     にある服屋の息子で、ちょうど
     去年創業100年だったんです。
     そこの息子として育ちました。
     で良かったのはですね、
     日本製の洋服に囲まれて
     生活してきた
     ってのがすごく良かったです。
     で、その時に
     「あなたから買いたい」
     って無敵だなと思ったんですね。
     それ何かって言うと、ゆめタウン
     できたり、目の前のパルコに
      GU ができたり、いろんなお店や、 
     ができてきた中で、
     まだうちの実家て存続
     してるんですよ、なんとか。
     これすごいなと思って。
     「あなたから買いたい」って
      Amazon にも勝つし、
     ゆめタウンににも勝つんだなと。
      GU にもユニクロにも。これが
     店番いつもさせられていた、
     僕からする原体験なんです。
     で、 この話って後々すごく
     重要になってくるんで。
     僕はうちの会社のメンバーにも、
     「あなたから買いたい」になろう
     って伝えてます。
     その事例をあげると、
     僕ら毎年工場ツアー
     やってるんです。
     で、1月の工場ツアーが
     北海道なんですけど
     名古屋店の店長が今回引率
     するんですね。名古屋店の
     店長が引率するってなった
     瞬間、名古屋地域から
     15人応募があったんです。
     「あの店長が行くなら」って。
     これって僕すごいなーって
     思うんですね。もし僕らが将来、
     洋服が売れない時代になって、
     家具売り出すってなっても、
     きっと売れるんですね。
     「あなたから買いたい」
     があれば。
     これって無敵だなと思った
     のがこの時でした。

【フランスでの出会い】 
山田社長:僕20歳の時にフランスに
     留学しまして、
     グッチというところで
     働きました。この経緯は
     本を読んでいただければ
     と思うんですけれども。
     当時、お金がなくてですね、
     それで拾ってもらったのが
     グッチだったんですが、
     地下のストック整理
     してました。それは
     アジア人枠 だったんですね。
     当時、レストランでも
     アジア人枠があったんです。
     今でこそミシュランの
     星付きレストランに
     日本人シェフって
     多いんですけど、その時は
     お店から出さない
     (表に立たせない)
     っていうのが多かったんですね。
     お店から出すとレベルが
     下がって見えるから。
     で、僕は地下の暗闇の中の
     ストックでずっと商品の
     値札貼りをするっていう
     作業をやってました。
     この時29歳だったんですが、
     人生の転機が訪れて。
     何かって言うと、
     グッチもエルメスも
     ヴィトンもですね、
     もともと工房から生まれたと。
     「本物のブランドは、
     もの作りからしか生まれない」
     って言われて、それに僕は
     すごくですねショックを受けて、
     じゃあ「日本のもの作りから
     世界一のブランドを作りたい」
     と思ったのが、僕が今の
     仕事を始めた 一番のきっかけ
     になってます。

【起業】
山田社長:僕29歳で起業しました。
     7年ぐらいサラリーマン
     やってたんですが、
     29歳で起業した時は、
     2年半社員僕一人だったんです。
     2年半社員一人で、ちょうど
     1,000日間一人だったんですね。
     2012年の1月20日に会社作って、
     2014年の10月15日まで
     の1000日間僕一人だったんです。
     ただ、社員僕一人なんですけど、
     夜7時以降とか8時以降とかに、
     こうやってボランティアで
     仲間が集まって
     くれたんですね。
     (スクリーンに当時の写真)
     僕は、この彼らを「七人の侍」
     て呼んでたんですけど(笑)
     あの「七人の侍」が夜8時ぐらい
     になるとみんな集まるんです。
     今でこそ副業オッケーとか、
     今でこそ2枚目の名刺とか
     言われてますけど、当時は
     みんなコソコソですね
      自分の会社に
     「早めに帰ります」とか
     言いながら、手伝ってくれて。
     スタートはアパートの
     一室で資本金50万円から
     始めました。
     そこでシャツ400枚を
     売っていくのが、
     最初のスタートで
     チャレンジです。
     シャツ400枚がミニマム
     ロットだったんです。
     これの減らし方ってすごい
     大変だったんですね。
     最初は
     クラウドファンディング
     使ったんです。
      CAMPFIRE の。
     この時に100万円
     売れたんですね。
     で、僕は、これ見つけた
     と思って、
     金脈見つけたと
     思ったんですよ。
     これ工場直結で100万円も
     売れたと。
     当時の100万円はですね、
     何かというとギネス記録
     だったんですよ。
      CAMPFIREの当時
     一番売れた事例だったんです。
     で、「これでうまくいった」
     と思ったらですね、、、
     クラウドファンディング
     成功の翌日から
     ファクトリエのサイトを
     オープンしたんですけど、
     アクセス数が1から全然
     増えないんですね。
     僕しか見てなくって。
     これどうしようと思って。
     でもですね、在庫は
     300枚あるんです。
     100枚CAMPFIREで売ったので。
     友人に買ってもらおうと
     思ったんですが、
     でも結局僕の友人達が
     クラウドファンディング
     で買ってくれてたんですね。
     もう誰に電話しても
     僕からの電話は、
     「山田の電話を取ると
     シャツを売りつけられる」
     っていう風評被害に
     合ってですね。
     風評被害じゃないんですけど、
     本当に売りつけてたんで。
     で、結局僕何やったかって
     いうと、シャツを使って
     そうな会社をですね、
     こうリストアップしたんですね。
     (スクリーンに実際のリスト)
     300件ぐらいリストアップして、
     タクシー会社とかホテルとか。
     いろんなところをリストアップ
     しまして、全部に電話をかけて
      いったんです。
     これは、僕にとっての、
     『まとめてどうやって
     シャツを売るか戦法』
     なんです。もう一枚一枚
     売っててもしゃーないと、
     もう100枚ぐらいまとめて
     売ろうと思って。
     でも、これでも結局シャツの
     値段が合わずに
     買ってくれなかった
     んですね。1枚1万円のシャツです。
     僕らは原価だいたい、
     50%ですんで、
     400枚ってことは400万円分の
     シャツがあるんですね。
     200万円が原価なんです。
     200万円の支払いが
     翌月に迫ってたんです。
     やばいと思って。で、
     クラウドファンディングで
     100万円あるじゃないですか。
     最悪100枚売ればいいです。
     僕は利益ゼロで。
     その時にやったんですけど、
     どこも駄目で。
     次にやったのが、
    「無料着こなしセミナー」ですね。
     企業に電話して「無料ですよ!
     1回知っとくと、もう
     30年つかえる
      ビジネスマナーです!」って。
     ビジネスマナーって
     「ベルトと靴の色を合わせる」
     とか、「葬式にはこの
     格好していっちゃだめよー」
     とかあるんですよね。
     「裾ダブル幅だったら
     縁起悪いことが続くみたいで
      ダブル は駄目」だとか。
     色々あるんですね。
     そういうことを電話越しに言って
     人事の人が「分かりました。
     無料だったら会議室貸し出すんで、
     参加者募ってみます」
     みたいなので、募ってもらって、
     最後に、
     「すいませんけど、
     シャツだけ売らせてください」
     ていうことをやりました。
     でこれでですね、
     100社電話したら4社ぐらい
     オッケーだったんですよ。
     無料なんで。で、300社
     かけて15社オッケーもらって、
     一社あたり僕は少なくとも
     絶対10枚売るって
     決めてたんです。まあ売れない
     ところもあったんですけど。
     でも何とか100枚売って最初は
     お金を支払ったんです。
     でも、あのーほんと間抜け
     だったのが
     ワイシャツって サイズが
     S、M、 L、 LL じゃないんですよ。
     首周りによっても丈も違って、
     8サイズあるんですね。
     しかも8サイズを均等に発注
     してたんですよ。
     何が一番売れるか知ってます
     皆さんサイズって?
      圧倒的に M サイズなんですよ。
     日本人圧倒的!もう50% M サイズ。
     もうLLばっかり残るわけですよ。
     在庫として。
     僕のアパートに。
     で、もう最後の方は、
     「これ本当に私のサイズですか?」
     とお客さんに言われて
     「いやもうちょっと大きいですね。
     詰めましょうとか?」
     とか言いながらなんとかシャツを
     売っていったてのが現状です。

     で、もしかしたら本を
     読んでくださった方も
     いるかもしれないんで、
     釈迦に説法ですけど
     もう、アパレルも農業も
     そうです。林業もそうでしょ、
     あらゆる産業が国産比率って
     2.4%ってところまで
     下がってます。でも、
     『事実』と『解釈』
     は別なんで「2.4%はヤバイ」
     と思うのか
     「2.4%はまだチャンスがある」
     って思うかですね。
     僕は「チャンスがある」と捉えて、
     「この下請けなんで赤字なんだ?」
     「この負のサイクルの中に
     飛び込んで、もう1回これを
     正のサイクルにしよう」
     ていうことに僕らが
     チャレンジしています。
     で、僕はですねファクトリエを
     メジャーにしたいって
     思ったことが起業して今まで
     1ミリもないんです。
     僕がメジャーにしたいのは、
     「作り手の想いで買う」
     っていう考え方を
     メジャーにしたいんです。
     なので、主役は工場で
     ファクトリエって
     「黒子」って思ってます。
     なので工場の名前で
     買われるようになれば
     僕は幸せなんです。
     なのでインターネットで
     野菜の産直みたいなこと
     やってます。これは、
    「作り手の思いで買ってもらいたい」
     ということで、中間流通が多いのが
     良いとか悪いとかいう
     話は全然関係ないです。
     どっちでもいいんです。
     「作り手の思いで買ってもらう」
     っていうことをやろうとすれば、
     こういうコミュニケーション
     になるよね。
    (工場とファクトリエの直取引)と。
     中間流通無くした分、経費が
     掛からないので、工場の方に
     適正な利益を受け取ってもらい
     ながら、セールとか
     広告とかうたなくても、
     リーズナブルな値段で
     販売するということができてます。

     僕は、熊本に本社を
     置いてるんですけど、
     熊本にはあんまりいなくて。
     今日も福岡から
     来たんですけど、
     どこにいるかっていうとですね、
     基本工場回ってます。
     年間100以上回ります。
     既存の工場が55あって、
     それを回りながら、
     新規先も回ってるんで地方を
     点々としてます。
     工場の探し方はですね、
     未だに原始的で
     タウンページの上から
     電話かけていくっていう
     のをやっています。
     そうやって、全国各地の
     「作り手」、
     「誰が作っているのか」
     っていうのを
     オープンにしています。
     元々ファッション業界では
     工場情報をオープンにするって
     タブーだったんですね。

     ・・・ちょっと話逸れて
     今日1時間話すんですけど、
     1時間分の皆さんの寿命
     をもらっていると、
     思ってるんですね。
     なので皆さんも是非、
     単純にこの話に
     期待するんじゃなくて、、、
     期待するとですね、受け身に
     なっちゃうんですね。
     是非皆さんの中で
     「これは得たい」とかですね
     「これ知りたい」とかって
     脳を使ってください。
     その分しか吸収されないので。
     僕も話しながら
     これどう思いますかって
     問いかけるので、是非ちょっと
     考えてもらえたらなと思います。
    
     ・・・話戻って
     では、最初の質問で、
     「なぜファッション業界では
     工場情報をオープンにする
     のがタブーだったか」って
     話なんですね。
     ぜひちょっと考えて
     欲しいんですけど。
     答えはですね、
     いくつもあるんです。例えば
     原価がばれちゃうとか、
     技術が流出しちゃうとか、
     でも一番大きかったのはですね、
     「理想と現実のギャップ」
     なんですよね。
     「あんなに綺麗なモデルが
     着てるのに実際は
     こんな汚いところで
     作ってるのか」とかですね。
     まだ日本だったらいいん
     ですけど、海外だと
     児童労働も問題になってますし、
     それに伴うセクハラも問題に
     なってますし、あらゆる問題で
     理想と現実のギャップが
     大きすぎるんですよ。
     なので工場も守秘義務契約
     負ってます。自分たちが
     どのブランド作ってるか
     言っちゃいけないていう。
     なので工場側も隠れようと
     しましたし、
     ブランド側も隠そうとして
     きたっていうのがあります。
     だから皆さんがどこ製着てるか
     知らない、ってなるんです。

     で、さっきお伝えしたように
     55の工場と一緒に物を作ってます。
     そこで、工場に向けた
     チャレンジャとして、
     大きな変革が二つあります。
     1つが「全ての商品に工場の
     名前がついてる」って
     いうことですね。
     たったこれだけなんですけど
     工場が誇りを取り戻したんですね。
     僕は、イノベーションで
     一番重要なのは潜在的ニーズの
     解決だと思ってるんです。
     顕在的ニーズの解決は
     リモコンが長くなり続けた
     ように、結局今の
     改善点しかないんです。
     それに対して、
     イノベーションは潜在的ニーズの
     解決だと思ってます。
     で、工場でのこれは、
     なんだったかっていうとですね。
     工場に何回も聞いたら、
     なんて言われたかっていうと、
     「今よりも10円でも20円でも
     加工賃を上げてほしい」
     ってて考え方だったんですね。
     それ顕在的にじゃなくて
     潜在的解決ですね。で、
     僕らがやったのは
     工場の名前を表に出して、
     ファクトリエっていう
     ネームももう消すっていう
     ことですね。
     これ何が起こってるかっていうと、
     彼らが下請けじゃなくて
     一番前に来るなんて、彼らは
     思ってなかったんです。
     今は、年に2回ですね、
     かなりのイレギュラーで、
     新宿伊勢丹っていうところで
     ポップアップを一週間やるんです。
     その時はですね、シャネルがあって
     エルメスがあって
     工場が前の商品が
     並んでるんですよね。
     要は、今まで表に出るなんて
     滅相もなかった人たちが
     一番前に出るようになったんです。
     で、これにともなってもう一つの
     変革が希望小売価格をやめて
     「希望工場価格」に変える
     って言うことですね。
     工場の言い値で良いよって
     いうことですね。
     今日の服も工場の言い値で
     買ってます。
     シャツも、ジーンズも、
     スニーカーもソックスも
     全部工場の言い値で買うわけです。

     日本の物作りは
     大転換期に来てると思ってます。
     何が大転換期かっていいますと、
     僕はですね
     『作業』から『価値を作る』
     に変える。
     価値を作るためには『考える』
     っていうことに
     変えていかなきゃいけない
     タイミングだと
     思ってるんですね。
     これ何かっていうとですね、
     例えば、中国で作ってもですね、
     ベトナムで作っても
     ミャンマーで作っても
     品質良いんですよ。
     バングラディッシュで作っても
     品質は良いんですよね。
     でも、中国の人件費って日本の
     大体1/10なんです。ということは、
     1/10の中国で作ると日本人1人に
     対して10人働いてもらえる
     わけですよね。ベトナム
     になると1/20なんで
     20人お願いできるんですよね。
     てなると1人の労働力と
     20人の労働力であれば、
     20人の方が
     良いんじゃないのって
     なってきたんです。
     品質も上がってくると
     メイドインベトナムだとしても
     全然悪くなくなってきたんですね。
     だから作業としてやるんだったら
     メイドインジャパンも、
     メイドインベトナムも、
     メイドインチャイナも
     メイドインバングラディッシュも
     もう変わらなくなる
     と思うんです。ただ、
     フランスに留学した時に
     すごく大きな発見をしたんです。
     それは何かっていうと、
     パリから車で2時間行った所に
     シャンパーニュ地方
     ていうのがあって、
     すごい農村地区の
     シャンパーニュ地方なのに
     平均所得はパリよりも
     高いんですね。
     フランスで一番高いんです。
     すごいなあと思って。
     熊本の平均所得が東京よりも
     高いようなもんですね。
     「これできるだな~」と
     思ったんですよ。
     農業ですよ!?ぶどうを作って
     シャンパン作ってる
     だけなんですけど。
     で、この時に
     価値を作るってことが
     大切なんだなと思ったんです。
     値段を下げることは誰でも
     できるんです。
     20%OFFのシート貼れば
     いいだけじゃないですか。
     価値を作るってなると
     値段もあげられるですよね。
     僕はシャンパーニュ地方から
     学ぶこと多いと思ったんです。
     なので、工場に行った時に
     「今より一枚でも多く作れました」
     ということに関しては、
     大して褒めないんです。
     それは生産効率が101%に
     なったところで、
     時給が1/20とか1/30のアジアと
     比べた時に
     インパクトが
     薄いからなんですよね。
     で、僕は日本の良さは
     考えて価値を作るてことだと
     思ってるんです。これ全部の
     物作りが直面している
     課題なんですね。
     そもそも「生産地」と
      思うからよくないんです。
     価値作りの場所だと
     思わなきゃいけないんで。
     そうすると若手が
     入ってくるんですね。
     僕たちの就活イベントで、
     だいたい学生
     100人ぐらい集まって
     くれるんですけど、
     当たり前に工場で働きたい
     っていう人たちが
     たくさん出てきてます。
     
     まだまだチャレンジ中ですが、
     僕らがやっているのは、
     下請けを直売に変えて、
     赤字を儲かる形に変えて、
     若手の採用に繋げて、
     やる気アップということです。

2部《山田社長×村上社長対談》
【生き方を見つける】
山田社長:今日はテーマを作って
     トークしたいと思って、
     いくつかテーマを
     持ってきたんですが、
     テーマがちょっと重い
     かもしれないです。(笑)
     「生き方」っていうテーマです。
村上さん:なるほど!客席にも
     先輩方がたくさんいる中で(笑)
山田社長:そもそも、何で有名番組の
     キャスターやってたのに
     辞めたのかって、
     世の中の人、100人中100人が
     思う意見だと
     思うんですけど、
     なんで辞めたんですか?
村上さん:アナウンサー時代に
     テレビタミンという番組を
     担当していて、
     その中で自分で企画していい
     部分が結構あったんですね。
     自由にテーマを設けて
     それに向かって取材をして、
     報告していました。
     その時、犬を飼い始めた
     っていう非常に
     単純なことから犬の取材、
     ペット事情っていうのを
     取材し始めたら、その当時
     県内で6,000匹ぐらいの
     犬が人に見放されて、
     殺処分されていることを
     知りました。
     その現場を取材して
     いくうちにだんだん、
     「命」っていうところに
     フォーカスをするように
     なったんです。
     そしたら今度は、動物が
     好きだったので、
     犬の次は牛ということになって
     牛っていう生き物を
     肉という食材に変える
     食肉解体作業員の方との
     出会いがあって、
     その方たちがどのように命と
     向き合ってるか
     ということを取材をしました。
     あと、自分自身が初期の
     癌にかかったという
     こともあって、癌にかかった
     人たちが
     どのような思いがあって、
     どのような過ごし方を
     しているのかっていうことを
     取材がしたくて、
     どんどん「命」とか
     「生きやすさ」、「生きにくさ」
     っていうところに
     関心が行くようになりました。
     そしたら、もっと
     「生きやすい世の中に
     なるような発信ができないかな」
     っていうようなことを
     思うことが多くなりました。
     でも、テレビ局っていう大きな
     看板があったものですから、
     やることも制約があるんですよね。
     だから、そこから抜けて、
     もっと「生きやすさ」
     というところにこだわって
     いきたいなあと思って
     辞めたっていうところです。
山田社長:自分の心に素直になるのに対して、
     あんまり不安とかためらい
     無かったですか?
村上さん:無かったです!後で後悔する
     タイプなので。
     その時わからなくて、
     進んで、間違った時に、
     間違ったって思います。
     ミスばかりする(笑)
山田社長:それで、生きやすい
     社会を作ろうと?
村上さん:そうです!作ろうというか、
     そういう情報が
     ちゃんと受け取って
     もらえるように発信
     できたらいいなと。
     いろんな発信されてる方も
     いらっしゃいますし、
     「生きやすさ」に対する
     取り組みをされる方も
     たくさんいらっしゃるので、
     そういった方々を
     紹介したいなと思ったのが
     一番大きなきっかけです。
山田社長:そういう生き方を選んだんですね?
村上さん:そうです!とか、
     良い生き方をされてる方を
     紹介したいっていうのもあります。
山田社長:僕、今の話ってすごく
     学びが多いなと思いながら
     聞かせてもらったんですけど、
     人って本当に
     幸せになるために生きていて、
     幸せになる手段として
     生きるって事があるのに、
     なかなか幸せにまっすぐ
     いけないと思うんですよね。
     多分そこには、
     重要な要素が2つあって、
     1つが
     相対的比較の中で
     人は生まれ育っていくていう
     ことだと思うんですよね。
     相対的って何かっていうと
     誰がとの学校に行ったとか、
     どこの会社に就職したとか、
     年収いくらだとか、
     普通だったらとか、ですよね。
     相対的の中で生きると、
     不幸しかないんですよね。
     この間も東大卒で
     財務省キャリアの人が一番
     自殺率が高いって
     なってましたけど、
     やっぱり相対的比較の中で、
     それが幸せだと思って、
     自分の人生の軸を
     なかなか作れずにいると、
     「周りが素晴らしいというもの」
     にいっちゃうじゃないですか。
     だから自分が幸せなこと
     ってなんだろうって思わないと。
     本当の目的って
     幸せになることのはずなのに、
     なんかそれが違う認識になってる。
     もう1つは、
     なかなか時間が無いというか、
     自分を見つめ直す時間が無くて、
     週五日間忙しいところに
     身を置いて、一週間が終わって、
     何年か経ってみたら
     「俺がやりたかったこと
     なんだろう」ってなりますよね。
     だから一回ちゃんと、
     「自分が生きる」ってこととか、
     「何のために自分が
     生まれてきたのか」って
     もう1回見つめ直す時間が
     必要かなと思うんです。
     村上さんは、そういうものを
     どうやって探して、
     今のものと出会えたんですか?
     なかなか出会うというのも、
     見つけるというのも
     難しいと思うんですよ。
村上さん:自分が欲しい出会いって、
     いつのまにかたどり着いてる
     ことってあると思うんですよ。
     私は命にフォーカス
     している人たちを、
     いつも探しています。
     そこで元看護師の方に
      出会ったんです。
     その方はアメリカに渡られて
     ホスピスの看護師に
     なられたんですね。
     そこで、多くの人生の最後に
     出会ったんです。
       例えば、待遇や、年収が、
     傍から見て羨ましそうな
     仕事の方は、死の間際に
     ものすごく駄々をこねて
     死にたくないって
     言って、自分の人生とか
     自分の最後とかに
     ものすごく恨み事を言って
     亡くなっていかれる。
     逆にですね、いわゆる
     ホームレスの方とかは
     自分が人生で学んだこと
     をいっぱい話をして、
     人生良かったなって
     言って亡くなられた方も
     いらっしゃるって。
     それを聞いて、
     最後の時に納得いくかって
     いうのは本当に
     自分次第なんだなと思ったんです。

【メモの使い方】
山田社長:村上さんはメモするんですか?
村上さん:書いてます!会いたい人は
     必ず書くんですけれども、
     山田さんもその中の一人
     だったので、
     突然会いに行ったのですが(笑)
     書いていると、
     行動に移しやすくて、
     会えることが多いので
     書くことをお勧めします。
     色んな人に会うと
     色んな人の価値観とか
     ものの考え方を
     知ることになって、
     そしてそこからまた
     新しく広がっていく。
     だから知ることって
     忙しいですよね!
     すごい面白い忙しさです!
山田社長:じゃあ、まずは「何が好きか」とか
     「何が大事か」を書くことで、
     自分を客観視し
     理解することが大事だと?
村上さん:そうです!
山田社長は書いていますか?
山田社長:僕スマホなんです!
     スマホも書くのと同じぐらい
     効果ありますかね?
村上さん:スマホだと忘れません?
     スケジュールもスマホ
     だったら忘れるんですけど、
     書いたら覚えてる。
山田社長:書くっていう行為が
     脳を刺激するんですかね?
     この間、小山薫堂さんの
     家に行った時に、小山さんの
     話をスマホにメモしたんですよ。
     そしたら僕がスマホで
     遊んでると思ったみたいで、
    「お前、俺が話してるのに
     ずっとスマホで何してんだよ」
     て言われたんですよ。
     だから、礼儀的な意味で
     書く方がいいのかなと
     思ってるんですよね。
村上さん:嵐のコンサートの
     話してくださいよ!
山田社長:(笑)
     嵐のコンサートに
     先週行ったんですよ。
     招待して頂いて東京ドームの
     VIP ルームで見てたんですけど、
     僕は嵐の曲、
       1曲しかないんですよ(笑)
     コンサート中30曲くらい
     知らないんですよ(笑)
村上さん:ちなみに何の曲知ってるんですか?
山田社長:A・RA・SHI!です(笑)
     で、コンサート中も
     スマホですごいメモ
     してるんですよ。気づきを。
     例えば、ジャニーズは
     ファンの作り方が
     上手いということ。
     嵐とか関ジャニとか
     たくさんのグループが
     あるんですけど、
     人って10代で好きになった人
     をずっと好きでい続けるんですね。
     安室ちゃんとか。
     ジャニーズは10代を
     ジュニアで囲むんですよ。
     好きなジュニアの人がその後、
     色んなグループに
     入るからずっと
     応援するんですよね。
     しかも、顔が好きな
     わけじゃなくて、
     「私が応援した」っていう
     その「存在そのもの」
     に対する愛着があるんですよ。
     だから、嵐も20年売れてる。
     嵐単体で156億から200億
     稼ぐんですよ。すごい戦略ですよ。
     それを考えた、ジャニーさんの
     意志をジュリーさんも
     引き継いで、考えて、色んなこと
      やってるんです。
     すごいなと思いながら僕、
     スマホでメモとってだんですよ。
     そしたらジュリーさんから
     「山田君興味ないの?」
     って言われたんですよ!
     そんな風に見えるんだなと
     思ったんですよね。
     確かに、曲知らないんで
     興味あったか、無かったかと言うと
     興味無かったって
     なるなんですけど(笑)
     キャラ設定とかすごいんですよ!
     松潤は「王子様」
     大野くんは「アーティスト」とか。
     あと、1曲めにドメジャーな
     曲を持ってくるのもすごい。
     今回は「スマイルアゲイン」という
     曲だったんですけど、
     思いっきりド定番な曲を持ってきて
     一気にお客さんを
     ステージに引き付ける。
     最初のインパクトをめちゃめちゃ
     強めに出すのも勉強になりました。
村上さん:それはファクトリエのために
     メモしてるんですか?
     何のためにメモしてるんですか?
山田社長:嵐に関しては、
     熱狂的なお客さんとか仲間をつくる
     にはどうしたら
     いいんだろうっていう要素を
     書いているんですよ。
     僕、月曜日の朝9時に
     15分から20分ぐらい
     話すんです。
     先週一週間で気づいたことを。

【西本喜美子さん】     
山田社長:村上さんが影響を受けた人が
     もう一人いるって
     聞いたんですけど?
村上さん:います!西本喜美子さん!
     熊本の方で90歳の
     おばあちゃんなんですけど
     Instagram のフォロワーが
     20万人ぐらいいるですよ。
     一眼レフで自撮りした写真を
     載せているんです。
     ご高齢で腰も悪いのに
     体を張って色んな
     写真を撮っているんです。
     その写真を自分でMacを使って
     編集するんです!
     80歳からMacを始められたんです。
     興味があることは何でもする
     明るい方なんです。
     で、喜美子さんを取材に
     来られた人たちが
     みんな言うんですよ。
    「喜美子さんみたいになりたい」
     ってね。90歳になって
     これだけ人生を楽しむ
     喜美子さんみたいになりたいって。
     どうしたらなれるかを、
     息子さんに聞いたら
     3ヶ条あると。
     1つめは
     「夢中になれるものを探す」
     2つめは
     「ニコニコする」
     3つめは
     「人の悪口を言わない」
     これは私もすごい
     大事にしていることなんですね!
     でも、山田社長は
     これやってますよね?
山田社長:ありがたいことに、
     夢中になれるものは
     見つかりましたね。
     でも、いつもニコニコ
     しているわけではないし、
     まあ、悪口は言わないかな。
村上さん:でも、さっきの
     相対的比較の話と同じで、
     比べてしまうと
     「なんであの人だけ」みたいな
     悪口が出てしまうんですよね。
     でも、
     夢中になれるものがあって、
     いつもニコニコしていると
     人の悪口言ってる暇が
     ないんですよね。
山田社長:なるほど~。確かに
     人のせいにしたくないですよね。
     「この会社入ったのに」とか
     「ここだから安心だと思ったのに」
     とかスゲーダサいじゃないですか。
        君が選んだでしょ?っていう。
     全部あなたが決めて
       あなたがやったんでしょ?
     そう思うことが
     自分の人生を歩む
     第一歩な気がしますよね。
       しかもチャレンジするのに
     性別も年齢も関係ないんで。
村上さん:この間、喜美子さんから
     LINE があって、
     腰の骨を折ったって。
     すっ飛んでいきまして。
     90歳だから寝たきりだと思って、
     お弁当持って
     行ったたらですね、
     ニコニコして
     待っていたんでんですよ。
     「あ、来た来た♪」って言って。
山田社長:嘘だったんですか?
村上さん:嘘じゃなくて、本当だったんです。
     でも、「大丈夫~♪
     ちょっと待っててー」と
     いいながらスマホ触りだしたんで、
     「何してるんですか?」て聞いたら
     「彼氏に LINE」 って
     言ったんですよ!
山田社長:彼氏がいるんですか!?
村上さん:いるんですよ!
     40代の彼氏がいるんですよ!
山田社長:40代!じゃあ息子さんより
     若いんじゃないすか。
     若さの秘訣には
     それもあるんでしょうね。
村上さん:あると思います。
     好き人がいるっていうのも
     大事らしいですよ。
     でも骨折して心配だったので、
     息子さんに連絡したんですよ。
     そしたら、
     「元々折ってるから大丈夫」って。
     90歳になると『いつのまにか骨折』
     ていうのがあって常に
     折っていると。場所がちょっと
     ずれると痛いんだけど
     しばらくすると治るからって。
     そんなことないでしょうと思ったら
     3日ぐらいに前に貴美子さんから
     LINE があって
     「餅つきしよ♪」って言ってたんで
     治ってるんですよ!
山田社長:90歳でそういう話を聞くと
     夢ありますよね。
     歳をとるってポジティブ
     じゃないことが
     多いじゃないですか。
     でも90歳で40代の
     ボーイフレンドがいて、
     好きなことやって
     写真撮ってるんですよね。
     最高だなと思う。

【質問コーナー】
お客さん:将来的に起業したいなっていう
     気持ちがあります。
     でも、今の職場は安定しているし、
     家庭もあります。
     その中葛藤しているのですが、
     2人はどうでしたか?
山田社長:僕は起業が良いとも思わないです。
     日本から世界一の
     ブランド作れる会社があったら、
     僕はそこに行っていた
     と思うので。
     社長っていうポジションにも
     全然興味無いんですよ。
     僕より給料もらっている
     社員もいるし。
     だから、全然そこはどうでもいい。
     まず、自分が
        やりたいことが見つからない
        とすれば、見つける努力を
     しないといけないですよね。
        紙に夢を書くとか、人に会うとか。
        見つかった後に、
        転職かもしれないし、自分で
        やるかもしれない。
        どっちでいいと思うんですよ。
     で、その時にやっぱり
     すごく一番大事なのは
        その命を使って
      幸せになるって事ですよね。
         家族がいるのであれば、
      家族としての幸せの
         形も一緒に探して行かれた方
      がいいと思いますね。
         だから、少しずつ話をしといて、
         こういう形が
            家族としての幸せだよね
      っていうことの方が
       重要だと思うんですよね。
          僕は世の中に安定とか安心
       は無いと思っています。
       そんな中でも、
         一番の安心、安全、安定は
         自分自身がどこでも生きていける
         人間なるって事だと思うんです。
      「弁護士になったのに」とか、
       「会計士になったのに」とか、
       何かに頼って
          誰かのせいにするんじゃなくて、
          自分がそうあるために、
          何をするか。
          自分の幸せに対して人はもっと
          素直になればいいのになと
          思います。
          それはちゃんと
           家族の合意の上で、幸せな形に
           まっすぐ向かっていく。
          その生き様とか背中が
          一番子供に伝えるべき
          ことなのかなと思っています。
           先日、塩沼亮潤さん
         (日本の金峯山修験本宗の僧侶)
        に会って話を聞いたんです。
      塩沼さんは
      悩みをたくさん聞くと。
        行けばいいかという悩みを。
       その道は2つで、
          1つが楽して稼げる道か、
         もう1つが、困難で
         苦しいけど自分が
         それが正しい思う道か。
         世の中の人はだいたい、
         楽して稼げる道に背中を
         押してもらいたくて来ると。
         でも塩沼さんは、
         やっぱり苦しいけど正しいって
         自分が信じる道を歩むほうが
         基本的には幸せへの
            一番の早道になるって
                    おっしゃってました。
            僕は、楽に生きることが
         幸せでもないと思ってますし、
                 自分の幸せが見つかった後にも、
         幸せに対して
         一歩踏み出す勇気を持って、
         それを家族の同意を得て
         踏み出すことが大切だと思います。
      それは、苦しいかも
           しれないですけど。
        そういう親を見た子どもは
                生き抜く力がつく気がします。
     村上さんはどうですか?
村上さん:私自身は、
     葛藤は正直無かったんですね。
     新しいことをせずにそのままの
        状態に留まっているのが
     怖くなったんです。
        時代も変わっていて
        テレビを家族で一緒の時間に
        見てそれが共通言語
     になる時代では
     もうなくなってきていますよね。
     パソコンやYouTubeが普及して。
     今までやってきたものを
     そのままをやっても
     ダメだっていうのは
     前から思っていました。
     それならば、何もせずに
     そのままの状態を守って
     いくよりも、新しい方法で
     世の中に関わりたいと
     思うようになりました。
     なので、新しいことを
     やることに関しては葛藤、
     不安というのは
     無かったし、
     テレビに絶対残りたいっていう
     気持ちも正直なかったんですね。
     もし今のやり方が駄目でも、
     生きやすさを発信するお仕事って
     どうにかしてできるだろうって、
     何かあるだろうって
     思ってたんですね。
     私は、子供がいないから
     それも大きいと思います。
山田社長:こないだ吉岡先生
     (ミャンマーで子どもにたちを
     無償で治療している医師)
     の記事に書いていたんですけど、
     あっちの世界とこっちの世界
     という話をしていました。
     あっちの世界は、自分が
     無我夢中でこれだと思う
     道に行く世界。
     こっちの世界は、その世界に
     しがみつく世界。
     だから、何が流行るとかを探して、
     その世界で何をすべきかに
     焦っている。でも、あっちの世界
     の人は、周りにとらわれずに、
     突き抜けていけるから
     そっちの方が幸せだと
     言ってたんですよ。
     実際に吉岡先生も、
     厳しい環境に一人で行って、
     1万人の子供達を無料で
     治療してきたんですね。
     最初は日本の医学界から
     大反対だったんですけど、
     30年たった今は、
     講演に呼ばれるんですよね。
     それは、あっちの世界で
     やり続けたら、こっちの
     世界が追いついてきた話ですよね。
村上さん:あと奥様をどうやって
     説得するかですね。
山田社長:今ってめちゃくちゃ
     幸せじゃないですか。
     これがもし戦国時代とか、
     他の時代だったら
     いつ死ぬか分からない
     じゃないですか。
     でも、今は何やっても
     リスクって無いですよね。
     やらないリスクの方が
     あるかもしれないですね。
     で、超えようと思い切って
     飛んでみたら意外と
     高くなかったり、
     意外とすぐ地面だったりしますよ。

お客さん:いつから、人生が楽しくて、
     やりたいことが
     みつかりましたか?
     幼少の頃のお話とかも
     含めて伺いたいです。
山田社長:僕は仕事じゃなくて「私ごと」
     の方の私事なんで、
     常にプライベートなんですよね。
     月曜も日曜も土曜も夜中でも。
     だから24時間365日
     やりたいことやってる
     ので単純に楽しいです。
     僕は幼少期の頃すごく
     落ちこぼれで、
     塾も頭が悪くて断られて
     いたんです。かといって
        その時ぐれたかっていうと、
     そうじゃなくて
     必死で人並なりたいと思って、
     その一心でずっとやってました。
     なので幼少期は笑顔でいる
     余裕もなかったんですね。
     で、僕がアパートの一室で
     会社を始めた時も、
     今も全然モチベーション
     変わってなくて。
     その時から自分がやりたいことを
     やってるんで、
     辛いということもないですね。
     むしろこういう環境で
     やらせてもらってる日本
     という社会に感謝でしかないです。
     でも、自分のやりたいことが
     見つかなかった時期があって、
     その時期が一番辛かったですね。
     本当にこの日本の
     物作りから世界ブランドを
     作れるんだろうかと
     必死に考えるんですけど、
     そのできないかもしれないことを
     考えている時が辛かったです。
     見つかった後は
     私事なんで無我夢中でやってます。
     村上さんどうですか?
村上さん:私は子どもの時に遡るんですけど、
     私の母がアナウンサーって
     仕事に憧れていました。
     なれなかったんですけど。
     その影響で
     ニュース番組の女性アナウンサーを
     見せられて、
     「素敵な仕事ね美香ちゃん」と
     言われてました。
     それでマネするわけですね、
     「こんにちは今日のニュースです」
     みたいに。そうすると
     褒めててもらえるんですね。
     それが嬉しくて、嬉しくて。
     なんでも読み始めました。
     国語の音読もするんですよ。
     褒められたいから。
     そしたらまた母がすごい
     褒めるんです。
     それで上機嫌になって、
     だんだん好きになって
     仕事でできるように
     頑張ろうって思って、
     一生懸命勉強したりしたんです。
     なんか褒めてくれる
     人がいたっていうのは
     大きいかなと思います。
     実際はたいして上手じゃ
     無かったんだと思うんですけど、
     母が最初にすごく
     褒めてくれるから、
     周りから上手じゃないと
     言われても、気にしなかったです。
     安心感があり、居場所を
     母に作ってもらいました。


いかがでしょうか。
文章にする都合で若干、
表現は変えているところもありますが、
「作り手の想い」を伝えたい山田社長と、
「生きやすさ」を伝えたい村上さん。
それぞれの、原体験や想いや考えを少しでも感じていただけたら
幸いです。

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