センスが必須
持論です。英語と国語にはセンスが必要だ、という話
数学なら解答解説を見て、「これこれこういう計算を経てこの値が出ます」と書いてあればすぐに腑に落ちると思う その手順で必ず求められるのだから
しかし、国語はそうもいかない
解答解説を見て、「なんで?」と思ってもそういうものなのだから仕方ない
降りしきる雨は悲しい気持ちを表し、俯いたときは後ろめたい気持ちを表す 「そういうもの」なのだ
また、英語等の語学も
どうしてこの動詞はこういう風に使うのか 歴史的背景から何かわかることはあるかもしれないが、言葉は生き物だ 全部が全部理屈で説明できるとは限らない
「どうしてそうなるのか」に誰もが明白に理解できる合理的な理由がない
これはもう、センスの問題だと思う
雨を見てどんよりしない人は理屈で覚えるしかない
言語も感覚だ 遥か昔から存在し現在も進化しながら使われているものを規定し説明するには限界がある
なぜこの話をしたかと言うと、僕は英語が壊滅的にできず、英語が得意な人に勉強法を聞いたら「んー感覚で解いてるからなぁ」と返されたからである
感 覚 で 解 い て い る
なんすかそれ。ふざけてんですか。こっちは真剣なんですよ。人生かかってんですよ。
でも妙に納得した、というか実際、元々薄々そんな気はしていたのだ そのくらい僕は英語ができない。
逆に、何故か国語ができる僕は国語の勉強法を聞かれても「んー感覚で解いてるからなぁ」と返すだろう
やはり語学はセンス。
問題なのは、この壊滅的なセンスのなさをどうやって勉強で埋めたらいいか、という話である
どうしたらいいんだろう………