日常脳内会議
Twitterという場所は、「誰かに言いたいけどリアルじゃ言いにくいこと」を言うのに最適な場所だと思う
様々な人のつらい話をたくさん読んだ
想像もつかないほど壮絶なものもたくさん見た
こうして見ると、自分は恵まれているのだな、と
僕は虐められたこともないし家族にも恵まれている
抗えない外部からの力によって血を吐く思いをした経験は思い出せる限りではほとんどなかった
フォロワーさんがしてきたような、あんな惨い仕打ちを受けたことがなかった
それなのに、そのくせに、僕はこんなことを抜かしているのか
あの人たちの経験と比べたら僕のなんてぬるいものだ
世の中にはもっとずっと凄惨な経験をした人たちがたくさんいるのに、僕は「病んだ」とか言っているのか
自分なんかに病む資格なんてないんじゃないのか
資格がない こんなことしていいはずがない 甘えだ
一度そう考えてしまうと、ひたすら自分を責め続けて
全てお前が弱いのが悪い、弱いせいで他人に迷惑しかかけないクズだ、この世に生きてちゃいけない、死ぬべきだ、はやく死ね、死にたい となる
「病んでいる」という事実自体に更に病む無限ループ
でもじゃあ僕の感じたつらさは紛い物なのか
そう聞かれたら否定したい 僕の感じたつらさは紛れもなく本物だ、それで僕は精神を病んだんだ
僕は確かにつらかった どうしようもなくつらかった
他の誰でもない、僕自身がそう感じた
それでいいじゃないか
他人のつらさなんて一生かかってもわかるはずないよ
僕のつらさはお前には一生わからないよ
トマトが大好物の人には、トマトが吐くほど嫌いな人の気持ちはどうしてもわからないでしょう
食べることのつらさも絶対にわかり得ないでしょう
傾向はあれど結局は主観、個人差があるに決まってる
きっとそういうものなんだよ
ガチャで推しが引けなくて泣いてる人をそのガチャにも推しにも全く興味のない人が「たかがそんなことで」と笑ったらそれはナンセンスなんだよ
だから、これでいいんだよ
つらいと感じたらつらいでいいの 泣きたかったら泣けばいいの 病んでしまったら病んでいいの
そう感じたのはあなた自身なんだから
感情には抗わなくていいよ、ありのままでありなさい
こうやって僕の脳内はひとりでに会議を開催し、終結させると自分で自分を攻撃したあと自分で自分を慰める形で僕のメンタルはいくらか回復する
この繰り返し 酷く滑稽だな
僕のつらさの所以はこういうところにもあるのだろう
なんて、きっとわからない人には到底理解できないんだろうな それでいいよ