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意識が高いということはどれだけ大切か?

自己啓発などのセミナーや勉強会に参加すると、かなり高い確率で講師が口にするのが「意識の高い皆さまに集まっていただき・・・」という話です。

講師はほめているのですが、言われている側は少し考える必要があります。

つまり、「意識が高い人がセミナーに参加している=意識は高いけど、うまく行っていない」ということになります。だから、セミナーや勉強会に参加したら、目標を達成するために最善を尽くすということが重要になります。「意識が高いですね。」というのは1回だけ言われるのは仕方がありませんが、2回以上は危険信号です。意識が高いだけで満足しているとしたら、残念なことになります。

誤解がないように言いますと、意識が高いのは悪いことではありません。「意識の高さ」を誇りに思ったり、人に公言するのがイタイと思うだけです。

もちろん、気持ちはわかります。私自身がかなりイタイ人間でしたから。会社で同じことをしている同僚や上司を見ていると、「この人たちと同じにはなりたくない」と思うことがあります。思うだけでなく、自己投資をして勉強をしている自分は彼らとは違うと思っていました。

しかし、意識が低いと思っている人が上司であり、同僚とは役職や給料が変わらないとしたら、違いは「意識」だけです。

悲しいかな、外から見たら違いはありません。セミナーに行くと、「意識の高い人」が集まるので話が合いますが、会社では話が合いません。こうしたサイクルを繰り返しながらも、生活の糧を会社から得ているとしたら、成功するわけはありません。

会社で得た糧をセミナーに使って、会社の同僚に対して意識が低いと思うのは、ポイントを外しています。

そもそも、普通の人は意識を高く持とうなどと思っていません。

正社員として安定した職を得て、大きな負担のない仕事を続けて、家族を養い定年まで仕事ができれば問題がないと考えています。こうした人を見て、意識が低いと思っても、彼らからすれば余計なお世話なのです。


逆に成果を出している人も、高い意識を持とうとは思っていません。

プロは結果で勝負をするので、意識が高いなど当然のことで、語る必要もありません。

意識が高いというのは、他人から見ての評価であるか、意識以外に評価されることがない人向けの言葉でしかありません。

意識が高いということは、低い人もいるわけです。しかし、意識が低いと評価される人は、意識を高くしようと思っていないので、意識の高低は誰とも比べようがありません。意識の高い人同士が、「僕たちは意識が高いね。」と言い合うか、「意識が高いですね」とお世辞を言われる程度です。


もちろん、意識は高いに越したことはありません。しかし、意識は高低に評価されるものではなく、自分がやりたいことにどれだけ必死になれるかで測られるものです。意識とは、真剣さだと思います。

自分の真剣さは自分でわかります。意識の高さをアピール必要はないのです。


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