大人になれない大人
僕は52歳なので、どこから見ても大人だろう。100歳の人から見て、「ワシの半分しか生きていない子供じゃ」とか言われるかもしれないけど、たぶん大人である。いや、確実に大人である。
しかし、自分は大人になり切れていないと思うことも多いし、街中を歩いていても大人気ないと思う人に出会うことがある。
そもそも大人ってなんだ?
年齢的なもの以外で大人を定義できるのか?
そんなことを考えるのは、自分が大人になり切れていないなと思うからである。20代の頃からそんなに感覚が変わっていない気がする。もちろん、見た目は劇的に老けている。
実は、ここがとても重要で、大人か大人でないのかは見た目の影響が大きい。
たとえば、子どもがポロポロこぼしながら食事をしても子どもだからというように誰も不思議に思わない。高校生だと、子供っぽいとなるし、52歳だと子供っぽいどころか、常識を疑われることになりそうだ。高校生が失恋をして泣いていても、青春だと微笑ましい(本人はそんなに割り切れていないと思うけど)。企業によっては失恋休暇というものがあるらしい。主に使用するのは20代の女性社員だと聞く。仮に、52歳の中年が失恋休暇を取ったら、やはり奇異に見られるだろう。
しかし、52歳が食事を上手に食べられないのも仕方がないし、52歳でも失恋をして泣くこともある。それでも、そんなことをしてしまえば、大人っぽくないと言われてしまう。
つまり、大人というのは見た目と行動や考えに違和感が少ないということだろう。逆に小学生が将来の夢を聞かれて、「無難なところで、大手企業のサラリーマン」と答えたら、子供っぽくないと言われる。
僕が自分を大人になり切れていないと思うのは、52歳の男なら、当然考えていたり、できたりすることができていないと僕自身が思っているということに他ならない。なぜなら、僕はどこからどう見ても、中年の男だからだ。
大人になり切れない大人がいるとしたら、大人らしい考えや行動ができていない(線引きは難しいけど)大人であるか、純粋さや無邪気さを失わない大人のことを言うのだろう。
大人というのが、分別があり、できることとできないこと、やっていいこといけないこと、やるべきこととやるべきでないことの区分ができている人だとしたら、大人になり切れない人とは、その区分が曖昧な人のことを言うのかな。
大人は、落ち着いていて、経験や見識があって、判断が正しく、安易に喜怒哀楽を表さず、無謀なことはしない。そんなのが僕の大人評である。
これらは他人からの評価もあるけれど、おおよそは自己評価に準じるし、自分がどうありたいのかと言うことに帰結する。だから、一部の思慮の足りない人を除けば、大人になり切れない人とは、大人になりたくない人のことを言うのだろう。
僕が自分を大人になり切れないと思っているのは、合理的な分別だけで生きたくはないし、できないと言われることにチャレンジしたいし、喜怒哀楽を表現したいし、このままで人生を終えたくないからだ。
大人になり切れないことを、子どもっぽいと言われるといい気分でなくなるし、永遠の少年と言われるとちょっとうれしい気がするように、他人の評価は自分でどうすることもできない。
大人か大人でないかは、要は自分で自分をどのように認識したいのか?もしくはしているのか?ということ。
大人=安定感だとしたら、僕は自分を不安定だと思っている。でも、不安定なままでいたいわけではなく、52歳になっても、自分が望む人生を歩めておらず、理想を諦めてないと言うことに尽きる。
大げさな話をしてしまったけど、結局のところ、大人になれない大人とは、あきらめの悪い人間でしかないわけである。
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