1945 Sentimental Journey

❡ 英語版とは関係がありません〕寺山修司の(銀巴里での)実質上のオディションで浅川マキはセンチメンタル ジャーニも歌ったと云う(寺本幸司の回想)。1967年4月に(デビューシングル)東京挽歌(アーメン ジローは自作詞)が発売、同じ1967年夏に(石川県)金沢の五木寛之を訪問(浅川は石川出身)。銀巴里のオディションは1968年9月の事。その時のセンチメンタル ジャーニが英語原曲だったか、日本語だったか、後の日本語詩だったか、判らない。
 この日本語詩が音源になるのはLP第7音盤の灯ともし頃(1976年3月5日発売、B面3曲目)。因みにこの音盤にはロッド ステュワト歌唱原曲のジャスト アナザ ホンキ、それはスポットライトではないも収録。ステュワト歌唱原曲に基づく日本語詩の制作を完了している(LP第9音盤のライヴでも歌ってはいる)。

 浅川制作の日本語詩 センチメンタル ジャーニは原曲が1944年11月20日に録音、1945年発売(SP音盤)の(ドリス デイ歌唱・レスブラウン管弦楽団版)音源に基づく。音盤発売当時は第二次世界大戦からの帰還兵との再会を祝う非公式歓迎歌として大ヒットしたと云うドリス デイの英語原詞(バド グリン作詞)は各連4行が4連、音楽は特徴的なイントロに続いて連単位でAABA。終了後、本体最初のAAを間奏で繰り返し、後半のBAを歌唱、最終行を繰り返すコーダで終了する。
 日本語詩の方は各連2行が4連で1節(歌詞なら番)、音楽は連単位でAABA。同じ造りの節がもうひとつ(歌詞なら第二番)。第一番(詩なら第1節)はバスの旅、第二番(節)は汽車の旅。各番(節)の最終第4連は同内容の、端正な造り。この言語技術は既に文学。それも古典に近い(国語の教科書に掲載を推奨します)。

 第一番(詩なら節)は出発間際で混雑する夕方(ということは夜間運行長距離に乗車)のバスターミナル、第二番(節)は長距離運行列車の車中、旅の遥かさを終盤に差し掛かって振り返る人生に擬え描き切って、重たいトランク/古びたホテル/一人の/果てない旅=人生の時間感覚を伝える。記述内容は英文原作に忠実(言葉尻がではない)、しかも表現力は原作を超えて、既に伴奏としての音楽が必要のない水準にまで達している(音楽の出来に依存する必要がない)。
 何故、浅川は訳詞ではなく、翻訳でもなく、日本語詩なのかを示す好例。この詩ならセンチメンタルが失恋による感傷と取り違える筈はない。浅川は語感の微妙を保つため、カタカナのまま残した。


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