1974 あんな女は はじめてのブルース
浅川マキに標題の曲がある。最初に歌ったのは ちょうど半世紀前。単純に曲名を読み流すと、あんな(いい)女(に出会ったの)は 初めてと誤解してしまう。そんなキャッチィなタイトルを案出したのは もちろん浅川ではない。今から60年以上も前の話。しかも更に、元は英語でオンリィ ウマン(ただひとりの女)、なおさら誤解を誘う言い回しで、この英語のタイトルは今から80年以上も前のもの。英語版も日本語版も、作者は只者ではない。
浅川のこの曲は半世紀も前の歌なのにYouTube上では全然 現役で、3〜4種類のライヴ音源が載っている。浅川が享年67歳で死んで、年が変われば早15年目。YouTube音源のうち、一番新しい収録が31年前(当時浅川は51歳)、シカゴ ブルーズにアレンジした京大 西部講堂での収録が42年前(浅川40歳)、このテイクが一番ブルーズらしい。浅川マキが最初に歌ったのは ちょうど半世紀前で、当時、浅川は32歳、作曲した山下洋輔も32歳だった。それまでは 原詞英語の曲は日本語詩として自身で言語開発してきた浅川が この日本語詩シリーズでは既存の翻訳をそのまま流用した。
日本語詩はアメリカ文学者の斉藤忠利の訳業。出典は翻訳詩集 黒人街のシェイクスピア(ピポー叢書68/国文社)に収録の「あんな女は はじめて」ブルース(62ページ(三)男たちのためのブルースの中の一篇)。1962年の初版出版時、斉藤は31歳(2003年没、享年72歳)、因みに浅川は20歳。アフリカ系米国人の民俗音楽 ブルーズやジャズの語法を反映した名訳で、初版出版当時は英語原詩の作者も存命だった(当時61歳)。
原作者はラングストン ヒューズ(1901年生まれ)。1900年代初頭の米国ではアフリカ系米国人が南部から北部大都市圏へ大移動、1世代ほど後のニューヨークに、伝承から創作へアフリカ系米国人が固有の文化を創造し始める文化運動が生まれた。Lヒューズは この新潮流 ハーレム ルネサンスを代表する文学者で、とりわけブルーズやジャズなど民俗固有の特性に基づいた詩作は米国内また文学にとどまらず同時代また後世の文化に広く影響を及ぼした。(Lヒューズは日本式なら明治34年生まれ。翻訳詩集 黒人街のシェイクスピアの再版が出る前年、1967年に死去した。享年66歳)
ハーレム ルネサンスは1918年に始まり、世界恐慌と共に1930年代に退潮する。斉藤忠利が翻訳した詩集(Shakespeare in Harlem)はハーレム ルネサンス後の作品で、1942年の刊行(Lヒューズは当時41歳)。この年は1月から2月にかけて浅川マキ、岡本おさみ、山下洋輔が生まれた(斉藤忠利は11歳)。
英語原作の詩集発刊から32年後、処女詩集からなら48年後の1974年、ラングストン ヒューズの詩を斉藤忠利の翻訳で音楽化する企画に浅川は着手した。