ヤーヴォル ラースロー
❡ マジャル語版 抜粋 〕ヤーヴォル ラースロー (姓→名 Jávor László) はブダペシュトで生まれた (1903年=明治36年) 新聞記者から転じ詩人・画家に。日本語では 暗い日曜日の曲名で知られる歌謡のマジャル語原典版の作詞者 (出生名は Schwartz László ドイツ語)。ユダヤ人のため、ナチスが台頭する1930年代後半以降は西欧に移住した。
ハンガリー時代の作品。
▷ 1934年 詩集 悲しい日曜日 (31篇)
▷ 1937年 恋愛小説 悲しい日曜日
1938年に西欧に移住してレジスタンスの抵抗運動に参加、実刑判決も受けた。第二次世界大戦後は1947年にフランス アカデミーのパルム ダ アカデミー賞を受賞。1954年、ニューヨークの新聞アズ エンバーの編集委員となり、同誌に著作が掲載された。晩年は南フランスで暮らした。(1992年 89歳没)。
1936年以降、暗い日曜日として急速に世界に拡大していった歌謡 (原題は悲しい日曜日)のマジャル語原詞の作詞者。(以降は別資料。作曲者のシェレシュ レジェー (姓→名 出生名は Spitzer Rezso ドイツ語)は1932年12月、現行各語版の暗い日曜日とは趣旨が異なる歌詞 ヴェーゲ ア ヴィラーグナク (Vége a világnak 世界が終わる)を作詞し、現行流布版とほぼ同一の原典となる音楽 (ハ短調)に付曲した。前後関係の詳細は不明だが) 作曲者はハンガリー南部チョングラード チャナード郡の地方新聞 デールマジャロルスジャーグナク紙 (Délmagyarországnak 南ハンガリー紙)に作曲の経緯を語っている (1936年)。
「 (推定 1932年の)或る夜、ヤーヴォルLが楽譜を持参し訪ねて来た。ラーチ ツィガ (Rácz Zsiga)が付曲したフェケテ ヴァシャールナプ (Fekete vasárnap 黒い日曜日)という詩だった。ヤーヴォルLは音楽が気に入らないので作り直してほしいとの事だった。そこで 曲名をソモルー ヴァシャールナプ (Szomorú vasárnap 悲しい日曜日)に変え、新しい音楽を付けた」