大日本プロレス
私事ですが本日11月30日をもって大日本プロレス(有限会社四ツ葉工芸)を退社いたします。
プロレスファンだったことも忘れるくらい観戦からは遠ざかっていた自分が沼澤さんと知り合い、団体に関わるようになって約10年。実は関わる前は大日本プロレスはあまり好きではありませんでした。大仁田さんのFMWなどは見ていましたが蛍光灯がどうしても受け入れられず、週プロを読んでいても飛ばしていたほどです(これ某Wマティと一緒だねって話したことあります)。
しかし沼さんから誘われて最初に見に行った後楽園ホール大会でバラエティに富んだ試合の数々と蛍光灯デスマッチの衝撃に魅了されました。これは面白いなと。
そして10年前、当時勤めていた会社で商店街プロレスで開催される若手リーグ戦を協賛する形で始まった私の大日本プロレス歴ですが、今やそのリーグ戦を優勝した神谷英慶が史上初のデスマッチ・ストロング二冠王になるほど成長したことを考えると、非常に感慨深く、短くも長くも感じます。
様々なことがありましたが、その全てが楽しく、全てがやりがいに満ちた仕事でした。
プロレスファンから中の人へ
私に取ってこの10年は一生の宝物です。
2019年3月31日、博多スターレーン大会の最終興行日。
メインを締める関本さんは「大日本プロレスの全員リングに上がってください」と言い、売店で私が残っているとマイクで「高塚さんも!」と言ってくれました。
あの時、どこか外様の立ち位置を維持しようとしていた僕を"中の人"にしてくれた瞬間だったような気がします。
関本さんにはヤキモキさせられる事もたくさんありましたが、事あるごとに「いつもありがとうございます」と丁寧に言ってくれて、今回の件を伝えた際も一番驚いてくれて「いやいやダメでしょ、大日本つぶれちゃうよ」と言ってくれた心優しい力持ちは誰からも好かれる僕がファンの頃に見ていたスターのままの方でした。
ただ、一個だけ否定しておきます。
大日本プロレスはつぶれませんよ😊
2023年9月25日、ツインメッセ静岡大会を開催しましたが、私は前日に父が他界したため不在に。共に静岡の営業を担当していた石川勇希がメインを締める際にリング上のマイクで私の名前を出してくれました。
僕の知る石川勇希は必死に何を喋るか考えて、悩むくらい考えて、それでもうまく伝えられなかったと悔やんで、どうだったか聞きにくるタイプの人間でした。
その彼がリング上で僕の名前をあえて出したと聞いた時、一緒に過ごしてきた時間が彼の人間味を一段上に上げたとするなら、こんなに嬉しいことはないと思いました。
私がここにいた事を誰も覚えていなくなっても、2人のおかげで私の名前を大日本プロレスの歴史に残してもらえたのではないかとこっそり自慢出来そうです。
心残り
心残りはたくさんあります。
神谷、菊田、青木、森廣、吉田、朝倉、関茂。
今でも毎日道場に来て、歯を食いしばって頑張っている彼らにはもっとプロレスに邁進できる環境を作ってあげたかった。特に神ちゃんは事あるごとに「こういうことできないですかね」「これってどう思いますか?」と相談してくれて、岡林がいなくなった時に自分が超人にならなくちゃいけないと肉体改造を始めた姿にほんと頼りにしてたし、もっと応えてあげたかったです。ハナやジェイコブ、デイルのように夢を持って異国の地で、決して快適ではない環境に身を置いて頑張る外国人選手たちを見守っていたかったし、佐藤のことも彼が全国各地にプロレスラーとして躍動する日まで側で支えてあげたかった。ほぼ同世代の星野さんがいつも先行きの話をするので、引退試合は盛大に見送ってあげたかったし(多分しばらくしないと思いますが)、吉野さんの復帰も待ちたかった。
数多くの退団者を見送ってきましたが、個人的には河上隆一ですかね。彼の移籍は本当に心に刺さりました。あれがあったから兵頭も加藤も石川も前向きに見送れたような気がします。そしていつか彼が満を持して大日本プロレスに再び上がることがあるなら最高の舞台を用意してあげたいと思っていましたが…
名前をあげればキリがありません。
この10年で在籍した、そして参戦して頂いた全員に感謝しています。
アブドーラ・小林&伊東竜二
2人とは同級生なので、なんだかんだ一緒にいると気楽ではありました。業界的には大先輩なので最初はやはり距離がありましたが段々側にいても違和感がなくなりました(あくまで個人的には)。連れ立って食事に行ったりするような間柄ではありませんでしたが、途中合流の僕にとってはすごく支えでした。変な言い方ですが、この2人が頑張っていると言うことは僕が頑張って良い理由と言うか。世代交代とか、若手の躍進とか、色々な言い方はありますが、リング上の景色がどんなに変わってもこの2人は大日本プロレスの象徴です。本人たちが納得のいくところまで現役でいて欲しいし、応援し続けます。
というか多分一生現役だと思いますが。
小鹿会長
会長はいつも私のことを気にかけてくれて、みんなが北海道などのツアーに出発すると恒例のように電話がなりました。100%かぐら(@大倉山)への呼び出しです。
「俺と会ったことは言わない方が良いぞ」
と言いながら
「あんたが大日本プロレスを目立たず支えてくれてるのわかってるから」
と労ってくれました。
私の父は78歳で亡くなりましたが、その父よりも年上なのに元気でかっこいい小鹿会長にはいつまでも元気でいてほしいと思います。
登坂社長
そして前の会社で取締役という責務を全う仕切れず悶々とした日々を過ごしていた私に「一緒にやりませんか?」と声をかけてくれた登坂社長には誰よりも感謝しています。正直、社長のやりたい興行会社としての矜持を全うするべくプロレス団体と、自分が目指した今の選手たちを抱えるために必要なプロレス団体のあり方には多少の隔たりはありました。ただ「大日本プロレスの名前を残すためだけ」の会社運営をするならもっと楽な方法はいくらでもあるよね、って点は共通した認識として話していたと思います。お互いにそうではなく、いまここにいる選手、スタッフの全員をどうやって守るのか、それぞれの尺度から会社と団体運営を考えていたのでわだかまりはない(はず)です。
社長には苦言を申したり、問題提起をすることは多かったですが、人として信頼をしていたからこそ喧々諤々出来たと僕は思っています。
いや、喧々諤々とも言えないくらい社長は
「そうですね」
とあっさり受け入れたり
「プロレス団体(プロレスラー)ってこういうことなんですよ」
と、自分の経験からの打開策を提示してくれたり
「この問題は大したことないですよ」
と、どっしりとそして丁寧に説明してくれていたように感じます。「プロレス界で生きることとは」のようなものを教えて頂いた気がします。
経営者はどこまで行っても孤独です。その肩の荷を少しでも抱えたかったのは嘘偽りない気持ちですが、力足らずでした。
これからの大日本プロレス
そう言った全ての中途半端な思いなどは中谷と熊川がなんとかしてくれるかと(笑)
託すなどと偉そうなことは言いませんがこの2人がこれからの大日本プロレスを必ずや再興させてくれると信じています。
2人はタイプ的には真反対ですが、なによりも大日本プロレス愛があり、僕なんかより熱意もアイデアも行動力もある。
正解・不正解なんてことは結果で判断すれば良いし、失敗したら次の成功のキッカケ作りだと思って、自分が考える大日本プロレスのために必要と思うアクションをひたすら愚直にやっていって欲しいです。ただ、この2人は過積載しがちなところがあるのでオーバーヒートしないように誰かが見ていてほしいと願います。
※マック竹田に関しては、今しばらく温かく見守ってあげて欲しいです。いずれどのような形であれ前には進むはずです。
ファンの皆様へ
私のようなただのおじさんの写真を撮って頂けたり、時にはサインを求められたり(サインはしませんが)、差し入れを頂けたり、本当に夢のような時間を過ごしました。勘違いだけは絶対しないよう、選手の前には出ないように心がけておりましたが、もしお見苦しい点があったとしたらお詫び申し上げると共に、お会いした全てのファンの皆様に心より感謝申し上げます。
ファンの皆様にとっては私がいなければもっと選手と話せたり、楽しい時間を過ごせたのに、と言う瞬間は多々あったと思います。選手を守ること、ファンの方が平等に楽しめることが私の役目でしたのでご容赦ください。
熊ちゃんからは11月26日の新木場大会の時に「(辞めること)アナウンスしますね」と言われましたがそこはお断りしました。僕のポリシーとも違うし、興行の空気に加えるエッセンスとしては絶対に違うと断言できますが、ちゃんとご挨拶ができなかった皆様にはお詫びさせてください。
新木場大会の時、あるファンの方から「タカツカさん、元気ですか?」とお声がけいただきそんなつもりはなかったのですが、どこかで最後って思って仕事してたのかもしれず、見透かされたのかと思ってドキッとしました。
「スタッフさん大変そうだから」と言っていただき、とても嬉しかったです。
こんなことを言っておきながらひょっこりどこかの会場でお手伝いしてることもあるかもしれませんのでその際はひとつよしなに…
大日本プロレスは来年30周年を迎えます。
ファンの皆様にはひとかたならぬご支援を引き続きいただけますよう、切にお願い申し上げます。
本当に、本当にありがとうございました。
大日本プロレス
高塚英樹