引きこもりだった私が、歯科衛生士になるまでの道のり(0歳〜高校生編)

私は幼少期、極度の人見知りでした。
女の人のときは母の横に座ったり
少し動き回ることができても
親族でさえも男の人が来ると体が動かず
母にグッと顔をうずめて
動かない、言葉を発しない。そんな子供でした。

いつから男の人の前でも動いたり話せるようになったかは分かりませんが、、、

会話ができるようになったのは
バレーボールを始めた頃だと思います。


私の1番古い記憶は4歳
すっごい寒くて、風が強くて雪が横に流れてみえるなか
スキー場の休憩室から外に出るためにお父さんの後ろを歩いていてガラスの扉にぶつかり

パリーン

とガラスが割れて扉を破壊しました。

その後の記憶はありませんが
これが私の中にある1番古い記憶です。

やばい。怒られる!

人様に迷惑をかけるようなことはしてはいけない。

しっかりしないと。

と小さいながらに思ったことを覚えています。


小学校2年生


「バレー部に入ったら遊園地🐀🏰に行けるよ!」

(全国大会に出場したら行けるよという意味…笑)

子供は純粋です。
「バレー部に入ったら遊園地にいける!遊園地…いきたい!!」

私のバレーボールを始めたきっかけは
遊園地に行きたいからでした。

ボールだけではなく、手や足がとんでくるような
とても厳しい監督でした。

今となっては
それもとても貴重な経験だとおもっておりますが、
当時は、こんなことをされているのに
監督に何も言わない部員の親は
相当クレイジーだと思っていました。

ちなみに遊園地は行けませんでした(笑)
私が小学校の全国大会に出場した時は長野県でしたので善光寺に行きました。
今となってはなかなか行く機会がない長野県。
善光寺の幸せの扉を触った経験はとても貴重なものだと感謝をしています。


中学生の頃

やっと暴力から解放されるー!
と、思いきや中学は心にグサグサきました。
言葉の圧力。

今では本当に感謝しています。
副キャプテンとしてキャプテンを支えること
部員に目を配ること
様々なことが学べた3年間でした。

県選抜選手として全国の舞台に立つことができました。
みんなが受験勉強を頑張っているとき
私は後輩に混ざって部活に参加していたり
合宿や選抜練習に参加をしていました。

みんなが模試や受験勉強をしている時に
私はバレーボールをしていました。
ローファーの中に石が入っていたり、
切られたりしたこともあります。
廊下を通ると舌打ちをされたり、無視をされたり。

みんなが通い始める頃、
「バレーの推薦で高校に行きます」と塾も辞めました。

お世辞にも
勉強は大丈夫!と言えないほど壊滅的でしたので、
塾の先生には本当に止められました。

そして宣言通り
スポーツ推薦で進学校へ入学しました。

私が進学校に入れるわけがないと

裏口入学だ

お金をたくさん払ったんだ

まぁ様々なことを言われました。

もちろん、お金なんて払っていません。
裏口でもないとおもっています。
確かに、学力は全く入学できるレベルではありませんでしたが
それでも入学できたのは
私が今までバレーを頑張ってきた結果だとおもっていました。

そして、バレーボールだけ頑張っていたら
人生何とかなる!と思っていました。


高校時代

ろくに勉強をしてこなかった私は授業についていけませんでした。
当たり前として説明すらされない中学までの知識がわからない
私は授業中にみんなが何を言っているのかすら分かりませんでした。

1年生の時、目指していた
春の高校バレー(春高)に出場することになりました。
ありがたいことに東北の注目選手として
新聞にも掲載していただきました。

靴箱の靴がなくなり、
傘だての中に入っていたことがありました。

そのほかにも色々ありましたが
それでもバレーを頑張ってきました。

春高バレーは一回戦敗退となりました。

お前のせいで負けた

周りからの反応がそうきこえました。

何か心の中でプツッと切れる音がしました。

ある日、電車で学校に向かうと
急に目の前が真っ白になり
耳鳴りがして
息が苦しくなってきました。

その後も電車に乗るとそのようになるので
自転車で登校するようになりました。

教室に入ると症状が出るようになってきて
私は保健室登校するようになりました。

たまに教室に入っても授業が進みすぎていて
もはや日本語にすら聞こえませんでした。

とうとう学校にすらいけなくなりました。
部屋から出るのはトイレとお風呂や食事の時のみ

両親に泣きながら
「学校を辞めたい」と伝えて
高校を自主退学することとなりました。


バレーができなくなって
何をしたらいいのかわからなくなりました。

薬をたくさん飲んで命を絶とうとしたこともあります。

声をかけ続けてくれた両親と姉、
友達のおかげで外に出られるようになりました。

このままではダメだ…と

「すごく申し訳ないのだが高校卒業の資格が欲しい」と親に伝えて編入できる高校を受験しました。

面接時に言われたことを今でも覚えています。

なんで高校を辞めたの?頑張れなかったの?

入学してもまた辞めるかもしれないんじゃないですか?
だってパニック障害なんでしょ?

今まで勉強をしてこなかった私は
定員1名にはいることができませんでした。
チャンスをくれた両親にはすごく申し訳なかったのですが
理由があって編入しようとしている学生に
このような言葉をかけてくる教師のいる学校には
縁がなかったのだと安心してしまったことも事実です。

私の両親はすごく優しくて
高卒認定試験のために勉強ができる学校を調べてくれました。
そちらの先生はすごく優しく寄りそってくれました。

もともと進学校だったので
国語や数学の勉強は学校在籍中にほぼクリアしていて
高卒認定を取るために受ける教科もかなりすくなく
1年勉強をして取得することができました。

そして、知り合いの歯医者さんのススメもあり
歯科衛生士の専門学校に進むことになります。


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