「なぜ恋してしまうのか?展」。
茨城県立歴史館で2025年1月26日(日)まで行われている、外部プロデュースによる新企画、「なぜ恋してしまうのか?展」。興味があったので行ってみた。
※12月29日~1月1日および月曜(祝日の場合はその翌日)休館
公式Webサイトによると、
だそうで、外部プロデュースを招いた企画展になっているとのこと。
「歴史館」というだけあって、「古代から現代に至るまで、日本人の恋愛のあり方の変遷」(プレスリリースより引用)を、文学的視点に基づいて様々な角度からの展示が行われている。
さらに興味深いのは、「2124年の恋愛エッセイ」と称し、6通りの恋愛の未来を想像するエッセイ」が展示されているところ。
書き手は映画監督の岨手由貴子さん、アーティスト・歌手のコムアイさん、ライター・アクティビストの佐久間裕美子さん、音楽家のおおはた雄一さん、文化人類学者の松村圭一郎さん、小説家のカツセマサヒコさん。
なお、撮影可能な上に、「ニコニコ美術館」で解説されているので、現地に行かなくても展示概要を知ることは可能となっている。
折角なので、私からも「勝手に寄稿」しようと思う。
※性的表現は抑えていますが若干踏み込んだ表現となっています。ご容赦ください
「2124年の恋愛エッセイ」
大凡100年前。「多様な価値観」が一気に噴出し、旧来型の「こうあらねばならない」という価値観が徐々に崩れ去ろうとしていたようだ。それこそ、「男」「女」の2つしかないと、長い間信じられていた。
それよりも前には、悪ふざけで性別の「男・女」の「・」のところにマルをつけたり、いわゆる「オネエ」っぽい方をオカマやニューハーフと呼び、メディアでもてはやしたりしていたこともあったようだ。
翻って現代はどうだろうか。かつては当たり前とされてきた「男が」「女が」といった価値観はもはや絶滅危惧種となり、AIによる「コスパの良い」恋愛の提案が当たり前となってきた。
それは、古に流行った「ときめきメモリアル」とかいう恋愛シミュレーションゲームのように、AIがフラグを立てることで恋愛が進捗していくような、ゲームだか現実だかよく分からない世界、である。
インターネットを通じた「疑似」恋愛により、そこには男女を超越した世界が広がっており、それこそ美醜よりも、お互いの脳内を一致させることでドーパミンが出るような、ある意味最適化された合理的な社会。
それが良いのか否か、今は分からない。100年前の人たちもまた、「進みすぎた」現実を受け容れられない反抗勢力が、インターネット上などで盛んに「ジェンダーフリー」批判を行っていたのだから。
もはや恋愛の形に「当たり前」は存在しない。ステレオタイプなイメージで語るほど簡単なものではないし、型に嵌められたものだけを「恋愛」と表現するのは些か強引すぎと感じる。
大昔の、金子みすゞという詩人は「みんなちがって、みんないい。」と書いた。生殖としてのパートナーや「男女」という枠を超越する社会、それがいずれ受け容れられていくのではないだろうか。
※特に解説はありません
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だいぶ無茶振りしたのは、時間を持て余しているので書きたくなったと思って頂ければ。2024年もお世話になりました。2025年もどうぞ宜しくお願い致します。