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自分なりの「ポジティブ」さ

こういう環境下ということもあり、G.Wはどこにも行かなかった。何をしていたのか、といえば、ヨガやったり瞑想やったり英語やったり小説やったり……、と日々変わらないルーティンを繰り返していただけ。そういえば、自宅ヨガを始めて1年が経過した。毎日20分前後くらいのヨガなので、体型が劇的に変わることはなかったが、ヨガをやり始めてから精神的な面でかなり楽になった。数年前に比べ、環境面でのストレス要因が減ったこともあるけど、ヨガ(と瞑想)を続けていくうちに、持病の症状の出る頻度が減り、症状が出ない月もあったりした。毎年のように入院していた3~5年前(?)に比べて、かなりの進歩だと自分では思う。

だからといって、まったくのポジティブ人間に生まれ変わったわけでもなく、今でもあれこれ要らぬことで心配したり、疑心暗鬼になったり、過去を反芻したり、そういうことはよくある。周囲の反応に過敏になりやすい、という持病の特徴もあるかもしれないけど、それよりも自分はそういう性質を持って(ひとつの性格として)生まれてきたのだろう、と今では思っている。これが「受け入れる」ということなのだろうか。

以前ではなんとなく抵抗があった、「ポジティブ」という言葉に対する捉えかたも変わってきた。(今、「ポジティブ」の定義を確認しようと、wikipediaを閲覧したのだけど、「善悪という意味はない」と書かれてあり、頭が一瞬混乱した)本来のポジティブの意味とは違うかもしれないけど、わたしが考える「ポジティブ」さとは、困難が起きても問題解決を図ろうとする姿勢だ。

しんどいことがあったとき、無理やり「ポジティブシンキングしよう!」と思っても、できない。少なくとも、心のなかではそれに対し抵抗し続ける。頭で楽観的に考えていても、心が納得できないと、わたしは心身のバランスを崩す。感情を無視することは、自分を否定することに似ているとも思う。

わたしが(勝手に)考えるポジティブは、しんどいことはしんどいこととし、でもそこからどう抜け出していくのか? と打開策も考えてみるということ。現状よりも、もっといい未来にしていくためには? と視点を持つ。苦しんでいる自分の感情、心も、大事にしていきながら。

人に相談して一気にわかるものもあれば、その出来事に対して長いスパンで考えてからしか、わからないものもあるかもしれない。大切なのは、過去を振り返ったり、遠くを見たり、誰かの言葉を聞いたり、などを繰り返す。その過程で何かを学び、未来に生かすことなのではないか。

性格上、過去をくよくよ考えたりするので、「あの出来事をなかったことに……!」と嫌な出来事を簡単に削除することはできない。代わりに、そこから「何を学んだのか」を考え、それからの自分の生きる糧にしたり、もっと生きやすくなる方法を探る。そういうことの繰り返しで前に進んでいこうと思っている。それが自分なりに定義した「ポジティブ」さ、なのだ。

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