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【近況】"自分に自信を持つ”課題

お久しぶりです。先月下旬に、精神のバランスを崩してしまい、入院をしていました。先日無事に退院できて、今日は久しぶりにおいしくフィットチーネの明太マヨパスタを頂きました。退院後はなんでもおいしい!

入院中、まったく文章を書いていなかったので……この記事は、半分リハビリを兼ねて書いています。

なぜ、入院に至ったのかというと――少し抽象的なことですが、“生きている意味がわからなくなった”という虚無感に苛まれてしまったことが原因です。文学賞の落選も影響していたのかもしれませんし、姉に言われたとるに足らないこと(リモートワークだとどんどん老化していくよ)にいちいち傷ついたせいかもしれません。ひとり暮らし+コロナ禍生活の孤独さに加えて、いろいろなストレス要因が重なり、情緒が不安定になる日々が続きました。

そんななか母の大きなひと押しで(なかば圧力で)、入院が決定。2週間ちょっとの、入院生活が始まりました。

とくに薬を調整するだとか、グループワークみたいなものに参加するだとか、そういうのも一切なく。基本自室にこもって瞑想をし、夕方から夜にかけて襲ってくる不安感、孤独感、虚無感に、あらゆる対処法を看護師さんのサポートを受けながら考える日々。非常に退屈な入院生活でしたが、ある看護師さんは、「ふじこさんは病気と向き合っている。前向きだね」と褒めてくれました。

じつは、(ぜんぶがそうだとは言わないけど)精神科の看護師さんは優しくて温かいんですよ。過去の入院でも、看護師さんの言葉に救われたことは何度もありました。

ある看護師さんは、「ふじこさんは、もっと自信を持ったほうがいいと思う」と助言してくれました。看護師さんによれば、わたしは別に悪い人間でもないしおかしい人間でもないのに、自分を下げてしまっている、のだそうです。それが生きづらさに繋がっているのだと看護師さんは考えたのかな。

三十年以上生きていて、「もっと自信を持って!」と言われたことは何度もありました。主治医の先生からもよく言われます。でも、恥ずかしながら大人になっても、なかなか克服できないでいます……。

太宰治ではないけど、子どもの頃から罪悪感のようなものがあって、自分のことをどこか汚らわしい生き物のように感じて生きていました。だからなのか、何事も「自分を幸せにするため」では気力がなかなか湧かなく、「誰かのため」と思っていたほうが、頑張れるのですよね。

少し昔にNHKの番組で流れていたのですが、三島由紀夫が「ひとは弱い生き物だから自分のためには頑張れない」というようなことを言っていたのだそうです。結局のところ、「誰かの役に立ちたい」という気持ちは、弱い自分自身を救うためなのかもしれないな、と考えたりします。

話は戻って、"自分に自信を持つこと”。よく言われている簡単な言葉ですが、とても難しく感じます。自己肯定感が爆上がりまでいかなくとも、卑下しすぎないように、自然体の自分でいられるように、したいな。

おそらく、自分に自信がない(と見られるのは)のは、自分の心にやましさ(悪意・傲慢さ)があってそれを恥じているし、見られたくないから、必要以上にへりくだってしまうのだろう、と考えます。人間は完璧ではないのにね。そういう醜いなと思う感情も自分らしさ、人間らしさだと認めてあげることが大切なのかも。こんなことを、今では思います。

うーん、でもこれは人生の課題。

ともかく、無事に退院してこられてよかったです。また、創作ができますから。

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