プライヴェートの犠牲
ふと、日記のことをリサーチしていたら、こうやってネットに公開する日記を「プライヴェートを犠牲にする行為」と書かれてあった記事があって、はっとした。意識はしていないけど、確かに日記を書き起こして公開することは、プライヴェートを切り売りすることだな……と思い至る。それにしても、「犠牲」という言葉の威力の強さよ。
というわけで、プライヴェートを犠牲にする。
在宅の仕事を始めて1年(と半年?)は経つのだが、自分が思ったよりも集中力がないんだなと気づく。事務の仕事をしていたときは、単純作業の繰り返しでも苦にならず(むしろ頭の労力を使わない単純作業が好きだった)、職場の人から「よく集中途切れないね」と感心されていた。そこから自分は「集中力のあるほうだ」と少し自負をしていたが、在宅になってからはまったく集中力が続かない……。作業の合間に筋トレや瞑想を挟んだり、やたらコーヒーを飲んだりしている。
この間、仕事のモチベーションを上げるために、カマンベールチーズを買った。それから、カマンベールチーズをちびちびと食べながら、作業をしている。それで作業が捗ったのかは疑問だが、それにしてもカマンベールチーズのおいしさよ。
食に関しては、あまり執着はないものの、ときどき自炊はする。とはいっても、料理アプリに載ってる時短で作れる副菜と、お肉に味つけして焼くだけ。他の野菜より低コストで、わりと調理しやすい(と感じる)小松菜は、いろいろ重宝しているから毎回買ってしまう。小松菜に関しては、最初のうちは炒め物しかしていなかったけど、のちのち油揚げと一緒にナムルにできると知り、さらには茹でてツナと一緒にポン酢で和えるのもおいしいということで、小松菜のサイクルが止まらない。
おひとり様、というのがいいのかもしれない。家族に作ってあげようと思うと、魚が嫌い、肉が食べられない、なんて好き嫌いがあり、でなくともできる料理のレパートリーが少ないわたしは、何を作ればいいのかわからなくなる。とにかく、誰かに作ってあげる、というのは、(それぞれの好みや健康上の理由を考慮するという点で)頭を使うので大変だ。
徹底して個人プレーで生きていくのが、自分に合っているのかもしれない。なんて考えたら、孤独死の未来が見えているのだが、それは置いておこう。
しばらく(3か月くらい?)の間、ほとんど食費にしかお金を使わなかったので、ひとり暮らしを始めたわりには、手元のお金が減らなかった。ということで、何か自分へのご褒美に本を買おうと思った。わたしは読むほとんどの本を、図書館に依存している。書店であまり本を買わない理由として、①本を置くスペースがそんなにないこと、②買った本はなぜかあまり読まないこと、③地元の書店に置かれている本のラインナップがあまりそそられない、ということが挙げられる。もちろん、話題作などは並べられるのだけど、個人的に話題作にはあまり興味を持てないので(煽られているのだか、本当に面白い小説なのだかわからない)、滅多に手にすることはない。ひとまず図書館で読んでから、ということになる。
それで今日、地元の書店に寄り、「とりあえず無難に」古典小説を買うことにした。ドストエフスキーの「罪と罰」だ。「罪と罰」は、学生時代に一読したことがあり、にもかかわらず、あまり読み込めてなく記憶が薄い。学生時代に「罪と罰」を手にとった背景として、とにかくその頃の自分は、心を病んでいた。それで、その当時の自分が発している波長と合うような、題名の小説に手が伸びたのだ。今でもあまり変わり映えしないけど、当時も小説を(物語の重たさ、深さに限らず)、表面をすらすらと読んでいくような読み方で読んでしまっていた。
物語として面白かった、みたいな感想は残ったが、それだけしか残らなかった。なので、あれから幾ばくかの時を経て、今読み返すのもありだなと思った。
ほかにも読み返したい名作はいくつかある。ドストエフスキーの長編、ヘルマン・ヘッセ(だいたい一読はしたが記憶は薄い)、トルストイ(戦争と平和は挫折した)、ゲーテ(とくにウェルテル!)などなど。軽くリストアップしたけど、現在借りている本や買った本がまだあるし、読むのが遅いので、手を伸ばすのにはまだ時間がかかりそうだ。
新規開拓しながら、過去に通り過ぎた物語を振り返り、読書を深めていきたい。
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