【創作雑談】(なかばむりやり)文学賞に応募しました
前回、脱稿できたと報告した小説を文学賞に応募しました。10月15日〆(郵送では10月末〆)の群像新人賞ですね。締め切り日が迫り、十分な推敲もできないな……とはやばや諦め、手ごたえを感じないまま(なかばむりやり)応募してしまいました。
悔いはあるものの、なにはともあれ秋の賞はこれで終わりです。残すは、12月〆の太宰治賞なのですが、カレンダー見たらもう2か月ほどしかないという……。今から馬力かけて、リサーチ→構想立て(プロット)→執筆まで行ったとしても、今回の群像と同じく、推敲にかける時間はないですね。反省点を言えば、ゆっくりしすぎてしまったようです。
今年を振り返ると、公募に出したものは以下のふたつ。
・すばる文学賞
・群像新人賞
すばる文学賞に関しては、もう結果はでているのですが、地元書店にすばる(文芸誌)がなかったのもあり確認していません。頼みの綱は図書館ですね。でもいつもどおり落選なんだろうなー、と思うと、図書館で予約とるのは少し腰が重いのですよ。
年始に掲げた目標※はあえなくついえてしまったのですが、
(※年始に掲げた目標→とにかく「書く」年にしたい。できれば5本以上応募する……という無謀な野望です
今年の残りわずか、マイペースに小説に向かいたいと思います。
現状といたしましては、
間に合う合わない関係なく、太宰治賞に向けて構想を練っている最中です。具体的には、人物造形を固めるために、調べものをしているところ。仕事でも研究論文や専門家のインタビューをリサーチする作業があるのですが、それと似ていて、「なんか仕事しているみたい……」と感じています。別に、それが不快というわけでもなく。振り返ってみて、仕事で培われたスキル(と言っていいものか)を、創作活動で活かしていなかったなあ、とぼんやりとした所感を抱いたものです。
話を元に戻すと。人物造形のために調べものをするって、いいですね。今まで想像や個人的な偏見や、経験則で人物を作っていたのですけど、リサーチしながらだと、固定観念みたいなものが少し破かれ、今までよりも登場人物が立体的に浮き上がってくるような、そんな感覚がします。
そこで思い出したのが、わたしの好きな太宰治の「ろまん灯籠」という作品です。それは家族が一家団欒としたときに、五人兄妹で物語を連作で作り上げていく、というお話。兄妹が連作で物語を完了したあとに、すべての話を聞き終えた読み手である祖父が指摘するのですよね。主人公(や副主人公)をとりまく、親たちのことが書かれていないではないか、と。
これは、物語を作る書き手の盲点だなと気づいたのです。
どういう家庭環境で生まれたのか、母親は干渉的、または無関心であるとか、父親の存在感の強弱やどういう思想を持っているのか、また子ども時代に関わった同世代の子は、攻撃的、あるいは弱かったのか、など、主人公をとりまく周辺に想像をめぐらしていくことで、人物像が掴めていくものだと。
そして、それまでパソコンの前に向かっても、書き進められなかったのは人物像が掴めていなかったから。それは、人物像の周辺および環境を詳細に描くことをしていなかったからなのだな、と。
おもに人の心理についてリサーチをすると、いろいろ(背景にある環境要因などが)でてくるわけですよ。うのみにすると、またもやステレオタイプな見方になってしまうのですが、それでも人物を作り上げる(生み出す)材料としては頼もしい支えとなるはず。
そして、Googleがあってほんとうによかったなあ……と感じています。研究データとか、一部だけど閲覧することができますものね。しかも、それをわかりやすく解説してくれるブログがあったりするもので、知識量や理解力が劣っていてもある程度はわかるようになるものです。
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応募報告をしたつもりが、とりとめない話になってしまいました。なにはともあれ、今年の残り、ギリギリまで踏ん張ってみます。同じく賞に応募する方のご健闘を祈っています……!
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