ポメラ愛
ポメラという存在を知ったのは、小説家志望さんのブログだったと思う。でも記憶があやふやなので、もしかしたらTwitterだったのかもしれないし、作家さんのインタビューにでてきたからなのかもしれない。ともかく、「ポメラ」が一体なんなのかよくわからずに、作家志望界隈によく頻出するその物体を求め、当時の私(四年くらい前)はポメラを探しに家電店に入った。
一応は調べた。ただ、集中して文章を書くことに適していることと、その物のコンパクトさから、どこでも持ち運べて外でも執筆できること。でもそれくらいのことしか知らない。初めて買ったのはDM100という機種。辞書機能搭載、薄い軽い、立ち上がりが早い、ネットには繋げられないが、SDカードは使える。(一体これのなにが作家志望をひきつけるのか)と半分疑いながら、PCで書くことをやめ、ポメラで書くようになった。初めは、フォントが丸っこいので(wordのほうが見た目はいいな)と感じながら、(なれないなあ)と思いながら使っていた。でもそのうち、見た目のことは気にならなくなり、ポメラで書くのが習慣化され、そのポメラを四年くらい使いこんだ。
DM100の思い入れはすごく強いというほどでもないが、でもある。これで、300枚以上の小説を書いたし、掌編も20作は書いたと思う。やみくもに作品を書いたので合計でどれほどこのポメラで作品が生まれたかはわからないし、数える気もないが、とにかくポメラを使いこんだ。仕事から帰るとポメラを開き、休日になると自室にこもりポメラを開き、ちょっと気晴らしにカフェでポメラを開く。ポメラなしには原稿を上げられることはできなくなった。
DM30が出てき始めた頃、電子ペーパーを搭載していて目には優しい、という文句に食いついた眼精疲労持ちの私は、DM30を購入した。DM30は、100に比べて、反応が遅いことがあるが、でも大した差ではない。なにより「目に優しい」(らしい)。今年の夏あたりに買ったので、それほど使っていないが、でもこれで掌編3本、短編1本は書いた(そして今現在中編を書いている最中)。
DM100はお払い箱となっているが、どうしても捨てられない。再度いうが、思い入れはすごく強いわけではない。でも、ないわけではないので、捨てられないのだ。DM100で戦ってきた(創作は常に静かな戦いだ……)その名残りが、その物に宿っている気がする。私は過去を捨てられない人間である。つまり、手紙をやすやすと捨てられず、思い出もやすやすとは捨てられない。だからDM100は使わないが、とってある。
作家(志望)界隈には、ポメラニアンによるポメラ愛が存在する(らしい)。私もポメラニアン(らしい)なので、一応はポメラ愛が存在しているみたいだ。でも、必要最低限の機能しか使わない。つい最近、文末にカーソルを移動させる方法を知ったばかりだ(遅い)。
カフェでポメラを使っているひとを見ると(おや)と思う。そして、(どの機種だろう)と、遠目から探る行為をしている自分がいる。ポメラニアンを身近で確認するのは、めったにないことなので、ちょっとうれしい。使いやすいよね、ポメラ。と、心でなれなれしくいいながら、本日もポメラで書いています。
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