【愚痴】わかり合えない人たち

最近いろいろありまして、申し訳ありませんがここで愚痴を吐かせてください。

いろいろというのは、家族との関係がうまくいっていないということ。口を聞けないくらいひどい状態ではないのですが、どうも話が通じないというか、わかり合えないことが多々あり、距離を置いています。

主に姉と母なのですが、(このふたりが人として悪いということではなく)人の気持ちがわからない、あるいは空気が読めないのですよね。

たとえばわたしが(精神科に)入院するとき、通常なら元気になって帰ってきてね、みたいなことを言うか、あるいは黙って見送るか、どちらかと思うのですが……わたしが言われた言葉が「入院して反省してこい」でした。なかなかひどいよね。

「なんで(精神科から)早く退院してくるんだ?」とも、言われたことがあります。普通の口調ではなく、怒鳴る様子で。そのとき言った側が、疲れていたということもありますが、いまだにわたしは根に持っています……。

そういう配慮に欠けることがいくつかあって、疲れてしまいました。こちら側から「あの言葉がつらかった」と伝えたことがありましたが、相手を逆上させる一方で、なんの解決にもなりません。昔よく親切な人から”本当のことを言ったほうがいい”と諭されたことが何度かありましたが、あれは「本当のことを受け入れられる人」のみ適応されるものだと今では思っています。

最近決定的だったのは、母との会話ですね。何かズレを感じることがあり、帰宅してからものすごく疲れて、鬱感情がひどく襲ってきました。もう母の話(愚痴不満自慢どうでもいい話など)につき合うのは、精神的につらいなと感じた次第です。母親を頼っている、自立できない節があるのは自分でも認めていますが、精神的な面を考慮すると、母との距離が近いとストレスが溜まるので思い切って距離をとったほうがいいのかもと思いました。

唯一の救いは、訪問看護に来てくれる看護師さん。彼女はわたしのことを本当に心配してくださり(なおかつ母も姉も否定せず)、「ふじこさん、ひとりで抱えこまないでね」と言ってくれました。不謹慎なことを言いますが、自分が障碍者でよかったなと思いました。でなければ、こういう支援も受けられず、家族との付き合いがうまくいかないことでひとり悩んでいただろうと思いますから。

完全なるひとり暮らしの悩みは、食事と買い物とお金と孤独ですね。食事と買い物はなんとかなるかもしれませんが(ネットスーパーや冷凍食品を活用すれば)、お金と孤独は簡単には変えられません。現在の収入を明かすと月14万以下くらいで暮らしています。わたしは浪費家ではないですが、なかなか厳しいです。あまり切り詰めても、生活の満足度が下がりますし。

孤独もなんとかなるものではなく。幸いなことに、支援者がいるので週に1回くらいは顔見知りの人と話せる機会はあるものの、友人はみな絶縁している(絶縁したりされたりです)ので、ときどき寂しさが訪れます。読書や運動をするとき、孤独感は薄れるのですが。この状態が続くとまた「わたしはなんのために生きているのだろう……」と虚しさを感じるだろうと思います。

とはいえ、「現状を変えよう!」と奮起するのもエネルギーがいるもので。自分なりに努力をしてきたつもりですが、もともと要領が悪いので現状をよくする努力ができず、また、どういう努力をすればよくなるのかもわかりません。いろいろ八方塞がりというわけです。

うーん、難しいね。

***

できるだけ、自己憐憫(わたしってかわいそう)にならないよう、気をつけて書きました。というのも、昔、ネットでバーチャルにつき合っていた人から怒られたことがあり……。わたしがSNSに愚痴を吐くことをしていて(内向的な人の発散方法ですね)、で彼もそれなりにつらい過去を抱えていたのですね。きっとわたしが「自分だけが苦しい」思いをしていると思い込んでいる、と感じたのでしょう。実際、そのことを指摘され、かなりの長文で(メールで)叱られました。

”人の不幸は蜜の味”という言葉もありますが、不幸自慢は苦しみを抱えている人にとっていとわしいものなのですよね。叱られた長文メールのなかに「僕だって……」という彼の苦しい過去が綴られていました。もう内容はほとんど覚えていないのですが、”みんなつらい思いをしている”というようなことを書いていました。

いやでもね。とわたしは思うのですが、”みんなつらい思いをしている”のあとに続く言葉はなんなのだろう、と。「みんなつらい思いをしているから、君はひとりじゃない」という慰めなのか、「みんなつらい思いをしているから、君は甘えているんだ」という叱責なのか。彼の場合、後者を伝えたかったのだと思うのですが。

わたしが「みんなつらい思いをしているから、わたしはひとりじゃない」に近い気持ちになったのは、小説のなかです。ウィリアム・トレヴァーの作品を読むと、誰しもが抗えられない不条理な現実社会で生きており、それぞれの悩みや葛藤を受け入れ(何かを諦め)ています。だからトレヴァーの作品を読むと、自分の悩みが小さく感じられるのですよね。それはわたしの悩みがとるに足りないものという意味ではなく、俯瞰して見られるというか。

小説というのは、そういうもの(普段語られない人間の本来の弱い姿を描く)なのではないか、とわたしは思ったりします。「マイノリティを書かなけければ」と思わなくとも、それぞれの人生を丁寧に描写していけば、何かしら弱い人間像(とその人生)が浮かびあがってくるはず。

これはどこそこの文豪が言ったわけでもなく、あくまでも持論ですが。

とりとめなく書きましたが、まあ現実の人生はつらいよね。誰しもが環境や人生の障害などで弱くなる可能性があって、そんななか生きているわたしたち人間って、すごい力があると思いませんか。




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