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空想少女

 去年の夏頃から田中先輩とつきあっている。つきあう以前から、わたしは田中先輩に憧れを抱いていたのだけれど、なかなか声をかけられなかった。でもそれは田中先輩も同じだったようだ。渡り廊下や、昇降口や、駐輪場でふいにすれ違うわたしをみて、田中先輩は、わたしのことをいいな、と思っていたといっている。どこが良かったの? と聞くと、うーん、と考え巡らしてからのち、にこっと笑い「優しい雰囲気」といった。
 田中先輩とはよく図書館デートする。ああみえても(田中先輩はちょっとちゃらい)、先輩は一応文学青年ではある。最近読んだ本をわたしに勧めてくるけど、わたしは本を読むのが遅いので、それがちょっと迷惑でもあったりする。図書館では、ラウンジに座ってふたりでそれぞれ別の本を読んだり、飽きたらテーブルの下で手をつないだり、足を蹴り合ったりして、いちゃつく。そして帰り際、田中先輩は、わたしの耳元に唇を寄せて、「ちょっとしたい」と声をもらす。わたしはそのとき、いつも腰がくだけそうになる。したい、というのはわたしたちではキスのことだ。田中先輩とわたしは、傍にひとがいないことを確認して、キスをする。だいたい、五分くらいしている。
 
 というようなことをいつも就寝前に空想するのがわたしの日課だ。

 実際のわたしと田中先輩は、なんの接点もない。もちろん、つきあっているわけがないし、田中先輩のほうはわたしのことを認知しているのかさえ不明だ。友人の桃は田中先輩の友達である片桐先輩に恋をしているので、わたしにとって都合が良い。桃は割と積極的ではあるので、片桐先輩ウォッチングにわたしを連れていく。けれど、告白するくらいの積極性を桃は持っていないので、わたしと桃は念写できるくらい先輩たちの姿を目に焼きつける。
「ところで茜は田中先輩のどこがいいの?」
 と桃に改めて今日聞かれてすかさずわたしは、「顔面」と即答した。桃はわたしの面食いを揶揄しようとしていたけれど、桃こそ片桐先輩の見た目にしか惚れていないことはわたしにはわかっていた。田中先輩の顔面はすごくきれい、というほどでもないが、わたしの好みだった。定規を引いてそろえたような前髪の重さも好きだし、脱いだら貧相だとわかる華奢な身体つきも好きだった。でも、田中先輩の中身についてはさして興味がなかった。
 というのも、田中先輩のSNSがはっきりいってうざいからだ。
「また田中先輩、リア自慢してたんだけど」
 先輩ウォッチングが終わり、廊下を歩きながらわたしは桃に携帯をみせた。桃は携帯に映しだされた田中先輩とその彼女の加工された写真をみて、「それみた」といった。
「ねー、ほんとさ田中先輩ってSNSで盛るよね」
「盛りたいんじゃない? でも必死さがみえるところがちょっとかわいいよね」
 田中先輩はけっこうツィートを更新する。更新しすぎて、もはや実況になっている。とくに彼女とデートするときは逐一呟かずにはいられないので、多少盛ってはいるけれど、彼女とのデートの詳細がこちらにも把握できてしまう。そういうのをみて桃は、「でもさ、茜はこういうのよく耐えられるよね」
 と、まるでわたしの彼氏がネットで浮気報告をしているかのようなニュアンスをこめていった。
「まあ、わたしは田中先輩の顔しか興味ないしねー」
 といったあとで、田中先輩に対してひどい発言だったかな、とちょっとだけ思った。
「わたしは片桐先輩にもし彼女ができて……、てかもうできてるのかもしれないけど、そしたらずっとSNSでは隠していてほしいな」
 そんなことを影でみているだけなのに、切実な顔でいっている桃をかわいいと思う。告ってしまえ、と何度か桃にいったことはあるが、そのたび桃は「だって顔が!」というので、やはり顔面至上主義には変わりないのだなと思った。

 そんな会話をしているうちに、田中先輩はまた呟いていた。
「彼女が俺の髪色変えてみたら? とかいうから今度色変えるっかなーと思うんすけど。どんな色が似合うかリプ」
 といってたぶん先ほど教室で撮った自撮りを晒した。わたしは裏垢で、そのツィートにいいねを押した。

 その日の夜もふだん通り、ベッドで寝ながら田中先輩との空想を楽しんだ。今日もわたしたちは図書館でデートをした。田中先輩は、ラディゲの「肉体の悪魔」を読み、わたしは島崎藤村の「破戒」を読んでいた。すると、ふと、田中先輩は本を閉じてテーブルの上に肘をつき、物思いに耽っているような、どこかアンニュイな表情をみせた。わたしも本を置いて、田中先輩の肩をそっと叩き「どうしたの?」と聞いてみた。田中先輩は、わたしの手を掴んで、「俺、お前に見合う男かな……と考えていたんだ」という科白を吐いた。わたしは空想とはいえ、どきり、とした。

「どうしてそんなことを思うの?」
「だって……俺、なんつーか、ちゃらいじゃん」
「ちゃらいところも好きだよ」
「茜はそういってくれるけど、他のやつらからみて、俺とお前、釣り合ってんのかなーってときどき不安になる」
 わたしはくすっと上品に笑った。
「そんなのわたし気にしないよ? 周りがどう思うかなんてわたしたちには関係ないじゃない」
 先輩は握っているわたしの手を引っ張り引き寄せた。わたしはどきどきして、顔が真っ赤になる。なにすんの、と必死に抗って離れるがまた引き寄せられてしまう。先輩はにたにた笑いながら「お前、さいっこーに天使だな」という。
 
 あぁ、さいっこー。と思いながら、そのシーンを繰り返し繰り返し頭のなかに蘇らせては、唾液を何度か飲みくだした。

 田中先輩が不審なツィートをするようになったのは、その数週間後だった。
「どうやら、田中先輩別れたらしいよ」
 という桃からのメッセージが来て、そういえば最近ツィートしていなかもなと先輩のアカウントを確認した。先輩は、例のリア充呟きをやめたのか、それとも発信する材料がないせいなのか、ひたすら「人生ってなんの意味があんすかね」「生きていることに意味を求めるからしんどくなるんすかね」「誰かを信じることをやめたら楽になるんすかね、それってすっげ虚しいことですよね」と、ネガティブなことばかり呟いていた。これは明らかに、「完全に別れたな」と桃へ返信を打った。桃からは「茜チャンス!」と来たけれど、そもそもわたし、田中先輩の見た目にしか興味ないし、と変わらず素っ気ない返信を送った。
 
 後日、桃とミスドで「先輩別れた会議」を開催して、その真相について憶測をいいあった。桃は初め、彼女の不貞を疑っていたけれど、そこはわたしが異議を唱え、「先輩のSNSでのチャラさに愛想つかした」という説を持ちだしたところ、最終的にふたりの憶測はそこに着地した。
 わたしたちは、先輩が別れたことで、先輩への同情混じりの妙な親近感を抱き、同時になぜだか安心感さえ持った。「うちらってけっこう性格悪いよね」という自覚を抱いたけれど、でも偽りで先輩をかわいそう、というのもそれはそれで先輩に対して失礼だとも思っていた。
 そんなときに、桃の携帯が鳴った。それは通知音で、桃が携帯の画面をみたときに、桃の顔が一瞬で石になった。「どうした?」といって、画面を覗くとどうやら片桐先輩のツィートが更新されたみたいだった。
「……彼女ができたって」
 桃はそれからわたしの前で笑い顔をみせなくなった。たまに、わたしが変なことをいうと笑ってくれたが、すぐにまた石の顔になった。
 桃もショックだろうけれど、それ以前にこのタイミングで彼女できたと発表して田中先輩はどう思うんだろう、と気になった。そして、そのタイミングで発表した片桐先輩はなかなかの男ではないか、とも思ったりした。

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