なぜ日本ではマウンティングは女性に起こりがちなのか?(シン・社会学)
画像はAIに「マウンティング(山登り)で競い合う3人の女性」で描かせたものです。違う、そうじゃないw
先日、ある方とお話していて、あ、このテーマの記事を書くつもりだったのに書いてなかった、ということにふと気づきまして、すぐに書かないとまた忘れそうですので記事化しておきます。
まずは、こちらの動画をご覧ください。
ということで、今日はマウントのお話です。
今回、紹介したいのは、心理学者である 森 裕子先生の「マウンティングエピソードの収集とその分類:隠蔽された格付け争いと女性の傷つき」という論文です。(石丸先生との共著ですね。)
この研究の中では、マウンティングは、「女性同士の関係性の中で「自分の方が立場が上」であると思いたいために,言葉や態度で自分の優位性を誇示してしまう現象」として扱われています。論文の概要を紹介してみましょう。
シン・社会学では、理論の有用性を重視しており、世の中で紹介されている様々なフレームワークのうち、確かに、このフレームワークで説明すると説明がつくね、というものを紹介しています。
詳しい内容については、上記の文章を読んでいただくとして、わかりやすくするために、図にしてみました。
こういう話をすると、いやいや、マウントを取るのは女性だけじゃないじゃん、男性もあるでしょ、という話になるかと思うのですが、論文にも書かれているように、男性はもっとシンプルな世界に生きています。
例えば、若い男性同士で集まったとして、誰かがモテモテだった場合、一瞬はマウントみたいになりますが、すぐに、いいなー、誰か紹介してよ、合コン設定してよ、みたいになります。誰かが稼いでいる、という話になれば、じゃあ、おごってよ、となり、なぜかマウントが「シェアしろ」という風になります。
女性の場合には、マウントの方向性3軸がそれぞれ同時には成り立ちにくいものになっているので、マウンティングでの勝ち負けが判定しにくく、したがって、長引くか、対立のまま終わる、ということが起こりやすい、ということを研究しているものです。
具体例を見ていきましょう。
こちらのヤフーの記事の例がわかりやすいです。
引用します。
いかがでしょうか。もちろん、これらの発言は、意図的にマウントとして発せられることもあるかとは思いますが、逆に、本人の価値観に基づいて発した発言が、マウントと取られることもあるでしょう。しかし、本人は無自覚でも、3軸のある軸についての話を他の軸の話にずらされた、と感じることが、マウントを生み出していると考えると、この問題はなかなか闇が深い問題のように思えます。
一応、お断りしておきますが、この問題は、女性が別にその生物学的特徴からそうなっている、という話ではなく、あくまでも社会が女性に要求している役割が分裂している、という問題だと思っています。
もう少し詳しく見ていきましょう。こちらのフレームワークをあてはめてみたいと思います。
<伝統的な女性としての地位・能力>はわかりやすくて、社会資本を得ている、と考えられます。<人間としての地位・能力>は人的資本を持っている、ということでしょう。では、<女性としての性的魅力>は、といえば、これも人的資本になる、というのが女性特有のところかと思います。
もちろん、<女性としての性的魅力>の結果として<伝統的な女性としての地位・能力>ということも考えられますが、この場合、そのまま<女性としての性的魅力>を保持し続けることは考えにくく、資本を<伝統的な女性としての地位・能力>に振り替える、ということになるかと思います。
男性はどうでしょう。<男性としての性的魅力>は人的資本になりうるのでしょうか? アイドルや配信者、ホストなどのお仕事だったらあるのかもしれませんが、一般には、特に組織では、ここは無視されているのではないのかな、と思います。(個人事業であれば、若干、影響はあるかもしれません。)
ここに、ちょっと何か違和感を感じます。
やはり、日本社会においては、意思決定者が圧倒的に男性が多く、そうなると、<男性としての性的魅力>は意思決定のパラメータから無視されやすい。逆に、<女性としての性的魅力>は意思決定のパラメータに入れられやすい、ということはあるのかもしれません。
世の中の風潮として、魅力的な女性が居てお酒を飲む空間は、ガールズバーからキャバクラから、クラブからラウンジと、低価格のものから高価格帯まで存在しています。ということは、それだけ<女性としての性的魅力>を金融資本に変換できる場所がたくさんある、ということかと思います。
一方で、魅力的な男性が居てお酒を飲む空間、となると、ホストクラブくらいしか思いつかず、例えば、ビジネスの接待で女性経営者たちがそこで商談をする、なんてイメージは、私が知らないだけかもしれませんが、ちょっと商売的に成り立っていないような気もします。
政治家、経営者、その他、社会に影響力を持つ女性が半数以上になって均等になれば、もしかしたら男性の中でもマウンティングが始まるのかもしれません。
取材記事の中で、森先生は、
とおっしゃっていますが、女性だけのものではない、という声も寄せられたようですが、シン・社会学の考え方としては、こういう非建設的な細かいツッコミを入れることで、理論全体が破綻するというものでもなく、こういう傾向がある、ということがわかると、救われる人が多いなら、それは有用な理論なんではないかな、と思うわけです。
・三すくみは女性だけではない
・男性もひとつの評価軸だけでは決まらない
こういう否定形での批判は、まあ、無視していいのではないか、と思います。
・男性の三すくみの形はこうだ
・実際には男性が評価される軸はこうだ
という建設的な意見が言える人が、日本でも増えたらいいのにな、と思ったのでした。
ただ、若い世代では、ちょっと変化がありそうだ、というニュースもありました。
これまたヤフーニュースでした。
引用します。
これは、下記の記事で書いたことにもつながる話です。
結婚観の変化、なんて記事もありました。
もちろん、世の中、結婚だけではないですが、これが事実であり、こういう考え方が主流になってくると、結婚=経済的安定、ではなくなってきます。また、共働きが普通になるでしょうから、家庭のこともやりながら仕事もしている、というのが当たり前になってくる(既になっている気もしますが)かと思います。
しかし、現実の社会よりも文化と言いますか、価値観というのは親世代からの影響もあり、変化するのがなかなかに遅いので、女性が、<伝統的な女性としての地位・能力><人間としての地位・能力><女性としての性的魅力>の3つの力を同時に持つことが求められ、なおかつ男性にも<伝統的な男性としての地位・能力><人間としての地位・能力><男性としての性的魅力>を求めるような、そんな社会になれば、(若干、大変かもしれませんが、)社会的性差のない社会がやってくるんではないでしょうか?
そういう意味でも、最近、個人的に思っているのが、日本のおっさんの美的センスの無さはなんとかならないか、ということです。
ここではおっさんを、「収入のうち一定の割合をプレゼンスのために使っていない年配男性」と定義します。
ダブダブで個性のないダークスーツ、おっさん臭ただよう彼らを見ていると、給料はどこに消えているのかな、と思ってしまいます。
実は、いちばん諦めているのが奥さんだとしたら、それもなんだか可哀そうな気がします。
せめて会社の役職にある人には、それは会社の広報上の問題として、もっと自分のプレゼンスに気を遣ってもらって欲しいなぁ、と私は個人的に思っているのですが、今の社会は男性に甘いですよね。
もっと、女性が経済的安定以外の要素を重視して結婚するようになり、男性のプレゼンスにもまっとうに厳しい社会になったら、もしかしたら、今回、紹介したような、女性のマウティングの状況も、また変わってくるのかもしれません。
なお、森先生ですが、noteでマウント研究先を募集されていたようです。今でも募集されているのかはわかりませんが、一応、リンクしておきます。
現場からは以上です。
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