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なぜプロコーチが麻雀に興味を持つのか?

このnoteは筆者が興味関心を持っているものを理論化体系化するために、その時々の関心に基づいて記事化しているものです。ときどき連続投稿したり、しばらくサボったりしながら、様々な記事をアップしていきます。(いずれ、ある分野のコンテンツがまとまったら、まとめてみてもいいかもしれません。)

そして今回のテーマは、麻雀です。ちなみに、筆者が現在、主に(ときどき)やっているのは主にアプリでの麻雀ですが、

雀魂:雀傑2
麻雀格闘倶楽部Sp:黄龍Lv.6

くらいのレベルで、まあ、普通の人です。
で、このアプリの麻雀が物足りないな、と思って最近、リアルでの麻雀をやる場を作り始めました。

で、今回は、なんで麻雀なの?と思われることも多そうなので、その考えを説明する文章を書いておきたいと思います。

なぜプロコーチが麻雀に興味を持つのか?

ここ数年、コーチングをしていて、ひとつ、これは変えられないけど理解しておくと良さそうだな、と思ってきたものに、「運気」というものがあります。スキルとか能力の上に、結果に大きく影響を与える「運気」というもの。この正体を明らかにすることで、何かコーチングにも参考にならないかな、と思ったのです。

そこで、様々な占いに興味を持ち、いろいろ調べました。実際、自分も陰陽五行を学ぶ塾にも入り、学んでいたのですが、そこでのツールをデモコーチングに取り入れてみたものの、決して納得度が高くならないし、その人の個性を表現するツールとしては使えるけど、意思決定や行動をサポートするツールにはなりにくく、どちらかというと規制する側に回ってしまう可能性が高そうだな、という感覚になりました。

そんな占い系の勉強の後で、麻雀に出会い、これはもしかしたら、運気のトレーニングに使えるんじゃないの?と思ったのです。

運気には2種類ある

私は、運気には2種類あると思っています。良い運気と悪い運気です。正確にはそのどちらでもない、普通があって、これが運気のエネルギーが無い状態です。

もう少し細かく説明すると、運気は運量というエネルギーで表現されます。運量はエネルギーですから、そこに良いも悪いもありません。例えば、何かの勝負事で、実力ではなくラッキーで勝つことができたとすれば、そこには運量が高く、そのエネルギーが良い発現をした、つまりは「運が良かった」「ついていた」「ラッキーだった」ということになります。逆に何もなく負けた場合には、運量が発現しなかった、ということになります。で、実はもうひとつあって、運量が悪い方に発現する場合。これは、決して良いことが起こったわけではないですが、だいたい、何か大きなことをやらかすことになり、これを私は、「持っている」と呼んでいます。

例えば、国士無双を上がった人は運を持っているのは間違いないですが、そこに振り込んだ人も、何か持っている、と思った方が良い、という考え方です。それはやはり運であり、それが「勝つ」方ではなく、「悪目立ちする」方に出てしまっただけのことかと。

【超豪華弁当争奪】サクラナイツ最強決定戦2023からの学び

このことを強く思ったのは、麻雀のプロリーグであるMリーグの公式チームのひとつ、KADOKAWAサクラナイツの行った、チーム内麻雀大会の動画「【超豪華弁当争奪】サクラナイツ最強決定戦2023」です。4人全員Mリーガーですから、麻雀の実力は全員、折り紙つき。では、誰が勝つのか?という観点ではなく、誰が持っているのか?という観点で見ると、評価が変わってきます。

逆に言うと、持っている人が居ないとエンタメって成り立たないんだなぁ、と思いました。

詳しく説明すると、ネタバレになってしまいますので、御興味ある方は動画のリンクを貼っておきますのでご覧ください。

ところで、この動画の実況もしている日吉達哉さんですが、もともとプロ雀士ですが、麻雀に古舘伊知郎さんばりのプロレス的な実況も取り入れて、そのアイデアもそうですが、そこにMリーグが始まって第一人者として成功されていて、この方も持っている人だなーと思っています。

「神様はサイコロ遊びをしない」という思い込みを超えて

この「運量を持っている」人の能力というのは確かにあって、対局的には変えられないものがあるんだけれども、それでも人の意思決定や行動で少し流れを変えることができて、結果として「運量を持ってくる」ことができるのではないか、ということは思っていて、麻雀はそれをとても見えやすい形で示してくれていると思っています。

運とか運量とか言うと、なにやら非科学的に思う方もいらっしゃるかと思いますが、この世界が確率論的な世界であることは、量子力学が証明しています。世界のすべては物理法則によって支配されていますから、この世界で確率論的な意思決定ができるなら、それは運気を変えられると言ってもいいのではないかな、と思っています。

アインシュタインは晩年、「神様はサイコロ遊びをしない」という有名な言葉を残しています。これは確率論的な宇宙観に最後まで抵抗を示していたことを示す言葉です。

あの天才アインシュタインも受け入れられなかった確率論的な世界。現在ではVUCAという言い方で、不確実な世界なんてことも言います。そんな不確かな世界でも生き残れる「運気」を理解し、使いこなす能力。

もちろん、量子力学の確率論の話は微視的世界の話なので、それをそのまま我々の生活圏に持ち込むことはできません。しかし、もし、万が一、世界がフラクタクルな構造によって成り立っているとしたら、その目に見える形でのトレーニングが、麻雀によってできるかもしれない。

このように考えて、麻雀に興味を持ったのです。

日本で教育を受けると、子どもはまずは自分に対する自信を失います。強みや得意分野ではなく、できないこと、不得手なことばかり指摘され、自己肯定感をどんどん下げられます。本来、子どもは万能感があって、なんでもできる、という自信を持っているはずです。しかし、実際にはうまくいかないこともあって、それを左右するのが大人の世界では、実力よりも運気だったりするのですが、そこに至るまでに自己肯定感をボコボコにされてしまうので、その考えに至らず、自分の実力不足、才能不足だと思ったり、頭が悪いから、とか思ったりします。さらに最近では、運というものは人が介入できないので、それを「ガチャ」と無力感を表現することも流行っているようです。なんとも悲しいというか、情けない現状です。

神様がサイコロ遊びをするのなら、まだまだここからチャンスがある。そう思える自信されあれば、まだまだ日本もイケると思っています。

「運のトレーニング」のための麻雀活用、という可能性

実際、YouTubeなどで、様々な競技麻雀のプロ雀士の話を聴いていくと、彼らが基本的には麻雀が運要素が強いゲームであることを理解しつつも、それでも強くなるために、様々な情報からの読みを入れていることがわかります。その読みを飛び越えてしまうところがあって、それが運量なんだろうな、と思ったのです。

麻雀にはこの運のトレーニングの場を創り出すために、様々な仕掛けがあって、ルール自体がそもそも何らかの宗教的な儀式から由来しているんではないか、と疑っていますが、それはさておき、ゲームの勝ち負けに着目するのではなく、この「運のトレーニング」のための麻雀活用というのは、あまり理論化と言いますか、体系化されたことを言っている人があまりいないので、今後、実際に、こういう麻雀ができるリアルの場を開催していこうと思っています。

*東京・神田にあります楽々テラスという場所で、不定期に開催しています。

現場からは以上です。

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