ガルウェイ『インナーゲーム』で発見してしまった謎を解く
お読みいただき、ありがとうございます。
今回は、ある方とメッセージのやりとりをしていて、たまたま発見してしまった謎と、その謎解きの仮説について、記録しておこうと思います。
コーチングの祖と言われている人物にT・ガルウェイが居ます。彼はハーバードでテニスを教えていて、コーチングを発見した、ということになっています。
ガルウェイに実際に会って話をした、という方のお話ですと、実際には彼の友人が実践者だったようです。と言うのも、彼がちょっとサボってテニスができる友達にコーチ役を頼んで外出したところ、帰ってきたら、初心者が、ガルウェイ自身が指導するより早く上達していた。
びっくりしたガルウェイが、何をしたのか尋ねると、友人はテニスの教え方がわからないので、やってみせて、それでやってもらって、フィードバックしながらやったらこうなった、というような説明をしたそうです。
絵にするとこんな感じです。
で、そのときの体験をもとに理論化したのが『インナーゲーム』なのですが、この考え方の中心にあるのが自己を「セルフ1」「セルフ2」に分ける、という発想なのですが、上に書いた「ある方とメッセージのやりとり」というのは、この考え方の元ってどこから来たんだろうね、という話をしていたのです。
で、その答えではないのですが、この流れで『インナーゲーム』を読み返していて、ある記述にひっかかりました。
引用してみます。
はい。ここの記述の何が問題かと言いますと、あれ、鈴木大拙って、弓の本なんて出していたっけ?ということです。
弓と禅、と言えば、オイゲン・ヘリゲルさんです。彼はドイツ系オランダ人にて神秘学者で鈴木大拙さんの禅の本を読んで日本に憧れを抱き、実際に日本に訪問して弓道を習い、そこに勝手に「禅」を見出した体験を『弓と禅』にまとめ、これが世界的にベストセラーになります。
その辺の深掘りに関しては、下記の文章にまとめていますので、御興味ある方はご覧になってみてください。
どうでもいいですが、この文章は「コーチング考古学」の最初の文章かなーと思っています。(ほんとうにどうでもいい。)
ひとしきり調べましたが、鈴木大拙さんに『弓道と禅』という著作は見当たらない。
では、オイゲン・ヘリゲルの本のこと勘違いしたのかと言えば、この文章がどうもオイゲン・ヘリゲルの文章っぽくないのです。
「人間は考える葦である」は思想家パスカルの言葉ですが、日本に憧れ、禅に憧れてやってきたオイゲン・ヘリゲルが、こんな達観した視点で語るか?
実際、翻訳されている『弓と禅』の前書きも見てみましたが、こんな感じです。
読むからにオイゲン・ヘリゲルさんの人の良さといいますか、鈴木大拙さんや日本思想へのリスペクトが伝わってきます。と、同時に、ガルウェイが引用したような文章を、この方が書くとは思えない。
そこで、もう一度、引用部分を見てみました。
これはもしや、ガルウェイの勘違いか、あるいは訳者の誤訳ではあるまいか?
そんな仮説が浮かびました。
そこでちょっと調べてみたら、ありました。
引用します。
実際、角川文庫で刊行されている版では、この鈴木大拙による序文が、「英語版・ドイツ語版『弓と禅』序文」として、巻末に載っています。その最後には、このような表記があります*。
これで、1953年3月に書かれたこの前書きが載った、英語版の『弓と禅』を、ガルウェイは確かに読んでいた、ということが証明されました。
この事実がなぜ重要かと言うと、これも風の噂で恐縮ですが、ガルウェイは生前、『弓と禅』から影響を受けていない、と言っていた、ということでした。個人的には、これがどうにもひっかっていた。
そして、この序文を改めて読んでみたところ、気になる文章がありました。
この辺をガルウェイが読んだとき、弓道とテニスとの間になにか共通項を見出したのではないか?
そこからセルフ1、セルフ2の発想に思い至ったのではないか?
だから、ガルウェイは、オイゲン・ヘリゲルの『弓と禅』から影響を受けたわけではなく、あくまでも鈴木大拙の序文から影響を受けた、と言いたかったのではないか?
そんな風に思い至ったというわけです。
現場からは以上です。
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