2020年「エンドレスエイト」考
写真はある素材サイトで「メビウスの輪」で検索したら、やたらと離婚届とのセットで出てきたので、意味は分からないが採用。何か思いのある人の作品なのかもしれない。
それはさておき、コロナになって、なんだかリモートワークがやたらと忙しい。もともとコーチングというお仕事は対面にせよオンラインにせよ、1on1のお仕事が多いのだが、これがZoomなどの安価で安定したビデオ通話システムが普及することになって、対面する必要がほとんどなくなった。
勉強会もオンライン、講師としての登壇もオンライン。もちろん会議もオンライン。
移動時間がなくなった分、予定を突っ込めることになり、結果としてやたらと忙しくなっている。
外出が減った結果として、自炊が増える。ひとりでの食事は退屈ではある。TVは見ないので、そうするとYoutubeだのNetfrixだのAmazonPrimeだのを見ることになる。そうそう新しくて面白いコンテンツも無いので、結果として、昔、見たことのある、そして忘れ去っているコンテンツを再視聴したりする。
今更、『涼宮ハルヒの憂鬱』のアニメを見たのは、そんな経緯だった。
ちなみに、こういうことを言うと熱狂的なファンから怒られるかもしれないが、私はハルヒというキャラが好きではない。見た目もそうだが、こういう他人の迷惑を考えずに人に仕事を振って当然、と思っている輩に、これまでずっと苦労してきたから、かもしれない。
そうすると当然のように、他のキャラに感情移入して視聴することになる。私の場合はキョンである。そしてどうでもいいが、長門さんは綾波レイの元ネタだよなぁ。。。
とはいえ、この記事では、ハルヒについて語りたいわけではないので、ハルヒについて知りたい方はこちらへ。
涼宮ハルヒの憂鬱 (アニメ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
このアニメは3回に分けて深夜枠で放送されたようで、今回、取り上げたいのが、2期で放送された「エンドレスエイト」である。
これもわからない人のために、上のリンク先より引用。
第12話-19話にかけて放送された『エンドレスエイト』(原作では5巻「暴走」収載の短編)は、絵コンテ・演出・作画・アフレコおよび一部の台詞は異なるがほぼ同じストーリーを8週連続で放送するという異色の演出がなされた。本作は、夏休みを文字通りエンドレスにループするというストーリー(ループもの)で、時間のループに気付かず終わるシークエンスに1話、ループに陥っていることに気付きつつも抜け出せないシークエンスに6話、ループから抜け出すことに成功したシークエンスに1話を用いている。当時は放送予定が明かされていなかったためインターネット上などで「いつ終わるのか」と話題となった。『エンドレスエイト』の演出は放送終了後もネットなどで様々な意見が出ている。
また、放送中の2009年7月19日にアメリカのボルチモアで行われたイベント「Otakon2009」にて、2006年版のシリーズ演出を務めた山本寛は日本国外のファンからの『エンドレスエイト』についての質問に「1年以上前から既にエンドレスエイトの複数話構成の話はあって、自分は反対した。自分が退社しなければこんなことにはならなかったと責任を感じている。製作委員会を代表して、この場でお詫びしたいと思います」などと回答し、「謝罪」した。山本は2007年に制作元請の京都アニメーションの子会社であるアニメーションDoを退社しており、2009年版の制作には企画の当初以外は携わっていない。このことに関して、京都アニメーションは、「わが社とは一切関係のない人です。」と回答している。
なお、みくる役の後藤邑子によると「これだけ毎週やっているから、見ている人もセリフを覚えてしまっているだろう」ということで、後半は役者のアドリブが増えていったという。また、台本などはほとんど同じだが毎回作画が変わっているため、例えばみくるが「未来に帰れなくなった」と泣くシーンでは、後藤は泣き方やセリフの口調などを画に合わせて全て変えている。
「笹の葉ラプソディ」の収録分まで好調だったDVDも、「エンドレスエイト」の収録分から大幅に売り上げを落としている。
とまあ、その界隈で、大騒ぎになった問題作である。
もっとマニアックに知りたい方は、ネタバレ満載であるが、下記の記事が面白い。
『エンドレスエイト』の違いに着目して再評価 涼宮ハルヒの消失に繋がる重要な長門の物語!
さて、コロナ、自炊、暇つぶし、という状況下で、改めてこの作品を見てみたが、実に面白い!
というか、これはエンタメというよりある種の文芸作品として見るのが正しいかも!と思った。
というか、つなげて映画にしてしまうか、実写で映画化すれば、結構な話題作になるのでは?と思った。
ぶっちゃけ、アニメの登場人物の水着が毎回、変わっていたところで何の関心も無いが、実写で魅力的な女優・男優さんであれば、一定のニーズはあるのでは?と思う。(ただ、配役は誰がなっても、旧来のファンからはブーイングだろうし、炎上すると思うから、相当な覚悟が必要なので、まあ、実現しないと思うけど。)
コロナの中の生活。アフターデジタルでもスーパーシティ構想でも、それは実は同じだと思うのは、それが、このエンドレスエイトの視聴体験とリンクするような気がする。それは楽しくてもイベント満載であったとしても、毎日が繰り返しのような、既視感(デジャ・ビュ)に包まれた生活。
同じ部屋で同じパソコンに向かい、違う人相手に違うことを話しているかもしれないけれど、似たような像を焦点に結ぶ生活。
もしかしたら、人間の脳は視覚情報について、繰り返しを嫌うのではないか、という仮説を持った。脳の可塑性の性質から言えば、同じことの繰り返しはパターン認識され、重ねる毎に記憶される情報が減り、曖昧になっていくはず。そうなると、だんだん加速度的に、毎日の時間が過ぎるのが早くなっていく感覚に襲われるかもしれない。
先のエンドレスエイトの演出はその点が素晴らしく、毎回、同じストーリーではあるが、毎回同じ絵は使っていない。演出も変えているし、細かい物語進行も変わっている。今は通して見ることができるので、違いに気づきやすいが、当時は毎週1回。それほど視覚記憶を長持ちさせることのできる人もいなかったので、違いに気づきにくかったのかもしれない。
もうひとつ別の視点で見れば、この作品、アニメーターや制作の人の仕事はどうだったのだろうか、と思う。おそらく繰り返しでありながらも、新しい仕事という認識だったろう。それはどんな作品でも同じ。毎週毎週の放送を実現させるために、コツコツと目の前の仕事を、それでもクリエイティブに行い、終わったら忘れて次の作品に取り組んでいく。この物語は、そういう我々の社会の産業構造そのものでもあった。
だから、人はイライラしたのだろう。そして今、コロナで生活までもがそうした繰り返しの産業構造に取り込まれつつある。そして人はイライラしている。
視覚的に新しい刺激、予想外の体験は、誰か知らない人との関わりや、自然界とのふれあいによって生まれる。コンクリートジャングルは変化しないが、空や雲は常に変化している。
それでも小さな子どもはまだキラキラと、初めて見る世界に新鮮だから、まだイライラしていないように思える。大人は意図的に、何が起こるかわからない計画されない世界に飛び込んで、新しい人や世界や考え方に出会い、意図的にワクワクドキドキしないと、人間としてイライラがとまんなくなってしまい、自壊の道も選択しかねない状況にあるのではないかと、ふと思ったのである。
誰か、オンライン演劇でも良いので、エンドレスエイトの実写化、してくれないかなぁ。時代的に話題作になると思うけど。もちろん、水着シーン&浴衣シーンつきで。
おまけ:何が起こるかわからない、大人の刺激的な学び場、あります。
エッセンシャル・マネジメント・スクール 第4期参加者募集中
https://essential-management.jimdofree.com/