コーチングを学びたい、という方に最初にお伝えしたいこと
昨日の「シン・社会学宣言」の記事がかなりわかりにくいものだったこともあり、できるだけわかりやすくするための記事を書いていこうと思っています。
さて、最近、コーチングを学びたいんだけど、という相談というか問いかけをいただいていて、既に実践レベルの方には下記のようなプログラムを用意しました。
ビジネスの現場で、実践したいという方向けには、こういうシリーズを展開しています。
でも、もっと初心者で、コーチングの基礎から学びたい、という方にはどうしたらいいんだろう?と思ったときに、最初に伝えるべきことは何かな、という話を書いていきます。
なぜ、あなたはコーチングを学ぼうと思ったのか?
コーチングはこういうもので、こうやったらいいんだよ、という話は、だいたい、間違っていないけど役に立たないと思っていただいて結構です。コーチングの形についてはそれで知ることはできるかもしれませんが、カレーの見た目がわかってもカレーが作れるようにはならないわけで、同じように、そんな記事や本をいくら読んだところで、コーチングができるようにはなりません。
コーチングの習得はよく自転車に乗れるようになることに例えられることが多いですが、いくら自転車について学んでも、自転車に乗れるようにはならないように、いくらコーチングについて学んでも、コーチングができるようにはなりません。自転車に乗るためにはまず、自転車を用意して乗ってみることが重要です。でも、自転車は物理的な実体があるからいいけど、コーチングは目に見えないし、知らないとできないんじゃない?という声も出そうですが、大丈夫です。あなたがコーチングを学びたいと思っている段階で既に、あなたはコーチングを知ってることになります。
繰り返しますが、あなたがコーチングを学びたいと思った瞬間に、あなたはコーチングをあるものとして認知しているはずです。ということは、あなたはすでにコーチングを知っている。知っているものを学ぶ必要はない。
では、なぜ、あなたはコーチングを学びたいと思ったのか?
それはある種、これまでのやり方、どちらかといえば、自然にやってきていたことをアンラーニングしたい、違うスタイルにチェンジしたい、という思いから、なのではないかと思います。
なぜ、あなたはコーチングを学びたいと思ったのか?
最初にお伝えしておきますが、コーチングに正しいコーチングというものはありません。ですから、あなたがコーチングを学んで、何を達成したいのか、それを明確にしておかないと、きっとあなたはゴールにたどり着けないでぐるぐるしてしまい、気づけばコーチングスクールジプシーになって永遠にコーチング業界の幽霊船として彷徨い続けることになるでしょう。
じゃあ、コーチングってなんなのさ?
ここで紹介したいと思っているのが、第二次世界大戦後に出版された『啓蒙の弁証法』という書籍です。Wikipediaにわかりやすく簡潔にまとめが書かれているので、そちらを引用します。
ついでに、啓蒙という言葉も引いておきます。
啓蒙の本質は支配であり、それは教育を施して良い方向へ導くことで行われる。このポイントを覚えておいてください。
もともとコーチングが生まれたのは、アメリカの1970年代以降、西洋的な合理主義の価値観ではうまくいかないことが、東洋的な価値観や哲学を取り入れることで解決しそうだ、という「人間性回復運動」の流れの中でした。この中で発見された心理学の様々なツールを用いることで、人はもっと幸せに生きられるのではないか、と考えたのです。
しかし、それは当初、社会的には大失敗に終わりました。他人に介入して無理矢理変えて、それで幸せにしてしまう。他人のマインドを支配して幸せに導く。そういう実験が行われ、結果的に自殺者が出るなどの社会問題になります。これが後に「自己啓発セミナー」と言われるもので、日本へも遅れて入ってきますが、マルチ商法(ネットワークビジネス)の仕組みと組み合わされ、日本でも社会問題を引き起こします。つまり同型性があり、再現可能な社会の失敗であることが確認されました。
何が間違っていたのでしょうか?
それがまさに、ホルクハイマーとアドルノが立てた問い、「人間が啓蒙化されたにもかかわらず、ナチスのような新しい野蛮へなぜ向かうのか」と同じ話になっています。
人は啓蒙によって、人を正しさで縛り、支配しようとする。
「自己啓発セミナー」の反省から生まれたコーチングは、そもそも人間性心理学の原点でもあるロジャースの「クライアント中心療法」の教えを深く刻み込むことになります。すなわち、決めるのはクライアント本人であり、援助者ではない。
もし、あなたが今、いわゆるティーチングの手法をメインとしていて、その限界とか悪影響(逆機能)にぶち当たっているとしたら、もしかしたらホルクハイマーとアドルノと同じ悩みを共有しているのかもしれません。そして、その答えは天才である彼らが既に出しています。
もう一度、引用しておきましょう。
啓蒙の精神は教育の本質と言ってもいいかもしれません。なぜ、教育熱心な親がモンスターペアレントになるのか。なぜ、学校教育で落ちこぼれた人が後にスペシャルな業績を残したりするのか?
もっとさかのぼれば、この啓蒙の精神というのはキリスト教の神学の元にすべての科学が生まれたところから発生しています。神は常に正しい。科学は常に正しい。ゆえに、その結果もすべて正しい。
原爆や水爆という、人類を破滅させかねない兵器を前に、この考え方は既に否定されています。啓蒙の行き着く先は野蛮で、それは人類はおろか、地球そのものも消滅させかねません。
啓蒙の野蛮さを捨てる、ということは、ひとりひとりの人間の尊厳を尊重し、自己決定により幸せな道を選択することを支援する、ということになります。これがまさにコーチングが目指している世界観であり、思想であり、人間観であり、哲学なのです。
コーチングは思想である
コーチングはあり方だ、という話をするコーチの方は多いと思いますが、実際のところは、以上のような背景があるのです。コーチングをスキルと思っている人は、質問したりうんうんって人の話を聴いたり褒めたりしたらコーチングになると思ってしまっているかもしれませんが、啓蒙による支配欲を手放す、というのが最も重要なことで、これがなかなか難しいのです。
人は自分の認識している世界しか理解できませんし、その認識も当然のようにバイアスがかかっていて、自分オリジナルなものです。それは幸せに生きることができる理由にもなりますが、自分の限界を決めることにもなっています。
そこに、誰か他人で、啓蒙しようとしていない人と会話することによって、自分の認識の歪みや狭さに気づき、新しい認識を得て少しだけ幸せな方向にシフトチェンジする。
もちろん、その変化が周囲の人にもポジティブな影響を与えることができれば、あなたにもその結果が返ってくる。
コーチングというのはこういう細かい前向きな変化をもたらす思想として社会に誕生し、今、少しずつですが、世界を良い方向に変えようとしているのです。
ですので、コーチングを教えるよ、という人が居たら、逃げた方がいいです。その人は多分、コーチングの思想を持っていない人のはずです。
現場からは以上です。
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