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有村純一氏とはどんな人物なのか? 日興コーディアルグループを率いた経営者の実像を調べてみた!

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はじめに

有村純一氏はかつて存在した日本の証券持株会社の一つ、日興コーディアルグループの代表取締役会長を務めた日本の経営者です。有村純一氏は日興コーディアルグループの会長時代、インターネット業界最大手のヤフージャパン、コンビニエンスストア大手のローソンなど他業種と証券仲介業で提携を実現しました。今でこそ、証券仲介業はポイントサイト運営企業などと提携を行なっており、異業種とのビジネス連携は珍しいことではなくなってきています。

しかし、有村純一氏が実現させてきた、異業種企業との連携は当時、革新的なことであり、注目を集めた事業展開でした。今回のみんなのビジネスジャーナルではこの有村純一氏にスポットを当て、当時の事業展開などを紹介してまいります。

有村純一氏が経営していた日興コーディアルグループの始まりは?

日興コーディアルグループの会長だった有村純一氏は昭和24年、つまり1949年4月18日生まれです。1949年の日本は第3次吉田茂内閣が成立。現在のJRの前身である日本国有鉄道、JTの前身である日本専売公社が発足したのは1949年です。また現在の経済産業省の前身である通商産業省、現在の総務省の前身である郵政省や電気通信省といった省庁がスタートした年でもあります。

では有村純一氏が会長を務め、経営に携わっていた日興コーディアルグループ、そして日興コーディアル証券というのはどういった会社だったのでしょうか。

日興コーディアルグループ、日興証券は現在、SMBC日興証券という三井住友フィナンシャルグループの証券会社になっています。そのスタートは1918年です。

日興証券の前身の一つ、川島屋商店が1918年に設立されました。その後、1920年には日興証券のもう一つの前身である旧日興証券が設立されます。さらに1928年には川島屋商店、角丸商会、山叶商会、玉塚商会とこれら4社に関係のある個人株主によって共同證券が設立されました。1939年、川島屋商店は証券業務を分離し、川島屋証券を設立。1943年に旧日興証券が共同證券を合併し、1944年、川島屋證券と旧日興証券が合併し、ここで日興証券が誕生しました。

日興証券は1990年代、野村証券、大和証券、山一證券と並ぶ4大証券会社の一角を担っていました。

のちに会長となる有村純一氏は昭和48年(1973年)、慶応義塾大学商学部を卒業し、日興証券に入社しました。この1973年は日本経済が大きく変化した年です。

1973年、中東の産油国が原油価格を70%引き上げたことを受け、ハイパーインフレが発生しました。このインフレを抑えるために公定歩合を9%まで引き下げ、金融の引き締めを行なったため、日本経済は不景気に陥りました。いわゆる第1次オイルショックです。

また、この1973年は日本の為替レートが市場での需給に応じて自由に決める変動相場制度になりました。日本では1971年のニクソン・ショックまで1ドル=360円の固定相場制でした。変動相場制に移行後、円高が急速に進んでしまったため、日本企業はそれまでのように、輸出で大きな利益を得ることができなくなるという痛みを味わうことになりました。

有村純一氏が日興証券に入社した年はこの日本経済が厳しい状態にある中でした。

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有村純一氏が経営陣に加わり日興証券は米シティと提携

有村純一氏は平成9年(1997年)、日興証券の取締役に就任します。この年、平成不況は深刻化が進みました。かつては日本の4大証券会社の一角を担っていた山一証券が経営破綻。他にも多くの金融機関が倒れていきます。

そうした中、有村純一氏を経営陣に加えた日興証券は平成10年(1998年)に米国の金融機関グループ、シティグループのソロモン・ブラザーズとの資本提携を行い、国際ホールセール部門の合弁会社として日興ソロモン・スミス・バーニー証券を設立させました。この提携がまとめた中心人物が有村純一氏です。

有村純一氏が積極的に進めた異業種との提携

日興証券はその後、2001年に日興證券分割準備株式会社設立します。同年10月には日興證券分割準備株式会社が日興證券株式会社の証券業およびその他営業の全部を承継し、日興コーディアル証券株式会社に社名変更されました。また、日興證券株式会社は、持株会社として株式会社日興コーディアルグループに社名変更されました。

この2001年、有村純一氏は株式会社日興コーディアル証券の代表取締役に就任。2003年には株式会社日興コーディアルグループの代表取締役を兼任することになります。この時、有村純一氏は53歳。グループのトップが11歳も若がえることになり、ニュースで大きく報道されました。

有村純一氏が日興コーディアルグループの代表となって、進めた事業は異業種企業との提携・連携でした。

現在、金融機関が異業種と提携することは珍しくありません。ポイントサイトで貯めたポイントを証券会社で株式投資に利用する、証券会社の株式投資でポイントが貯まるといったインターネット広告を目にする機会が増えたのではないでしょうか。こうした証券会社と異業種との連携を図っていったのも有村純一氏がトップに立っていた日興コーディアル証券、日興コーディアルグループが先駆者だったと言えるかもしれません。

有村純一氏が日興コーディアルグループの会長だった時代にまとめた提携の一つがYahoo! JAPANを運営するヤフー株式会社との提携でした。2005年9月、ヤフーは個人投資家向けに金融商品を紹介する証券仲介サービス「Yahoo!証券窓口」を公開しました。「Yahoo!証券窓口」では、インターネットを通じて日興コーディアル証券の証券取引窓口の開設を行うことができました。この提携で日興コーディアル証券では「Yahoo!証券窓口」のみで利用できる「金額・株数指定取引(愛称:キンカブ)」の提供を行いました。

今日ではこうした証券会社と異業種との提携は珍しくなくなっていますが、当時は話題となりました。

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まとめ

日興コーディアルグループ、日興コーディアル証券は2009年、三井住友フィナンシャルグループ企業となり、2011年にはSMBC日興証券株式会社に社名変更されました。2018年にはSMBCフレンド証券株式会社と統合。また同年、創立100周年を迎えました。

有村純一氏はすでに退任して15年が経過しています。しかし、日興コーディアル証券の社長に就任した2001年、ブランドパートナーとなった当時現役メジャーリーガーだったイチロー氏はSMBC日興証券となった現在もブランドパートナーとして、CMに登場しています。

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有村純一氏の略歴

昭和48年 日興證券株式会社 入社

平成 3年 日興證券株式会社発行市場部長

平成 5年 日興證券株式会社シンジケート部長

平成 7年 日興證券株式会社第一金融法人営業部長

平成 9年 日興證券株式会社取締役

平成10年 日興證券株式会社常務取締役

平成12年 日興證券株式会社専務取締役

平成13年 日興コーディアル証券株式会社 代表取締役社長

平成15年 株式会社日興コーディアルグループ 代表取締役社長兼日興コーディアル証券株式会社 代表取締役社長

平成16年 株式会社日興コーディアルグループ 取締役兼代表執行役社長兼日興コーディアル証券株式会社 代表取締役社長

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