「考える」ということ
考えると言いつつ時間を浪費しているように見える人がいる。その人は考えるということが何をすることなのか分かっていない可能性がある。
考えるという言葉は曖昧だ。生きるという言葉と同じで、具体性に欠ける。
考えるというのは、結論を出すということであり、結論を出すためには、知識と選択が必要になる。
「考える」と、「思いつく」、「閃く」は同義ではない。
冷蔵庫の中の食材を使った夕食のメニューを考えてみる。
1 冷蔵庫の中の食材を思い出す(知識)
2 その食材で作れるメニューを並べる(知識)
3 作るメニューを決める(選択)
決して無からメニューを閃いているわけではない。
メニューを一切知らなければ(知識が無ければ)、選びようがない。
将来の職業を考えてみる。
→ 色んな職業を知っている必要がある
家具の配置を考えてみる。
→ 色んな家具の大きさや使い方を知っている必要がある
算数の問題を考えてみる(解こうとする)。
→ 数字や記号の意味、公式などを知っている必要がある
知っているから選ぶことができる。
知らないことは、いくら考えても選べない。
例えば、ドライヤーを渡されて、これは温かい風が出てくるので髪を乾かして、と言われても、電気で動くこと、電気プラグをコンセントに挿す必要があること、スイッチをオンにする必要があることを知らなければ使えない。
前提知識が無い状態で、ドライヤーをじっと見つめるだけで、この世の中には電気というエネルギーがあり、コンセントから電気を得ることができる、なんて閃くことができるのは、一部の天才だけ。
取扱説明書を読むなり、人に聞くなりして使い方を学ぶ(知る)ほうが圧倒的に早い。
知らないことは考えられない。まずは知ることから始める必要がある。