見出し画像

インドでは、人は生まれながらにして不平等だ。

みなさんは、カースト制を知っていますか?

カースト制は生まれながらにして身分が定められ、そのカーストによって職業なども決まるという制度。

上の階級からバラモン(司祭)、クシャトリヤ(王族)、ヴァイシャ(一般)、シュードラ(奴隷)と分類されます。
そしてそのカースト制度にも入れない最下位の身分とされるダリット(壊された民)も存在しています。かつては、かつてはアヴァルナ(不可触民)と呼ばれていたそう。

つまり、簡単にいうとカーストは親から子へと受け継がれ、「上の階級の人達は下の人達を見下しても良い」という生まれた時点で不平等な厳しい制度です。

例えば、2019年4月にはダリットの男性がある結婚式で上位カーストのグループの前で椅子に座り、食事をしたというだけで暴行され殺されました。

みなさんは、物乞いの人達にお金をあげますか?

何も渡さない。
小銭をあげる。
お菓子をあげる。
服を掴んだ手を振り払う。
飲みかけのコーラをあげる。
可哀想だけど、しょうがない。
悪いのは誰? 国?宗教?それともこの人達の運が悪かっただけ?

途上国を旅した人なら、誰しもがこのようなことを思ったことがあると思います。

僕が初めて物乞いの人を自分の目で見たのは、ちょうど4年前。

初めての一人旅でタイからカンボジアにボロボロのローカルバンで国境を越えた時です。

なんの検査もないイミグレーションに驚きながらも、カンボジアに入国した瞬間に衝撃を受けたのを覚えています。

そこには、建物が崩壊し、道が塗装されてない場所に、服を着ていないたくさんの子供達。

外国人の僕がイミグレーションを抜けた瞬間に子供達に囲まれお金を求められました。

その時は、「お金はあげたらダメ」と誰かから聞いたこと、旅行の本に書いてあったことを思い出しあげませんでした。 

それからの旅行でも、お金をあげたことはありません。(陸路で国境越えの時に、お金がいらなくなるので、少額のお金をあげたことはあります。)

理由は、お金をあげることはなんの解決にもなっていない、このお金で薬物を買って欲しくないからです。

なので、自分が持っている飲み物・食べ物をあげたことは何回もあります。「食べ物はいらない、お金をくれ」と言われたことはありますが…

しかし、いろんな国を訪れるうちに、「この数百円で今日1日楽しめるならお金をあげてもいいかもしれない。そもそも、僕たち日本人みたいに将来のことを考える余裕すらないかもしれない。今日明日生きるだけで精一杯だ。」とだんだんお金をあげた方が良いかなと気持ちが少しずつ変わってきました。


今回のインド旅行中にもたくさんの物乞いの人達に会いました。

差別をされていて死ぬまでカーストを変更できない彼らには、さすがにお金をあげようと何回も思いました。

「でも、このあげたお金がなくなったら、また物乞いを始める」
「この子達を救ったようにみえるけど、長い目でみると救ってない」
「むしろ、薬物を買われたら逆効果だ」
「じゃあ、自分には何ができる?どうすれば良いんだろう?」

と、寝台列車の移動中や宿のベッドの上で、ずーっと考えていました。

だけど、どんだけ考えても答えは見つからない。やっぱり僕ができるのはチェキをあげることだけでした。

観光地を歩くたびに

「マネー!プリーズ!」

と言われるが、僕は「ノーマネー!ピクチャーオッケー!」

と言って一眼レフで写真を撮ってiPhoneに移し、Lightroomで軽く加工し、チェキを印刷できるinstaxに移して、チェキをプレゼント。

画像1

カメラを向けると、キラキラした笑顔でポーズを決めてくれる。

画像2

チェキ1枚は200円くらいする。でも200円だけを渡すより良いはず。

お金は使えばなくなるけど、写真は一生残る。

画像3

僕たち日本人は、両親が小さい頃から撮ってくれた写真があるから、いつでも昔の写真を見て「あの頃は◯◯だったな〜」と懐かしむことができる。でも、彼女達はスマホも持ってないから到底そんなことはできない。

もしかしたら、あげたチェキがすぐに捨てられるかもしれないけど、それでも誰か1人でも大切にずっと持っててくれて、数年後・数十年後にチェキを見て、両親や兄弟達と懐かしんだり、少しでも幸せな時間をすごしてくれたら嬉しい。

まだ、自分の中でお金をあげることが正しいのか正しくないのかわからないけど、これからも旅行した時は彼ら彼女らの写真を撮ってチェキをプレゼントしようと思う。

p.s.
写真を撮ってチェキをあげていると、たくさんのスマホを持ったインド人も集まってきて「俺にも撮ってくれ」とかなり言われるので、なるべく目立たないようにしましょう。

画像4


いいなと思ったら応援しよう!