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夕焼け小焼けのあかとんぼ

私は親族の中でも一番末っ子だった。
年の離れて産まれた私は目いっぱいの愛とたっぷりの放任(子供はほっといても育つ)を受けて育った。

おかげさまで可愛いトンチンカン。(笑)

初めてのお化粧はこれでした。

そんな私をこよなく愛してくれたのがはっちゃんばーちゃんである。

「お前は川から拾った子や。ばーちゃんが拾ったんやぞ。」や葉物に付いたイモムシを石ころで潰しながらも「次産まれてくる時は人になるんやぞ。ナンマンダブナンマンダブ…。」と茶目っ気たっぷりな人である。あ、いつも夏になると手作りの素麺のつゆを麦茶のボトルに詰めるもんだから何度も麦茶テロを食らった。(笑)

はっちゃんばーちゃんは母の母であり、家からも近くスープの冷めない距離に家があった。裏の田んぼ道を通れば3分で着くくらいである。

本家なのでいろいろと昔ながらの考えもありながら内孫と長男のオジサン家族を大切にしながらも次女の外孫にも優しくしてくれた。

私は保育園の時の送り迎えははっちゃんばーちゃんがしてくれた。

いってくるねー!と家を出て1人で田んぼ道を歩きながらばぁちゃんちへ向かう。この時の歌はガラガラヘビがやってくるぅー!お腹を空かせてやってくるぅー!だった。

いつも朝は、はっちゃんばーちゃんちにいくと儀式があった。
まずは
・仏壇に手を合わせる。
・仏壇に供えたカピカピのご飯を食べる。
ご先祖さまにおはようございます。今日も元気に行ってきます!!と言うとはっちゃんばーちゃんがニカニカと笑ってくれる。これが嬉しかった。
・リポビタンDを半分こで飲む。
はっちゃんばーちゃんの全信頼をおいたスーパーな飲み物。これ一本で無敵になるのだという。

これをこなしてから保育園へ向かうのだ。

手を繋いで用水の横の道を通って公園をぬけて保育園へと行く。

その道中にはトタン屋根の掘っ立て小屋の犬ばーちゃんがいて、朝挨拶をしてくれる。犬が白いのかグレーなのか分からないうるさくてガブガブしてくる犬を飼っていたので犬ばーちゃん。
雨の日は出てこないけど基本外に椅子を出して座ってた。はっちゃんばーちゃんは犬ばーちゃんと他愛もない話をするので私はその何色か分からないがぶがぶ犬に遊んでもらうのだった。噛まれたら負けゲームを←。

それから十字路の石が置いてある駐車場はジャンプポイント。見て!!!と叫ぶ。これが毎回なのだ。凄いやろ!?できたよ!!って言う。そして毎回はっちゃんばーちゃんはたこーとこからすごいんな~。〈訳:高いところ(段差15cmくらい)からすごいね~。〉褒められるのが嬉しかったのだ。

その横に梅雨明けの花 タチアオイが咲く。
はっちゃんばーちゃんが梅雨明けをこの花で知れるんだよと教えてくれた。プール開きはこの花が上まで咲いたらやと教えてくれたもんだから「これむしっていいの?」と聞いたことがあった。CRAZYだ。私。

本屋さんを通って かたかご広場へいく。
ブランコと滑り台と東屋があるしがない公園。
でも、ここにはぐみの木があって季節なると食べられるのだ!甘酸っぱい実は最高だったし、今じゃ考えられないけど公園の水は飲めた。喉が乾けば飲むのだ。たまにセクシーな本も落ちてるときもある。

保育園についたら「先生おはよぶーのぶー!」と園歌を歌う。

みんなに、ぶーのぶー!って(笑)言われるが本当にこれだったのだ。先生おはよう ぶーのぶー!今日も元気に挨拶したよ。って歌。…最高でしょ?(笑)

そして保育園でセーラームーンごっこをたっぷりして帰りのお迎えを待つ。

母曰くフッ素コート?で溶けて前歯全滅の幼少期

帰りもはっちゃんばーちゃんと寄り道して帰るのだ。それが呉服屋さんなのか醤油屋さんなのか美和商店なのか接骨院なのか。どこにせよ飴が貰えるので好きだった。

ビヨン酢「きょうはどこにいくの?」

はっちゃんばーちゃん「着いてからのお楽しみや」

そういってほんのり冷たいシワシワの皮っぽい手を握る。冬は氷柱をアイスキャンデーと言って犬ばーちゃんの家からはぎ取る。春はつくしやよもぎを摘む。夏は用水のザリガニと亀を見つける。そして、秋の終わりの夕暮れは赤とんぼがブーンブーン飛んでいて、それを棒でくるくるとして歩いて帰る。

「ゆうや~けこやけ~の赤とんぼ~」とはっちゃんばーちゃんが歌う。
その声が大好きだった。
なんていうか、鼻歌まではいかないが思わずホロリと歌っているかのような声。わたしもそれに合わせて歌う。でも聞いていたい。

つないだ手をブンブンふりながら夕暮れに伸びた影をみつめる。

夕焼小焼の 赤とんぼ
負われて見たのは いつの日か

山の畑の 桑の実を
小籠に摘んだは まぼろしか

十五で姐やは 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた

夕焼小焼の 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先

はっちゃんばーちゃんはこの歌をよく歌った。そのの時の瞳が細く
夕焼けでオレンジのその顔をいまでも覚えている。

 「ばぁちゃんこの歌好きなん?」

「ほうや。ばぁちゃんはなこの歌と炭坑節が好きなんや。」

月が出た出た~月が出た~ よいよい。

「なんで好きなん?」

「ばぁちゃんの兄妹と歌ったんやよく。」

そんなはっちゃんばーちゃん。ワガママで頑固なじぃーちゃんが亡くなってからは本家でもなぜか肩身が狭くなっていた。おじさん夫婦がなかなかのなかなかだったので段々と居間にも居れず、寝室のような畳の部屋においやらr…言い方が難しい。ここは察して欲しい。

私も母さんが亡くなってからは金沢に住んでいたのもあるし中々ばぁちゃんちには寄れなくなった。

でも、私が19歳のころ。
ふと、ばぁちゃんちへ行った。

あんなに元気いっぱいやったのに
耳は遠くなり 顔もさらにシワシワになり。
ばぁちゃんが小さく見えた。

「ひさしぶりやね!元気やった?」
「よー来た。よー来た。車で来たんか?」
「ほや!そや、ばあちゃん。


行きたいとこない?」

いつもそんなことを聞くと 「なーんもない。」って言うような人やったんに

「にぃちゃんに会いたい。」

その時の声が耳の奥から感情を司る脳のところまでゴーーーンと響いた。

下手なことするとおじさんの嫁さんに叱られるかもしれない。でも、これをフーンで終わらせていいのか?まだ時間は2時すぎ。

「ばぁーちゃん!行こ!!!会いに行こ!!」

「なーん悪いしいいわいね」

「だめや!ばーちゃん!会えんくなることもあるげんよ!会いに行こう!!!!」

母が無くなった時にばあちゃんが泣きながら手を握って「親より先に行くなんて親不孝もんや」と悔しそうに悲しそうに伝えていた時のことも思い出して私は思わずばあちゃんの手を引いた。

「いいんか?」

「いいよ!!!私の車で行こう!!!ばぁちゃんドライブや!!!」

そう言って ばあちゃんはタンスから淡い紫のブラウスを引っ張り出して着替え始めた。

私は先輩から買ったギャル車仕様の白いライフに乳母車を車に乗せた。

ばあちゃんには優しい車高の低さ。
このときばかりはこのギャル車に感謝した。(笑)

ばぁちゃんの兄ちゃんは隣町の病院に入院していた。それだけ分かれば狭い町。すぐにたどり着ける。

たまたま姉の病院だったこともあり、姉に電話してその人がおるか聞いた。

ガラガラと引き戸を開ける。

ばあちゃんは「あんさま!」(方言お兄ちゃん)
そう言って 手を握りあった。

ばーちゃんのにぃちゃんは気管切開していた。
それでも 震える握手とお互いに目を開いて涙をながしながら元気か?どんないか?と。

にぃちゃんは口パクのような声で どうしたんや?どうやってこれたんや?と。

そとの孫が連れてきてくれた。会いたかった。
もう会えんかと思った。嬉しい嬉しい

そう言ってにぃちゃんの肩をさする。

それから懐かしい話やなんかの話をしていたと思う。私はそっと部屋を出てロビーでテレビを見ながらお茶を飲んでいた。
姉から「おばちゃんに言わんときたん?大丈夫なん?」と言われたけど「遅ならんようにする」とだけ伝えた。

それから少しして病室に戻ると

「きっとこれが最後になるかも知らん」
「お互い会う時は次はあの世や」
「またそんときは無事に来れるように待っとるぞ」

そんな話をしていた。
それに対して私はちゃべちゃべ言わんことにした。
「ほなね。またね。」とお互いに手を繋ぎあって別れた。


ばぁちゃんは後部座席の窓を見つめていた。

「ばあちゃん他に行きたいとこないか?もうこんな機会もないし行きたいとこいこう。」

「ほんなら竹ちゃんち行きたい」

竹ちゃんとはばぁちゃんの親戚だと思うけど私にはよく分かってない。でも盆と正月には必ずあっていた。

耳にシルベーヌのような大きホクロがあるおばちゃんだった。

シルベーヌのチョコみたいなホクロ


竹ちゃんちは小松の山の方。
今5時ごろ。あやふやな記憶で向かう。

この辺りなんやけどなぁで迷子になりながら竹ちゃんに電話したりで着いた。(昔は個人の電話番号もタウンページで聞けた。)

竹ちゃんが「どいね!どうしたんやって急に!」
そういって驚いていたものの迎えてくれた。
それから 近況の報告やったりなんやり話し合っていた。竹ちゃんが「ばあちゃん連れてきてくれてありがとね。」そう言った。

「お互いに健康で長生きしようまいな」

そう言って握手していた。

ばぁちゃんと帰る頃には周りは薄暗くなっていた。

夕焼け~こやけの~赤とんぼ~

ばぁちゃんはポソリポソリ歌っていた。

ただ私はまっすぐ向かった。

帰りに芝寿しとお茶を買って渡した。

遅くなってごめんね。
これ食べんかね。

「あんやとね。」

そしてここでええよ。と言われ、ニコニコと手を振りこっそり裏口から入るばあちゃんを見送った。

そんなばぁちゃんは99歳まで生きたのだ。
最後は施設に入って、マダラボケてしまったし、

外孫の私の記憶は無かったけど


私を見た時に

「ケイコ(わたしの母)、来たんか。生きてたんか。ありがとう。ありがとう。」

そう言って震えて手を握ってくれ、夕焼けこやけを歌ってくれたのだった。

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