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母のこと~検査入院からの~

検査入院の結果 胃がんであった。
サイズから見て……7年ものだったようである。

このころのガンは今よりもまだまだ治療が確立されてない病に近いものがあった。

ほかにも転移がしてなければ全摘すればまだ助かる可能性があるとのこと。

しかし転移は開いてみなければわからない。
さらには
胃だけでなく箇所によっては食道も一部取り除くことになると先生は仰った。

迷わず母は胃の全摘を選んだ。

手術は大掛かりである。
まず胃を全摘し食道と腸をつなぐ。
手術は7時間もかかった。

この日はちぃおばちゃん家族、横浜のばーちゃん、親父。そして我々姉妹。

待合室で最初緊張して待っていたけど、なにせ7時間……さすがにダラけていた。

パチンと手術中の電気が消えて先生がでてきた。

ちぃおばちゃんが立ち上がった。

先生「手術はとりあえず終わりました。」

ありがとうございます。とみんな頭を下げた。

そうすると

先生「取り除いたがん細胞見とく?」と。
なぜこう仰ってくれたかというと、姉は看護学生であった。それを、先生は知っていたから。

はい。というと、オペ看が銀のトレーに摘出した細胞と胃などを持ってきてくれた。

先生「説明するよ?形はこうなんだけど…これががん細胞だね。かなり大きい。」

私たち姉妹とちぃおばちゃんの娘とまじまじとみた。

それから食道の一部も先生は説明してくれた。

姉「勉強になりました。ありがとうございます。」

そういって勉強会がおわった。

先生がのちほどお話がありますと、伝えて一旦下がった。

すると

姉「胃のがん細胞が絵に書いたように分かりやすかった。」
ちぃおばちゃん娘「そうやよね。ってか、初めて胃を見たよ。私で言ったらミノやハチノスって感じかな……」


姉は看護学生。ちぃおばちゃんの娘は調理師であった。なので同じものでも見え方が違うと話していた。さすがにみんな笑ってしまいました。

ちぃおばちゃん「ケイコさんを牛に例えるんかーい」


そして、みんなで母の病室に向かいまだ麻酔から覚めない母のそばに居た。

ちぃおばちゃんと横浜のばあちゃんが先生の話を聞きに行った。

私は母の姿をじーっと見ていた。

母が目を覚ましてちぃおばちゃんが「ケイコさん成功やよ。大丈夫やよ」と手を握った。

母は「ほか、ほんならよかった」と。


3日後、また母を混じえての先生との話があるということでとりあえず帰った。

ちぃおばちゃんに姉妹で呼ばれた。
「ケイコさん、転移してる」


3日後、姉妹で病院へむかった。母を混じえて話を聞くため。

病棟のエレベーター横にある小さな白い部屋。

丸椅子が3つ 白い机がひとつ。

母は車椅子で部屋に入った。

先生が遅れてやってきて「体調はどうですか?」など他愛もない話をした。

先生「さて、手術は胃、あと食道は摘出しました。しかしね、転移が所々あった。」

母が下を向きながら目を見開いていた。

先生「ここからは放射線治療でどこまでおさえられるかになります。」

そういって放射線治療の話を進めていた。

母が「放射線治療をすれば病気は治るんでしょうか?」

先生「そうですね。なんとも言えませんが合えば小さくなることもあります」
(※今回の先生の話、そんなようなことを言ってたと思う。)

そして、ここから母にとっては地獄のような長い治療が始まったのだった


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