母のこと(ゆっくり書きます)
母は食べることや飲むことが大好きな人だった。
贅沢なわけではなく、母が休みの日はちぃおばちゃん(母の姉)ちに行って地元スーパーで買ってきた豆腐と白菜とたらの塩残に落し玉子の湯豆腐と刺身をつまみに昼から1杯やるのが楽しみな人だった。
2人は姉妹で仲が良く、ブラックジョークも好きで。なにより誰しも?だと思うけど人の悪口や噂話をして食べ飲みするのは楽しいし美味しいから。
その話をしながら笑ったりしてストレスを発散していたのだと思う。
そんなある日いつものように姉妹で昼飲みをしていたときである。
母が神妙な面持ちでちぃおばちゃんに胃がムカムカして気持ちがたまに悪くなる。お酒も進まない。と言うのだ。
ちぃおばちゃんも神妙な面持ちになり詳しく聞いていた。
聞くと毎日胃薬が手放させない状態だと。
いつから?と聞くとずっと前からで、ここ最近が胃薬を飲んでもあまり改善しないと言う。なんでもっと早く病院に行かんかった?と聞くと、ストレスからくるものだったとおもったらしい。昔ストレスで似たようなこともあったそう。
ってか母は病院が嫌いな人だった。
というか……病気と知りたくなかったのかもしれない。
わたしは聞き耳を立てていたので読んでいたマンガ本を閉じて「とりあえず病院いこ!どんないわいね」と言った。
本心だった。
どうもない。
だってタバコも吸うしお酒も飲むし。
つらい姿を見てないからだ。
ちぃおばちゃんも「ほや!まだケイコさん46で若いねんしどんないわ。市販の薬じゃなくて病院いって見てもらって薬出してもらえばあっという間に治るわいね」と。
そして善は急げで次の週に全身見れる大きな病院へいった。
母は検査をしている間わたしは病院の売店でアイスを食べてぼーっと待った。この日はちぃおばちゃんの旦那さんも着いてきてくれた。
「病院は何でも長いねんてね~」
「おおげさに何でも調べる」
「病院におる方が病気になった気がするわ」
なんて母は言いながら各場所をまわった。
午前中から行ったのに全て終わったのが夕方前だった。
先生の話を聞きに行った母が
「ちょっと……」とちぃおばちゃんを呼んだ。
私は待合室でぼけぇ~と雑誌をつまらんそうにペランペラン読んでいた。
銀の取っ手がついた白い大きな引き戸の向こうから気配が消えた。
ぼけぇ~と見つめながら居るとしゃーと開いた
わたしはひと伸びして「終わったん?どうやった?」と聞いた。
母は「もっと検査しんなんくって今日から入院せんなんわ。」
え?今日から?と混乱したが母の顔は神妙な面持ちだった。すんとしてた。
その表情から何も読み取れなかった。
そうして母は公衆電話にいき仕事場に電話した。
そのとなりのソファーに私はちょんと座った。
「もしもし、お世話になっております。……です。店長いらっしゃいますか?……店長、すいません。病院に行ったら……」
わたしは少しだけの不安な気持ちでいた。
「……そうなんです。はい……。すい…ませ……ん」
電話の声のつまりに母を見上げると
頬に涙が流れていた。
わたしが記憶ある内では母の涙を見たのは3回だと思う。
これが2回目の涙がだったと思う。
一気に不安が込み上げてきてわたしは立ち上がり母の空いた手を握りしめた。そばに寄り添った。
ポロポロと泣く母を見たくなかったしどうしたらいいか分からなかった。
人が多く行き交うロビーの中心の公衆電話
その時だけは周りの音が消えた気がした。
受話器から「大丈夫だよ。しっかり検査してもらって。また一緒に働こうよ。待ってるから」
そう男性の声が聞こえた。
それに答えるように母は涙を流しながら震える手で受話器を支えながら「はい……。すいません。よろしくお願いいたします」と答えていた。
ただ私はひたすら、ひたすら……何をすればいいか分からないまま母の涙に気が付かないように手を握りしめた。
ガチャンと電話を切ったあと 崩れるように母はソファーに座った。そこに離れていたちぃおばちゃんが駆け寄って 「ケイコさん大丈夫。大丈夫や。なんともない。ちょっとなんかあるだけやしちょちょいって取ってもらえばいい。大丈夫や。」
そういって背中をさすっていた。
母も「ほやよね。大丈夫やよね。」と言った。
ちぃおばちゃんの旦那さん、おっちゃんに「ビヨ、ジョア買ってやるから行こ。」と言われた。
わたしはなんとなく離れた方がいいのとジョアが飲みたかったからおっちゃんについていった。
その日いろいろな手続きをちぃおばちゃんたちがしてくれて母を病室まで送った。
四人で行ったはずの帰りの車は3人になった。
私は不安だったけど、検査入院だからと少し安心もした。検査してお薬飲めば痛いのもとれる。と。だから車内で
ビヨ「検査入院やし、日頃オカン頑張ってたから休息日みたいなもんやよね!」
おば「…ほや。いつも一生懸命働いとったしたまにゆっくり休まんなん。」
ビヨ「帰って来たらまたパーティーせんなんね!」
そこから会話が続かなかった。
私だけが事の重大さに気が付かないまま見慣れた夕暮れを見ていた。
そして母の病気が発覚したのは私が中学3年のときだった。
母は胃がんだった。