見出し画像

母のこと~さいごまで~

非常口の案内板と弱い明かりだけが灯る薄暗い廊下で動けない私を別の看護師さんが見つけて

「こっちに座ろうか、おいでね?」と私を促してくれた。
エレベーターのすぐそばの淡いグリーンの合皮のソファー。

薄暗いけど、正面はナースセンター。
煌々と明るくてそこだけがある意味…異質に見えた。

看護師さんが「みんなに連絡できた?」と聞いたので「姉とは連絡が取れなくて。」と伝えた。
「メールも入れておいた方がいいよ。」と。
私は言われるがまま やり取りがずっと前で久しぶりの姉のアドレスをいれて「おかん 今日が山」と送った。

それからどれくらいだったか。泣くこともせず、何度もカチリカチリと折りたたみ携帯の開閉ボタンを押してはメールのセンター問い合わせを繰り返した。

(新規メールはありません。)

ゴゥンと音とともにエレベーターが動いて ちぃおばちゃん達がやってきた。

全員来た。

ばーちゃんもじーちゃんも。
ちぃおばちゃんも本家のおっちゃんも。
従兄弟も全員来た。

遅れて姉も来た。

みんな来た。

ちぃおばちゃんが「ケイコさんは?」と急いで病室へ向かった。

それに続いてばーちゃんが見たことない顔で走っていった。

少し気まずそうな姉と私は遅れて向かった。

病室に入ると 母はしずかだった。
薄暗い廊下から真っ白で明るい部屋。
静寂の中に響く 電子音。
それだけで ほっとした。

首にはホッチキスと、透明のでっかい絆創膏みたいなのが貼られていた。

ただ看護師さんや先生たちが何も言わずにスっと後ろに下がった

時の流れがとてもゆっくりした気がした
きっと私の頭では一つ一つ理解するのに時間がかかったからだと思う。

すかさず、ばあちゃんが手を握って「けい!けい!!だめやぞ!まだだめやぞ!!」と力強く言った。

母の半開きで虚ろの目がじっとりと周りを見渡して「あれ……なんで皆おるん?」と言った。

ちぃおばちゃんが優しい笑顔で「けいこさんが呼んだしや。みんな来たんや。頑張らにゃダメや」

母「ほーかぁ……呼んだか……ちぃに会いたいと思ったんや…」

姉妹の会話だと思った。これが入院する前のいつもの休みでちぃおばちゃんの家で過ごしていたらなあ。鍋をつついて贅沢やと言っていたドライなビールを飲む。そんな懐かしいことを思った。

ばぁちゃん「けい、しっかりしよ。だめやぞ。」

母「うん…ん…まだがんばらんなん…」

お母さんは泣いていた。

ばあちゃん「なに弱気になっとらんや!だめや!だめやぞ!!けいに今力送ってるからな!大丈夫やぞ!」

じいちゃんは「……けい。」
その一言とばぁちゃんの肩に手を添えた。ぶっきらぼうで威張りんぼうで普段名前を呼ばないじーちゃん。こんなに小さい人やったっけか。

おっちゃん「ほやわいや。まだまだがんばらないけんやろ。」

母「うん……そうやね…兄さん…。あー……母さんの手温かいね……久しぶりやね……」

私はお母さんの家族を見ていた。
ばあちゃんは泣きながら手をさすり、みんなは泣かんように笑顔で声をかけていた。 

母「あれ……姉とビヨは……?」

ちぃおばちゃん「ほら!ビヨも姉もおる。」

姉「お母さん!」

姉はしっかりとした声で伝えた。


私は

「」


何をどう伝えたらいいか分からなかった。

だれかがビヨもなんか言お!っていわれたけど、何も言葉が出てこなくて。

ただ横に突っ立った。探しているような目をしていたけど焦点があってない。目が泳ぐ。ゆらゆらしていた。

母「見えん……見えん……」

強めにお薬を投入した。
母は見えないと繰り返し、みんなでどこか体に触れて、おるよ!そば居るし安心せいや!と声をかけ続けた。

それから先生の話を聞いた。
一度痛みと作用を抑えるための強い薬をいれてみる。
あとは本人次第になるとのことだった。

 ばあちゃんは手をさすりつづつけた。
小さい声で何を唱えていた。

おばちゃんもけいこさんなら大丈夫やと何度も何度もそう言っていた。

それから慌ただしかった部屋から とても穏やかな気がするような時間が流れた。機械音も正常なリズムを刻んでいた。

母は寝た。痛みがとれたのでしょうか。人が寝てる顔をして寝ていた。

私は母の眠りにほっとした。

ゲボゲボもひゅーひゅーもはぁはぁも言わない穏やかな眠りだった


朝日も登り良い晴れの空。時間は9時頃だった。


私は

よかった……!一時はどうなるかと思ったけど

山を超えたじゃないか。

そう思った。山を超えた。と。

ばあちゃんやちぃおばちゃんたちも少し緊張が解けたかなと思って顔を見たけど、なんだか怖い顔をしていた。

私は疲れからだろうと思った。

山は超えたのだ。もう何も怖くない!大丈夫だとつよく確信した。

その日、一旦帰って我が家の掃除を親族一同でするとなった。

そして、
私は一睡もして居なかったので姉と交代することになった。

何だかんだしていると 母が目を覚ましてベットから起きて少しだけ息苦しそうにしていた。

でも夜中ほどじゃない。きっと薬が効いているのだと思った。

みんなが1度帰るからケイコさんまたやぞと挨拶をしていた。
うんうんと頷く母。

姉と交代したので私も一旦帰る準備をしたら
「びよ帰るん……?帰らんで……行かんといてまぁ…」と言った。

ビヨ「1回お風呂に入りたいし入ったらまた来る!待っててね!」

母はベットに座って 酸素マスクを少し押えながらこっちを少し寂しそうに見送ってくれた。

私は

あとでね!

と病室の扉を閉めた。

おっちゃんの運転する車に乗って家に向かった。
私は心底安心した。山は超えたしこれできっと良くなるんやと。

帰宅後お風呂に入った。
ベトベトになってたのと病院の香りが付きまとってくる感じだったのを一刻も早く洗い流したかった。ガシガシ洗っているとふと考えた。
そしてなぜ母が帰り際にそう言ったのか分からなかった。

寂しいんかな?あー色々話したし楽しかってんな!
今はほんの数時間だけ。よし!また今日も病院に泊まろう!
パジャマと飴を持ってこう!そうしようと思った。

それからちぃおばちゃんやばぁちゃん、本家のおばちゃんたちで家の大掃除が始まった。

障子の張替えや掃除、あれやこれや進む。

ガタガタバタバタする音に眠れるわけが無い。かといって眠たい訳では無い。が、部屋にいては非常に気になる。
寝てなさいと言われてもなんだかと思い私も手伝った。

なんでするん?と聞いたら
ちぃおばちゃんが「一応や。お母さん帰ってきたら部屋綺麗ながいいがいね。」と笑顔で教えてくれた。
私は、そっか!こないだ急に帰ってくる時もむったむたやったし環境大事よね!と思った。

びよはいいからねまっし。と言われたけどウロウロしてたら何度も言われたので部屋にこもった。

布団に入ってぼーっと天井を見つめた。

オカン、山は超えた。
これが山を超えたか……。なるほど…… 越えたということはもう安心なんやよね。あーどうなるかと思ったけどよかった。

思いに深けた。
そして
 携帯を触り高校の友達にメールを送る。

この頃
文化祭の準備だった。
初めての文化祭。楽しみだった。

準備あったのに手伝えなくてごめんね。とメールした。

そうしたら友達から「いいよ!お母さんのそばにいてあげてね!文化祭準備任せとけ!」と来たのだった。

そして、ありがたい気持ちもちょっと羨ましいなぁと思う気持ちを持ちながらうつろうつろしていた。

夕方ごろ掃除も終わり病院へ向かうかとなった。

私は友達からもらったプロミスリングを付けようと手首に巻いた。

結ぼうとした瞬間 しゅるり。と足元に落ちた。

……。

ぞくりと何かをよぎりそうになるのを消した。

まぁ大丈夫。よしよし。関係ない。

そして拾って巻くのをやめた。

16時をすぎた頃だった

外は薄暗く寒かった。

病院に向かった。

車内ではちぃおばちゃんとおっちゃんといとこのねーチャンとわたし。

お腹減ったねー!なんていいながら向かった。

病院に着いた丁度くらいに
姉からの電話

「ねぇ…まだこれんの?」なんか声が変な気がした
「もうついたよ。」というと、「早く来て」電話を切られる。

日は沈みあたりは薄暗く寒い。

なんねんろ?と思いながらエレベーターで上がる。

ゴゥンと開くと、例のソファーに姉がぐずぐすと泣いて看護師さんに支えられていた。

は?と思ったら看護師さんが


「お母さん!息を引き取ったの」






は?

は?

姉がワンワン泣いてる

私の身体はエレベーターを降り切るまえ。

一瞬時が止まった。

そして、ガクンと崩れた。


なんでなんでなんでなんでなんで……!
ひきとった?え、死んだん?

それがグルグルめぐる。

看護師さんが「ほんとうにお姉さんも気が付かんくらいだったのよ。気がついた頃にはもう…」


ちぃおばちゃんが何かを言ってた。

おっちゃんが心配そうに私の肩を支えて。

いとこのねーちゃんは姉を抱きしめていた。

私はなんでなんでなんでを繰り返し。

山は超えたのに?

余命も超えたのに?

最後に話した会話が「行かんといてまぁ。」その言葉が何度も何度も除夜の鐘のごとく響く。

 姉がさっきよりも泣いていた。

私は、呆然とした。

目の前の景色

一人一人の行動がやけに目に付いた。
しかし思考は別のことでいっぱいで。

何を言ってるのか理解できなかった。
何をしているのか理解できなかった。
これがなんなのか理解できなかった。

すると、1人の看護婦がやってきて今処置中ですが、お部屋へいかれますか?と言われる。

姉はソファーに座ったまま動けずに泣いていた。
私はなんだか見てはダメな気がして姉と待つと言った。

ちぃおばちゃんが「待ちます」といった。

そして、どれくらいなのかもう覚えてないけどすごく早くまたお部屋へどうぞと言われた。

あれ廊下こんなに長かったけ?とやけに長く感じた。

食事のワゴンとすれ違う。

部屋に入ると朝見た景色と違って殺風景な気がした。

あー音がないんだと気がついた。

電子音もないし天井から吊るされた点滴の袋もない。
線と数字が表示されたモニターもない
ベットにぶらさがった尿袋もない
吐き出す為の銀の受け皿も何も無い。

何も無い。

でもベットには朝と変わらないはずの母が眠っていた。

 お母さんはなぜか朝と違う白い服を着てるの。手を白い紐で結ばれていて。
半目のところにコットンを当てられていて、鼻もなにか詰まってて。

そして、お医者さんがいて 何かを言っていた。

先生の声とグスリグスリと誰かの音が響く。

私は手を伸ばして母の手に触る。


 …温かい。朝と変わらない温かさ。


「ねえ……ま」

呼んでみるけど何も。

「ねぇってば!!」と少し強めに手を揺らした。

泣いて叫んで「お母さん!!!」と呼んでも目を開いてはくれなくて

グラグラ揺らして 起きてま!起きてま!!!!と発狂した。

かなり異常だったとおもう。看護師さんたちが あっ。と声をだした。

ちぃおばちゃんも私を止めようとした。

そんなちぃおばちゃんの手を振り払って

「だって!お母さん生きとるもん!!!温かいもん!」と言った。
生きてると思った、だってまだ温かいのだ。
綿なんて詰めるなよ。生きてるのに。
そう思ってもう1回起こそうと思ってお母さんの姿を見たけど

その後に…なんだかとっても…呼び続けることが出来なくて。お母さんから離れた。そしてワンワン泣いた。ただをこねる子供のように泣いた。

ちぃおばちゃんがお母さんのそばによって
「けい……お疲れ様。」そう言って頭を撫でた。それから肩を震わせて泣いていた。

医者と看護師さんがこのあと、場所を移動します。と。

その前にと、ちぃおばちゃんが「けいこさんの最後を教えてください」といった。

姉も私もぐしゃぐしゃに泣いていた。

看護師さん「本当に眠るようにお姉さんも気が付かないまま息を引き取りになりました。」といった。

それ以上はなにもなかった。

あーぁ母が苦しまずかと安堵した。が死は理解はしてない。がそう思った。


なんで気が付かないの?とか
なにしてたの?とか
色んなことを考える余裕がない。

それは今でも。ふと思ったとしても、聞くことなんてしない。
それを聞いても意味が無いもの。きっとそのまんま。
眠るようにそっとなんだと。


昔 お母さんが言っていた。
死ぬ時は眠るように死にたい。と。

安置室に移動して 私の涙はビタリととまった。

担当医からの言葉があった。
「とても辛抱強く、余命よりも長く頑張り…」
状況や人柄などおしえてくれたがわたしは

お医者さまを睨んでいた。

完全な八つ当たりである。

でも、当時の私にはあまりにも理解できなかった。

治ると思っていたから。

余命もこえて。

山も超えたし。

辛い治療もがんばってくれた。
よくわからないけど試したいといった病院側からの治療もした。研究にも協力した。

……卵がゆもひとくち食べた。
今日話してた…。あとでねといった

それなのになんで……おかしい。おかしすぎる。

そんな気持ちならコンコンと湧き出た

人生で睨んだ人は今も昔もこのお医者さんだけだ。

理不尽だっただろうに。

ちぃちゃんおばちゃんやおっちゃんにその目やめなさい!と言われるまで睨み続けたのだった。

…合掌

そして、家に帰る手配をした。

貴重品以外の荷物は後日にしてもいいと言われ、母と帰ることに。

お迎えが来て
ちぃちゃんおばちゃんが「けいこさん帰ろう。おうちに帰ろう。もう、帰られるよ。」と言った。

バレないように隠されるように車に乗せられた。
夜風は冷たく吐く息は白い。


家に帰るとみんないた。
転勤していた親父も夕方に家に着いたらしい。
 家には葬儀屋さんがパパパッと白い布団に簡易の祭壇と24時間灯しっぱなしができるロウソクをおいてくれた。

母が真っ白な布団に入るとばあちゃんがすぐに駆け寄って

頬を撫でながら「この親不孝者!親より先に死んだら親不孝や」と泣いた。抱きしめて泣いた。

それにつられてみんな泣いていた。

私は泣けなかった。もうなにがなんだか分からなかった。

揺れるろうそくの火をじっと見つめた。

みんなは葬儀の準備に打ち合わせをしていた。

布団を少しずらして眠る母の手に触れた。

理解し難いほどの氷のような冷たさ。

この瞬間にあーもう死んだんや。と思った。人ではありえない冷たさ。理解はした。ただなにかこう腑に落ちない。

隣のリビングを見ると親父は何故か嬉しそうに飯をみんなに振舞っていた。
葬儀の話も少し笑いが出ていた。

そんな異様な空間に私は異常性を感じてしまった。
2003年11月19日  

後日談ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

母の式も終わり、病院の手続きなどをしに姉と向かった。
姉は手続き。私は荷物の片付け。

ナースセンターから母の荷物を受け取った。

すると担当だった看護師さんに「本当に素敵なお母さんやったんよ。実はねモルヒネってお薬は強くてね、使うと意識が朦朧としてしまうの。そうすると娘の顔が分からんくなるからあまり使わないでと言っていたのよ。」

そう聞いて、ひとつずっと不思議だった事がカチリとはまった。

まだ治療してまもない頃、母の病室に入ったら「え!きつね…」と言われたことがあった。最初聞き間違えかなんか冗談かと思っていた。そのあとじっと見てきた母が「ビヨやんな…ビヨ…」と言われ、へんなのー!って思ったことがあった。

私は看護師さんに

「そうなんですか…。ありがとうございました。」そう言うと、看護師さんが「お母さんのこと本当に残念やけど、これからお姉さんと2人仲良く頑張っていくんやよ。」と言われた。

ぺこりと頭を下げたが、正直???だった。

その頃の自分は、母の死の実感が無かったのだ。いやちがう。
どこかで生きている。そんな感じ。
死んでいるのはわかってるけどそばに居るような家に帰ればおかえりーなのかはたまた、病院に行けば「ビヨか…」と少し嬉しそうにしてくれる母がまだいる気がする。

そんな感じな死が理解できてない状態だった。

なので看護師さんがいうように残念なことなのかもわからない。

 病院からの帰り、看護師さんの話があたまをぐるぐる巡った。

残念なのか……そうか。死ぬことは残念なことなのか。

死んだけど、いないのだけど。
どっかで飲んでて、帰ってきたらいつもの台所の黒い椅子に座って刺身とビールを飲んでタバコをぷかっと吸って私の帰りを待っているんじゃないかとどこかで思ってる。それは30歳くらいまでずっとずっと思っていた。

⟡.· ⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯ ⟡.·

もし、いまあの時母に「あきらめていいよ。」と言っていたらもっと楽して生きられたのかなぁ。

帰らないでと止められた時、ずっとそばにいて居たら最後私が気がついて見送ってあげられたのかな。

後悔先に立たず。

もし、母が生まれ変わっていたら 素敵な恋をして 沢山愛されて 大切にされて 幸せだったらいいな。

私は母さんの子供でよかった。幸せやった。
どんな辛くてもいつも優しいオカンに
助けられていたよ。

ありがとう。おかん!そう本当は伝えてあげたかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?