亡くなった人ともう一度会いたい/自然で切なる願い
亡くなった人と会いたい・・・。
それは、ごく自然な感情だと思う。
死んだ人と会えるわけなんて
ないじゃないか。
確かにそうである。
死んだ人が生き返るわけがないことは
誰だってわかっている。
わかっていても知性と感情とは
別の領域のものなのだ。
私は長年、人の悩みの相談を受けてきたが
亡くなった人に会いたい、
と、相談してくる人はいない。
そんなことは無理なことだと思っているからだ。
仕方ない、諦めるしかない。
死んだ人と会いたいなんていったら
おかしいと、知性が言うからである。
でも、知性で人は生きていない。
いくつかの例がある。
(いくつかの例を複合してます)
死んだらすべて無になる、
そう考えていたバリバリ理系の男性が
若い娘さんを突然亡くした。
突然であったことや
死因が公表されなかったことから
死因は概ね予想がつくだろう。
娘さんの葬儀が終わると
彼は淡々と仕事に戻った。
飲み会などには参加しなかったが、
毎日、出勤してこれまで通り仕事をして、
以前とは何も変わらない生活だった。
男性の多くはこんな感じだろう。
だからといって、気持ちの整理がついたわけではない。
彼もまた亡くなった娘さんと会いたいと
切に思っていた。
そして、その方法を秘かに探した。
死んだら終わりと考えていた
理系脳の彼が出した答えは、意外すぎた。
「いたこ」に会うという方法だった。
いたことは青森県津軽地方の伝統的な霊媒師である。
伝統的ないたこは、数名しか残っていなくて
1人が50代、あとは90代と高齢である。
彼は、そんな高齢の霊媒師のもとに
娘さんに会うために秘かに向かったのだ。
高齢のいたこは津軽弁で
言っていることがストレートに伝わりにくい。
伝統的な盲目のいたこ「中村タケさん」
https://youtu.be/F6ItizErp1w?si=TUZc3-N9PdHSs7T_
若い娘さんが、そんな老婆のもとに
降りてきて語るというのも
そぐわない感じがするが
そんなことはどうでもいいほど
ただただ、娘にもう一度会いたかったのだ。
それが、ほんとうの人間の姿だと思う。
また、夫を亡くした奥様から
夫にもう一度会いたいという一心で
数年間、霊能者巡りをしたという話も
聞いたことがある。
いたこは、消滅していくし
お金目当てのインチキ霊能者が蔓延しているなかで
私は、人の切なる気持ちをどうやって
サポートできるのか
その方法を探ってきた。
2021年の夏、コロナ渦で
外出が自粛されていたお盆。
帰省もできない人もいる時期だったので
オンラインでのお盆企画をした。
『亡き人からメッセージ』を
リーディングしてお伝えするという企画だった。
終了後に感想文を書いてもらうという条件で
1案件1000円で行ったのが
こちらです。
これが、ほんとうに亡き人からのメッセージであるという
証明はできない。
しかし証明できないものは信じないのが
健全といえるのだろうか?
逆に、亡くなった人に会いたい、
メッセージが欲しいという切なる思いは
健全ではないと言えるのか・・・。
実際、このリーディングで
気持ちが楽になったという方たちは
事実として存在している。
リーディングを行っている側の
率直な感想はどうなのかについて
あまり聞かれたこともないが
正直に言いたい。
結果に対しては
鳥肌がたつほど「これはまちがいなく真実だ」
と、思う場合もあれば
いまひとつだと感じる場合もある。
それは、プロの芸術家と同じだと思う。
どんなプロの演奏家でも
いつも満点の演奏はできないはずだ。
いまひとつと思うこともある。
それは、自分の実力不足もあるが、
客席の雰囲気だったり
会場の条件だったりもする。
プロとは、満点をめざしていく者をいう。
このリーディング企画後も
人の切なる思いを叶えるために
さまざまな模索をしてきた。
亡くなった人と会える場所である
恐山にも行った。
いたこにも会った。
2人の霊を降ろしてもらった。
ミディアムシップも学んだ。
実際に、ご本人に「会えた」
と、実感してもらうために
ヒプノセラピーも学んだ。
現代的な「令和版いたこ」
になるための道のりだ。
それでも、どうがんばっても
インチキだといわれる領域なのだ。
ある有名なインフルエンサーが
いたこはインチキだと言っていた。
でも娘さんを亡くした父親の心を
少しでも楽にできた人は
高齢のいたこだけだった。
たとえインチキだと言われたとしても
亡くなった人に会いたいという
切なる気持ちをサポートしたい
という切なる気持ちが、私にはある。
なぜ、この領域に興味をもつのか、
その理由も明確にわかるわけでないが、
幼少期から「死」ということ考える
こどもだった。
亡くなった人に会いたい。
そのピュアな感情の裏には
こうしておけばよかったという後悔、
伝えたかった思いや感謝、
亡くなってしまっても残るわだかまりの気持ちも
存在する。
その思いが心の重荷になってしまって、
遺された人の人生が止まってしまっていることも多く
心身の不調となって現れている場合もある。
そんな、会いたいと願う思いの
裏側にある気持ちに決着をつけることで
ひとつの区切りとできることがある。
目的とするのは、遺された人の人生がよくなること。
亡き人と再会することで
理解や和解 学びや成長 感謝に至るということ。
生きている人との関係の持ち方があるように
亡くなった人との関係の持ち方がある。
そんなふうに思う。
私にも会いたい人がいる。
こんなことをしている私を
「君らしいよ」
そんなふうに言ってくれているように思う。
それは証明できないけど
励みになっている。
亡き人に励まされながら
切なる思いに応えるための
「令和版いたこ」への旅を続けていきたいと思う。
この秋から
オンラインでのヒプノセラピーで
「亡くなった人と再会する」
セッションをスタートします。
必要な人に届きますように。