菊池くずれ10段
げにも 勇ましや川上は
「やあやあ肥前の敵軍ども 我こそは川上左京と申す
者なりこの上からは5名10名とは面倒なり
何百何十でも一度にかっかれ」
と呼ばわったり
「おのれ 憎き川上左京 小兵の分際で口に番所ない
とはいいながら 言わしておけば言語道断 そこ動く
な」とばらばら 雨やあられの如く切りこんだり
はつと身体をかわせし川上が切り来る太刀は雨あられ
右手に払えば左手にかわす
左手はらえば 右手にかわす
はずし早業 花むすび 上を払えば下くぐる
下を払えば宙に飛ぶ 宙を払えば おどり超え
虎の勢い 龍の勢 火花を散らして戦うたり
やがて 土井の江上にいで渡り」
川上は江川と暫く戦うたがどちとも勝負もつかざれば
土井の江上は川上に打ち向かい
「やあ いかにも左京 剣の勝負は面倒なり。組打ち
せん」と言うよりも「望む所幸いなり」
と刃物がらりと投げ捨てたり
「おお 天晴れれなるか川上左京 以後の見せしめ思
い知れ」とむんずとばかりに組みついたり
えいや えいやと組合うたが川上は力のあらん限りに
押せど引けども 土井の江上は大木同様 微動動きも致さず
江上は「おのれ憎き川上」とむんずとばかりに組伏せ
早いかんと致せども大盤石の風情なり
大力の無双の勇士のめんめんが 力のあらん限りに組
打ちいたせども どとらとも 勝負もつかずして
しばらくの間は命からがらに戦うたが 運命つきしか
川上は よろよろと足がよろめく
ここぞとつけこむ土井の江上
ぐっと力を入れたその途端に えいや とばかりにひつかついで
目よりも高く差しあげ「やあやあ遠くの者も近くの者も土井の江上が有様を見よ川上左京はこの通り いかにも川上 汝は大盤石をまとうにして八幡地獄の
その中に打ち込んでやるからそう思え」
「あいや 土井の江上殿 そう法螺を吹き給うな
肥前方には裏はござらぬか薩摩方には裏と表がござる
いかにも土井の江上殿この川上が裏手で八幡地獄の
門口を飛び抜けて逃げるから御覧そうらえ江上殿」
言うが早いか川上は土井の江上の肩の上に飛び上がり
大地にどつと飛んで下り 土井の江上の御腰をぐつと
ひつつみ目よりも高く差し上げたり
「やあやあ土井の江上殿 耳の穴かつさらえてよくも
聞き給え
御前の背は六尺豊か この川上は五尺足らず
小兵小兵とのみ入みすぎり このざまはどうでござる
か この上からは江上殿貴殿を八幡地獄の中央に飛
び込ませそうろう故 迷わず成仏し給え」と
えいや えいや ともんどり 打っているところ
遙か あなたの 方よりも 加賀宇輝綱殿
「やあやあ 川上左京殿暫くお待ち給え その土井の江上だけは
必ずお助けくだされ」と
「何と申すか 輝綱殿逃がすの逃がさぬは川上が胸にござる 以後
の見せしめ」と大盤石に粉みじんに投げつけんとすれ
ば輝綱は川上に取り縋り
「必ず待ってくだされ川上殿 この江上を殺してくだ
されば 何の話もつきませぬ この鍋島に対し江上の
命だけは助けくだされ」
「何とのたもうか 輝綱殿 この上からは川上が申す
言葉聞きそうらえ外ではござらぬ 隆信公と申す殿様
は 我が主とは存ずれど 元を正せば妻子の仇
隆信公と川上と見参勝負を許し給えば
土井の江上の命だけは 御身に対し助けてやろう 早
く覚悟あるように お伝え候え鍋島殿」
「その儀にあらば暫く川上殿 お待ち候え」
と主の御前に立ち帰る隆信公のお目通りになりければ
右の次第を詳しく申し上げ 御大将は聞き召し
「なるほど 鍋島加賀輝綱 汝みたような侍ばかりの
ことなれば国は乱れて 御殿は崩れ我が御殿も今日ま
で 我が川上左京と戦い致し勝つと言うことは
おぼつかない 我負けたるものならば
汝が予の御殿に立ち帰り 汝が御殿と定め
末頼もしくたよるのは
汝より外になき故に肥前国を守り 必ず悪名を残さず
美名を残してくれぞかし 万事は頼む 」と立ち上が
り手早くご用意を遊ばし給う。隆信公は華々しくも出
で立ちははでやかに遊ばせど運命尽きしか
隆信公は門出よりも遅れを取り しおれて」出で立ち
なされ給う 小高き所にはせ上がって
「やあやあいかにも川上左京とやら これに参りし我
こそは佐賀の城の住人織田竜蔵寺山城の守隆信とは身
が事なり これに参って見参勝負をせよ」
「やあやあ 汝は隆信なるか 我こそは元を正せば汝が家来 薩摩に三年勇戦の折少し日限をはずれ肥前に帰ってみれば咎なき妻
子を殺した上に おのれ憎つきとは思えども 薩摩に
立ち帰り島津の家来となり 時を見ておれと日を暮ら
すうちに 罪なき三郎兄妹を肥後と筑後の国境竹江原
に逆さ磔の拷問にかけ 殺した上からは
三郎兄妹の仇 二つは妻子の仇 見参勝負あれ」と
進み寄る
「やあやあ いかにも川上 汝が申すとうりしからば
勝負いたさん」と互いに名刀抜き放ち いさぎよくも
切り込んだり
えいや はっし ちよはつし とげに勇ましく
切り結ぶ 川の淀瀬の水車 仕掛けのよければくるく
る回る 川上の身体の変わること
目に見えねども飛ぶ蝶の如く互いにしのぎ削り合うて
戦う剣の鍔鳴りは浜に千鳥が鳴く如く暫くの間
戦うたが
おんいたわしや御大将 最早 受け太刀とあい見えて
一太刀受けては 一足すざる 蓋太刀受けては 三足とかわす
一手弱れば 千手の悩み 弱みにつけいる川上がここぞと後ろに
立ち回り えいや はつし と切り込む途端 隆信公
は身体をかわさんとなされしども 大盤石に蹴躓き
よろめきなさるその所を
水もたまらず川上が隆信公の首を討ち取ったり
これ幸いと川上は隆信公の首を太刀のきつさきに
突き抜いて小高い所に馳せ登り 目より高く
差しあげて 天地も崩るる大音声「
「やあやあ 肥前の敵軍ども 二つに薩州の味方勢
音にも聞こえし 肥前の国 肥後と筑後 三カ国の御
大症隆信公の首をただ今 川上左京が討ち取った上か
らは これを見よ」と声 高だかに 呼ばわったり
重ねて再び声を上げ
「やあやあ いかにも 敵陣ども この上からは百や
二百は面倒なり 敵は一度にかかれ」と呼ばわったり
呼ばわる声は聞けども敵陣一人出ずる者ぞさらになし
川上の勢に恐るる者ばかり
「やあやあ いかにも 敵の陣 相手なくんば川上は
下るぞ」と味方の陣屋に引き下がる
おんいたわしや 肥前の味方 主を討たれ味方は討死
致し哀れはここに 鍋島加賀守
これ程負け戦さを致したからは
佐賀の城に帰る面目は無けれども 味方を集め 一度
は城内に立ち帰らんと 雲仙を後にせんとするところ
薩摩勢は一度にどっと声を上げ
「やあやあ この度の戦は島津公が大勝利」とげにも
勇ましく尚もしおれる肥前の味方 隆信公の首うやま
えて 雲仙を後にして港さして急ぎ佐賀行く 港より
船便を買い 故郷さして帰り行く
早いものかな 高瀬川に着きにける 高瀬川になりけ
れば あまたの悪侍ども やあやあ 方々 隆信公も
命あるときは御大将であれども討ち死に遊ばしたこの
首が なんの役に立つべしかと 高瀬川に打ち流し
佐賀をさして帰り行く この後 隆信公の思いがい
かなる騒動にあさまるか 読めば感ぜぬ者こそなかりける
さてや 隆信公の御恨み思いの程はいかがなるや
さても 語り継がれる結末は次の段