肥後琵琶「江戸紫紅お七~おしのびの段」
梅か桜かレンゲの花か
世に哀れ 春吹く風に名を残し
おくれ桜の けふ散りし 身は
東は名高き花の江戸 本郷筋は大火にて
普請成就のその間 八百屋久兵衛 家内残らず 駒込の
檀な寺なる 吉祥寺 門前長屋に仮住まい
娘お七と申するは 年はようよう十六歳
月日を送るそのうちに 寺の小姓吉三郎に恋焦がれ
文を送れど返事なく 思い詰めての一思案
寝所を忍び立ち出でて
吉三が寝間へと急ぎ行く
吉三が寝間の唐紙を 少し開けては 差しのぞき
寝入りし体を見るよりも
そっと這い入り 跡をたて
吉三が寝顔を打ち眺め
夜着の襟に取りすがり
コレコレ申し吉三さん
おん目覚めてされて下しゃんせ と
揺り起こされて 吉三郎
ハッと驚き 目を覚まし
ムックと起きて座に直り
誰かと思えばお七殿
夜中にといい何事ぞ
申し 吉三さん
あなたを見そめしその日より
寝ても覚めても目に付いて
烏の鳴かぬ日はあれど
忘るる隙はないわいな
女子心の浅ましさ 何をとっても手につかず
三度の食事は二度となり 二度の食事はただ一度
ついには病の種となり
思い詰めて参りしぞ
こがるる私を思いやり
叶えてやろうとのおん言葉を
一言言うて下しゃんせ とくどけば
吉三は顔を上げ
コレはコレはお七殿
まあまあようも聞いて下され
まずそれがしと申するは
三つの時に父に別れ
七つの時には母に別れ
世に頼りなき身となりしゆえ
当山にもらわれ 出家をとげる身であれば
その道ばかりは許してくれ
はやく この場を出でられよ と
言われて お七は涙ぐみ
これのう いかに吉三さん
梅も八重咲く桜花牡丹も八重じゃしゃくやくも
数ある中の乱菊も
一重に開く 朝顔も
錦 色あるもみじ葉も 思い思いに色を持つ
あなたも出家遂げるなら
釈迦の弟子でござんしょう
のう さいのう
仏法ひろめし 釈尊様も
御子にラゴラ あったとや
如来と書きたる二文字は女へんに口とかく
女来たるじゃあないかいな
妙法連は女少しと書くそうな
あなたじゃとて誰じゃとて
色の道より生まれなば 色に離れた人もなし
情けをしらぬ人もなし
お情けかけて下しゃんせ と
「これ 申し吉三さん 私が送りし この文を
封も切らずに枕の下積みとは情けない
読みも いやなることならば
七が読みます 聞いてたべ
私の家は八百屋にて
青物尽くしにことよせて
丹誠つくして書いた文
封を切って押し開き
まず一番の筆だては
田芹に任せ ひとふき 占地 松茸そうろう
蓼主さんの はでな大根御姿を
紫蘇と三つ葉の茄子より
慈姑の西瓜 法連草
蕨が 心で独活独活と
瓜 な願いの山の芋も
心が筍 願いあげ
神々さまに蓮根し
吉三の嫁菜に なりたやな
いつかは叶えば この身は 茗荷 だけ
お前もぴりりと山椒で
もしも水菜と言われたならば
山葵は なんと 生姜の根 なんと松露
栗くりと案じてものも慈姑ずに
唐こ芋 じゃ ないけれど
筆にまかせて 唐辛子
年は十六 ささげの 初成りを
葉生姜 長芋 五升芋
隠元 捏芋 と思われて
八百屋の家の初瓜を
あんばい 見る気はないかいな
ねぎ よき お返事 焦がれて 毎夜 ねず筍
おん哀れみを おがみゆり
わたしはお前に焦がれ泣く
吉三はそれを聞くよりも
これいかにお七殿
文玉梓をくれしとて
重ねておいではご無用と申し立てれば
これいかに吉三さん
その日暮らしの朝顔も
露に一夜の宿を貸す
野原に根を持つ 花咲かす
とれば 手を刺す 鬼アザミ
鬼と言われる アザミでも
露に一夜の宿を貸す
馬に蹴られし 道芝も
露に一夜の宿を貸す
菜種の花さえ あのような
しおらしそうな 花なれど
蝶々は一夜の宿をとる
かくあることをくみわけて
叶えてやろととの 御言葉
一言言うて下しゃんせ と
吉三が膝に手をついて
ワッと泣き出し 伏し惑う
お前の肌をなぜ貸さぬ
恋という字を知らぬかえ
文という字を覚えぬか
これまで来たる上からは
この身このまま帰りゃせぬ
くどきたてられ 吉三郎
あいや お七殿
いつまでも そうしていたとても
その理に染まるわしじゃないわいな
生みの親より大切に
養育受けし お師匠様へ
この恋もれるなら この身はなんとなりましょう
ここのところを聞き分けて
はやくこの場を帰られよ と
花のお七をつきはなす
聴くよりお七は胸なでおろし
「この世で添われぬことならば
来世で添うて下しゃんせ」
どうぞ私亡き後で御回向お頼み申し上げますと
女心の一筋に
この身このまま帰られぬ
さらば自害いたさんと
持ったる刀をサラと抜き
胸にあてんとするときに
吉三 ハッと驚いて
その手 しっかと握りしめ
持ったる刀をとりあげて
それほど思い詰めたる御志
さらさら あだに 出来ぬぞな
もしも御師匠様へ聞こえなば
勘当うけるもの必定なり
その時こそは冥土の道連れ
ともに浮かばん さあさ その覚悟いかなるや
そりゃあ 言うには及びませぬ
三途の川も二人連れ
なんのいといがござんしょう
妹背の起請を致して下しゃんせ と
なるほど そのほうの言う通り
しからば 起請いたさんと
互いの起請をしたためて
左の小指の血を絞り
血判いたして 取り替える
ああこれでうれしやありがたしと
互いに帯とき
さらば手前にと身をまかす
十六ささげの 振袖を
こちへこちへ と今ははや
次の一間へ 引きにける
六尺屏風の内なれば
これいかに 吉三さん
灯りを消して下しゃんせ
初床入れのことなれば
わしゃ恥ずかしいというままに
口水仙の玉椿
手足はしっかとからみ藤
からみついたよ藤の花
色紫のほどのよさ
六尺からだの真ん中に
しめつ よろみつ はつつづみ
打ち出す 音色のおもろしろや
恋の錠前じっとしめ
いきも とぎれる風情なり
はや 東雲のほど近く
夜はほのぼのと明け渡る
お七はフッと心づき
これいかに吉三さん
大寺小寺の 鐘つく人がうらめしや
しののめどりは死ねばよい
お天道様も出ぬがよい
もったいないことなれど
いかに別れがつらいとて
罪なき仏を恨みする
いかに思いあぐれども
人目にかかれば一大事
夜明けの内にもどらんと
寝間を立ち退き忍び出る
さても哀れなお七のいく末はこれからなれど
長い話は座のさわり
今日はこれにてまた今度
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