映像の世紀バタフライエフェクト「ゲッベルス 狂気と熱狂の扇動者」に寄せて


のこされたゲッベルスの映像 
 9月2日(月)に放送された同番組の録画をみた。
 ゲッベルスがヒトラーの片腕で、宣伝相としてナチスを支えたこと、ナチ・ドイツは少数の権威が国民を引っぱっていく構造だった点が、日本の戦時プロパガンダと違うことは知っていたが、それぐらいである。
 ゲッベルスの映像が多くのこされていることに驚かされた。

 前回の「映像の世紀」のエピソード「太平洋戦争 日米プロパガンダ戦」は、テーマに沿って対象が焦点化された編集とはいいがたかった。多面的にとらえる意図があったためと推察されるが、映像があちらこちらに飛ぶため、申し訳ないが、とてもついて行けない感じだった。それに比べると、1人の生涯をたどる流れはわかりやすい。いや、わかりやすい編集にするだけの映像が量的に可能だったことこそが、まさにあの時代のプロパガンダの徹底ぶりを示すのかもしれない。

印象きつい映像の数々
 衝撃的な映像はまず、小児麻痺の後遺症で、右足に装具を身につけていたという彼の歩行だった。一目で、左右のバランスがくずれ、運動やダンスに支障があったことのわかる引きずり方をしていた。どうしても、「もし、彼が小児麻痺でなかったら……」と考えさせられてしまう動きだった。

 それと同じぐらい衝撃的だったのは、彼が最期のときに道連れにしたという6人の子どもたちの遺体が並べられた場面である。これは悪趣味としか受けとめられない記録だった。確かにゲッベルス家の子どもであるかという検分のため、そして検死目的で運びだすタイミングに撮ったものであろうが、現代的感覚で「子どもの権利」に思いおよぶ身には、吐き気すら覚える目からの刺激だった。親がだれであろうと、彼らの尊厳には配慮があってよかったのではないだろうか。

口演の名手としてのゲッベルス
 かんじんの宣伝相としてのゲッベルスの働きだが、口演があまりにうまいことに驚かされた。そう、演説ではなく、私には「口演」である。国策宣伝の内容を台本として頭に思い描き、それを観衆の反応を読みながら興行したのだろうから、「口演」とするのがしっくりくる。
 彼の口演は、その観客の反応に応じた間の取り方が絶妙だった(絵本の読みきかせにも通じる)。そして、ヒトラーよりはるかに見劣りする小さなやせた体躯というのに、ヒトラーの声質よりはるかに澄んで聞きやすい。選んだことばを効果的に響かせるのに長けていると思えた。宣伝相としての職務は、てっきりプロデューサー的なものと思いこんでいたものだから、じかに国民に訴える彼の口演の様子と技術には、あっけに取られた。宣伝の内容より、そういうところに訴求があるのが、宣伝相として「使える」とヒトラーにみとめられた資質だったのではないかとすら思えた。

私怨とヒトラーとの思想的結合
 彼が企画した宣伝内容について論じる力は、私にはとてもない。でも、一つだけふれておきたいことがある。
 「考証」であったか、石田勇治氏のお名前があがっていたので、そう目くじらを立てないでも……とも思ったが、博士となったゲッベルスがジャーナリストや物書きを目ざし、新聞にくり返し投稿したという箇所。その投稿先新聞社の経営者がユダヤ人であったから、私怨をつのらせてユダヤ人迫害に走ったというような文脈で流されていたが、それは本当なのだろうか。
 そういう一面もあったのかもしれない。だが、冒頭にユダヤ人カメラマンに対する「憎しみの目」を置いておいて、投稿が取りあげられなかった私怨だけを文脈として取りあげてしまうのでは、彼がヒトラーの民族浄化にくみしていった思想的な結節が背景に引いてしまうと思えた。そういう物語にしろという意味ではない。彼のユダヤ人憎悪が思想として丁寧にとらえられれば、アーリア人夫婦の手本として子どもを6人設け、ナチ・ドイツに、またその家族政策に貢献しようとしたこともとらえられる気がしたのである。

平井正の著作
 検索で、平井正が中公新書に『ゲッベルス メディア時代の政治宣伝』(1991)を書いていると知る。私はこの高名な研究者に、学生時代、第二外国語として2年間、ドイツ語を習っている。テキストはもうみあたらなくなってしまったが、2年めは確かベルリンの1920年代について書かれた薄いペーパーバックを読む授業であった。当時、フランクル著・霜山徳爾訳『夜と霧』(みすず書房、1956年)を読んでいた痛手から、その後、とてもドイツの歴史を継続して学んでいこうという気にはなれなかった。だが、平井正がメディア研究として書いた同書を、手に取るにふさわしい時機が、いま来ているのかもしれない。
 平井氏は、ゲッベルスのユダヤ人に対する感情をどう論じているだろうか。


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