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ハンセン病患者の飾らない感情と肉体、生活をのこしたいという意思が可能にした映画「かづゑ的」

【観た映画】
◆熊谷博子 監督「かづゑ的」(2023年、オフィス熊谷 製作・配給、119分)於:下高井戸シネマ(2024年6月22日) 
 
下高井戸シネマと社会派作品
 本年3月2日に封切られた「かづゑ的」が、本日6月22日(土)より下高井戸シネマにかかった。ちゃんと観られるだろうかと惑いがあったが、これまで遠巻きで済ませていたハンセン病について知るのに、これを逃せば、たぶん一生このままではないかと思えて足を運ぶ。ホロコースト証言シリーズ3部作の上映時にも感じたが、重いテーマの作品であっても、この映画館には少なくない人が集まる。「世のなかの問題を知ろう、学ぼう」という気配が場内にはみなぎり、今回も「社会が少しでもよくなれば」と願う人たちのつくりだす空気に心強さを感じながらの鑑賞体験となった。
 
「感覚が理解することを拒む」
 1928年2月、いまの岡山県美作市に生まれた宮崎かづゑさんは、かつては「らい病」と呼ばれたハンセン病を罹患し、国の隔離政策(1931年「らい予防法」制定、1996年廃止)のもと、10歳の冬に瀬戸内海に浮かぶ孤島にある隔離施設、長島愛生園に入所する。2024年2月に96歳となったかづゑさんは国内のあちこちや海外も訪ねることになるが、入所以来ずっと長島でくらしてきた。かづゑさんは左脚のひざ下、右足の先、手指のすべてを病の治療のために失うことになる重症患者だが、22歳のとき、比較的軽症の孝行さんと結ばれる。
 この映画は2015年7月、かづゑさんの著書『長い道』(2012年、みすず書房)を読み、彼女の人生を映像にのこしたいと考えた熊谷監督との出会いがあり、2016年9月から、「らい」(かづゑさんは、菌の発見者名ではなく、こちらの表現を選ぶ)のすべてを見てもらおうと意図するかづゑさんの生活に伴走する撮影がはじまった。
 彼女が入浴の場面を撮るよう監督に申しでるところで、私はいっしゅん心臓にぴっと氷が張るような感覚を覚えた。「ちょっと待て、まじか。それは準備がない」と、目を覆うかどうかと躊躇する前で、スクリーンには義肢装具や包帯をはずす、かづゑさんの肉体があらわになった。
 つい先日読んだ高橋源一郎『ぼくらの戦争なんだぜ』朝日新書(2022年、朝日新聞出版)にあった記述を思い出す。
 
    想像を絶するような光景を写した映像、たとえば、水俣病の患者た
   ちの様子を克明に写したドキュメンタリーを見るとき、たとえば、原
   爆投下直後の広島の様子を撮影した写真を見るとき、ぼくたちは、
   「かわいそうに」とか「無残だ」とか「残酷だ」といった感想を持つ
   よりも、どう感じていいのかわからない、と思ったりするのではない
   だろうか。
    それは、ぼくたちが知っている「日常」のあり方とは、遥かに異な
   っていて、そのようなあり方を、どう理解すればいいのか、頭脳では
   理解しても、おそらく、ぼくたちの感覚が理解することを拒むからだ
   (66頁)。
 
  これは学生時代、大学で推薦図書としてあげられた、V・E・フランクル/霜山徳爾訳『夜と霧――ドイツ強制収容所の記録』(1956年、みすず書房)の口絵で、ガス室で息絶えた人びとの山積みの死体の写真にふれたときに覚えのある感覚だ。
 かづゑさんがあらわにするのは病とたたかう肉体だけではない。豊かな語彙による表現にもまた、想像を絶するものがいくつもあった。たとえば、手の指を失っていく過程での思いがどういうものだったかを訊ねる監督に対して、説明された彼女の生活空間。それをさかのぼって、病気が近所にしれたときの少女期に一家が生まれ故郷で受けた仕打ち。入所した愛生園で軽症者からあびせられたことば。いずれもこれから観る人のため具体的には書けないが、感覚は確かに何かを感じてはいるのだったが「理解することを拒む」
のであった。
 
かづゑさんの幸い
 ここまで書いてきた内容は、「重病の人を記録した映画など、楽しく過ごすべき自由時間に観るものではない」と取られかねないものだ。しかしながら、かづゑさんの日常はけっして「かわいそうに」「無残だ」「残酷だ」といったものではない。それは彼女の大らかさやたくましさという人格によるものであり、読書(テープ読書もふくむ)でつちかってきた知性から繰りだされる豊饒でユーモアのセンスあふれる表現によるものでもある。
 そして何より、孝行さんという連れ合いと積み重ねる生活体験の意外性、やさしさと愛に満ちたやりとりの微笑ましさである。
 かつては隔離のために移ってきたこの島は、あしたに夕べに四季折々にみごとな光景を見せてくれる、夫婦にとっての約束の地でもあった。彼女が見舞われたしんどさは身体と心の深い痛みであり、それを社会の周辺に追いやる政策や制度の理不尽であったが、人や光景との出会いをはじめとする彼女への恵みにふれたとき、これもまた理解を超え、観る自分の感覚の受けとめにゆだねるしかない部分の広漠が感じられた。


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