下手にでる女。
突然だが、わたしの処世術は、
とにかく下手にでる
ことである。
相手が年上でも年下でも関わらず、
とにかく自虐すること、
わたしなんかこんなことすらもできない、とアピールすること、
だからわたしはあなたの敵ではない、
ということを伝えまくること、
それをモットーとしている。
この術だけに頼って世を渡ってきた結果、新しいコミュニティに加わっても、そこそこ困らずに過ごせるようになった。
多少失敗しても仕方ないなあ〜あなただからね、で許される。(人としてどうなのかは別として。)
でもやっぱり、時々モヤっとする。
先日、
「わたしはあなたにわかってもらえるとは思ってない。ただ聞いてくれればいい。そんなことになるならこうしたらいい、なんてアドバイスは求めてない。」
と、ある人に泣きながら言われてハッとした。
下手にでることがポリシーのわたしからすると、
他人へのモヤモヤを飲み込まずに出してしまったり、
少しでも愛想よくできなかったりする人を見ると、
なんとも生きづらそうだなあなんて思って口出ししそうになってしまうのだけど、
いまさら、今日気づいたのです。
人って、自分より下だと思ってる人間にしかアドバイスしない。
という、この世の真理に。
わたしが今まで抱えていたモヤモヤはこの事実によるものだった。
こんなことがあって、落ち込んでいる。
こんなことがあって、うまくいかない。
そういう話を人にしたときに求めているのは、
見せかけでも構わない、共感だった。
わたしならこうする、なんて考え方や言動の変え方を聞きたかったわけじゃなかった。
知らず知らずのうちに、わたしも周りの人にしてしまっていたのだなあ。
第一、わたしのネガティブは底が深くて他人にアドバイスされたところで簡単には直らなかった。
わたしが人に何かを話すときは求めているものを先に提示していくべきだった。
下手にでるのがデフォルトの生き方をしてきたから、そりゃみんなアドバイスしたがる。
そして反対に、相手が本当に求めているものは何なのか、見極めることが何よりも大事かもしれなかった。
共感なのか、アドバイスなのか。
そんな当たり前のコミュニケーション術を、この世に生を受けてから25年も経ってから今頃気づきました。
明日からちゃんと使っていきたい。
今日ものすごくショックな出来事が立て続けにいくつも起こって、
その1つ1つは独立しているのだけど、
ここ数日抱えていたモヤモヤと合体して、
特大モヤモヤに発達してわたしの心に上陸してしまった。
独立したバラバラな出来事を1つにまとめてネガティブを作り上げてしまうのはわたしの悪い癖なので、
整理してしばらくは自分を大事にしたい。
これまたいまさらなんだけどスマホのマリオにハマりすぎて生活が滞り始めているので、
律していかねばならない。
マリオは1日15分まで!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?