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無職日記 #12

夏も近づいているというのに乾燥で肌が硬くなっているのが気になって、
前に使ったことがあり使い心地が気に入っていたボディスクラブを再購入した。
早速今夜のお風呂で開封する。
甘ったるいチョコレートの香りはこれからの季節に全く合わないような気がするけど、
自分の身体からほのかに甘い香りがしてとても満たされた気持ちになった。

最近気付いたのだが、わたしはこういった「女性らしいこと」を話すとき、いつも少し抵抗感を覚える。
花柄のワンピースみたいなザ・女の子な服装が大好きだし、
バッグやハンカチなどの持ち物は薄いピンク色が多いし、
韓国でビーズリングが流行っていると聞けば100均に材料を買いに行って
ちまちまと作業をするのがとても楽しい。
そういう「女の子らしいこと」を全力で楽しむ自分がいる一方で、
「でもわたし、整理整頓とか苦手だし」
「今日もやろうと思ってたことほとんどできてないし」
と笑って否定する自分が現れるのだった。

以前、ある男性と食事に行ったときのこと、
好きな音楽の話になった。
「わたしは◯◯っていうバンドが好きで、ライブにもよく行くんです」
という話をしたら、
「ああ、あのバンド。女の子が好きそう。女子ファン多いよね」
と返され、なんとなく恥ずかしい気持ちになったのを覚えている。
その人は揶揄する意味で言ったつもりはないと思うのだけど、
自分のミーハーな部分を指摘されたような気になって少し嫌だった。
それは多分、
「女は、少しばかり顔が良くて話題性があればすぐに飛びつく」
という固定観念が自分にもあるからだった。

思えば、わたしは他人に笑われるのを恐れるあまり、
先に自虐することで自分を笑う癖があった。
他人の目を通した自分のイメージを守ろうとして、(それも結局自分の主観でしかないんだけど)作り上げた自分’ の存在。
自分‘ が暗躍する限り、とりあえず女性の間で嫌われることは少ない。
知らず知らずのうちに根付いた処世術によって、自己否定グセを繰り返したわたしは
気づけばアイデンティティと自己肯定感を失っていた。

“性別はグラデーション”と言われ、
“女性らしさ”、“男性らしさ”が否定されつつある時代になった。
社会が強要する“らしさ”によって多くの人が悩んだり苦しんだりしてきた事実があるから、
壁や障害がなくなるのはとても喜ばしいことだと思う。

それでも、わたしは、
「ちょっと高いヒールの靴を履いてしゃんとした姿勢で歩く自分」や
「いい香りの香水やボディクリームを使って満たされた気持ちになる自分」
の存在を否定しないでいたい。
「女の子らしくて可愛いね」はわたしにとってとても嬉しい褒め言葉だ。
そういう自分がいる一方で、
「ひとりで回転寿司やステーキ屋さんに行ってものすごい量を食べる自分」や
「整理整頓が苦手で怠惰な自分」
がいることも認めたい。
それは“女性らしくない自分”ではなくて“自分らしさ”の一部であるからだ。

いまは仕事をしていないので自分‘ は休暇中である。
そのおかげでわたしは今こうやって自分らしさを否定せずに済んでいる。
でも自分’ 、そんなに悪いやつでもなくて、
楽しいことが大好きだったり、相手の気持ちを汲み取って、欲しい言葉を選べたりする。
他人を慮って優しい人であろうと思えるのは自分‘ のいいところであると思う。
何も気にしすぎることなくたくさんの好き!を謳歌できる自分と、
周りをよく観察して人と関わることが楽しい自分’ 。
とっても難しいことなんだけどうまくバランスをとりたいし、
他人にもそういういろんな部分があるってことを覚えておきたい。
自分が誰かに笑われることよりずっと、
自分が誰かを傷つけているかもしれないということの方が怖い。

その誰かって、自分のことも含めて。

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