期待して生きる。

人間関係に関するいろんな文章を読むたびに必ず書いてあるのが、
“他人に期待しない”というひとこと。

自発的に行動したことに対して思ったような反応や行為を返されなかったときに、勝手に失望して落ち込んで場合によっては相手に当たって。
確かにそれってひとりよがりで自分勝手。
思えば、過去の恋愛で失敗してきたのってそもそもそういうことだった気がする。
自分から家事をやったり贈り物をしたり思いやりの押し付けをするくせに、
相手はなにもしてくれない!わたしはこんなにしているのに!って突然怒って嘆き悲しんで。
(文字に起こすと自分のダメさに直面する)

わたしははじめから、相手の見返りを期待して好意の押し付けを行うような、そんな自分勝手な人間だったんだろうか。
そうやって振り返ったら、なにかをしたときに喜んでくれたりお礼を言ってくれたり褒めてくれたり。
そういうことが嬉しかったような気がする。
でもそれって続けていくうちに当たり前になってわたしの存在も日常になって。
そもそも自らの存在価値を相手に求めてるわたしは、存在価値自体がなくなってしまうような、それが怖くて文句を言ってしまう。

他人に期待しないって、どうしたらいいんでしょう。
するなって言われてできたら苦労しない。根源的な考え方の問題だから、簡単には変えられない。
表面的には見返りなんて求めていませんよって顔をしていたところで、時間がたったらふつふつと不安が湧いて出てくるに違いない。
しかもそれ、無意識に起こした好意ある行動が、あとになって鍋の焦げ付きみたいに残ってこびりついてしまうからタチが悪い。

と思ったのも、先日、すごく引っかかった出来事があって、どうにもモヤモヤがおさまらず友達に電話で相談した際に、
「でもそれって、自分が相手に期待しちゃってるからイライラするんだよね。こういうことをしてほしい、言ってほしいって、自分で求めちゃってるからなんだよね」
と言われてなるほどねと。図星でした。

気が利く女性がモテる、なんて言われて久しいですが、むしろわたしは気が利かない人の方がモテると思っていて。
相手の気持ちに敏感な人は、その分自分の気持ちにも敏感で、自分がどう思っているかとか、相手がどう思うかとか、2周も3周も無駄に走って疲弊して、結局何にも考えていない相手にイライラしてしまって。
そんな風になってしまうくらいなら、初めから鈍感な方が、生きやすくて明るくて結果的にいろんな人に対して魅力的に映るんじゃないかと思うのです。

こんなわたしも全員が全員期待して生きているわけではなくて、たとえば塾の宿題を毎週必ずやってこない生徒に対して、決まりだから一応毎週宿題は出すのですが、
次の授業の初めにやっぱりやっていなくて。
そんなことにいちいち腹は立てていないわけです。だよねえ、そうだと思った。わかってたけど、聞いてみただけだよって。
これを全部の関係の全部の人にやった方がいいってことなんですかね。でもそれって、なんだか寂しくないですか。
毎日働くのだって、お給料っていう見返りがあるからじゃないんですか。

今まさに悩んでいる最中だから、結論はありません。

失望って、無音なんです。
音が聞こえなくなるんじゃなくて、音が消えるんです。
塾の帰りに真っ暗でだだっ広い駐車場を歩きながら、遠くで煌々と自動販売機が光っていて、なんだかひとりぼっちだなあと、思ってしまった夜でした。

#日記 #暗め #人間関係

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