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私の中の私 

こんにちは。
baker Bitteです。

意地を張り続ける強い意志など持っていません。
意気地無しです。

この私が最近、あまりにハッタリが強い人と話す機会がありました。
話しているうちに、私の中の私が見え隠れ…。

・・・・・・・

これがわたしの〝意地〟というものなのか?
一瞬、自分で自分を知ることが、ちょっと嬉しかった。
が、だいぶん怖かった。

いつも、自分ってどんな人〜?
知らなくても良いや〜!
だってみんな人それぞれに私のことを勝手に表現するじゃん!
てな、無責任な人間である。

生まれてこの方、こんな感じのだらしない人間である。
私。

・・・・・・・

こんな私が、今まで会ったことのないほどハッタリの強い人に遭遇した。

この人、何故にこんなに自分を誇大に表現するのだろう?
その誇大表現の根拠など誰も知らない。
誰も知らないから言いたい放題なのだろうか?
立派な大人が恥ずかしくないのだろうか? 

不思議でならなかった。

そして誰かを標的に、敵に回す癖があった。
その標的はいつも私だった。

人を小馬鹿にしては、ハッタリを噛ます。
意地になって言い続ける。

結果、私にとって精神的に疲弊するだけでなく時間の無駄になる。
何より、この人から学ぶものは無い。

そうだ。
近づかなければ良い。

近づかない。

こうして私の中の私。
私にも微小に存在する意地というものが主張するようになった。

・・・・・・・

大局的に見れば、実に些細なことかも知れない。

誰にどれほど馬鹿にされようが、若干気分が悪くはなれども、私は私であることに違いはなく、私の大勢に影響はない。

単に気分が悪くならぬよう、近づかなければ良いだけのことだ。

近づかない。

この自由があって良かった。

もし、この自由がなかったら、今頃の私は どうしていただろうか。
また違った、これまで見たことのない私の中の私が顔を覗かせただろうか。

この人と遭遇したことで見えた。
私の中の私。

・・・・・・・

今日は dorobouneco さんより、思いが叶わず、涙を流しながら忍耐する猫さんの画をお借りしました。
世の中「念ずれば通ず」ばかりではありません。
私もこんな状態の時があります。
こんなに可愛い表情ではないけれど…。
ありがとうございました。


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