(今のところ)Chat GPTには出来なさそうな応答のかたち
医師としては患者さんや後輩医師、あるいは他の健康専門職の方から、生活者としては友人たちからしばしば質問を受けることがあります。それらの質問には、それぞれなんというか「臭い」のようなものがあって、ほとんど無臭の質問から、とてもかぐわしい匂いのする質問まであると思います。臭いをほとんど感じない質問とは、例えば、後輩医師から「Bさん、急性腰痛患者を診察するときのレッドフラッグサインてなんでしたっけ?」というような質問を受けた場合、そこに私はほぼにおいを感じません。何故なら、この質問を質問者が私に対してしている目的は私にとって明らかだからです。さらには、私の返答を「適切な行動のための有益な一般的情報」として入手しようとしているという意図もよくわかるからです。
一方、例えば「Bさん、ちょっと教えてほしいんですけど、人にウソをついても許されるような条件みたいなものがあるとしたら、どんなものですか?」みたいな質問を同僚の看護師から受けた場合、この質問には相当香しさが漂っています。そして、このような質問を受けた時、私は直接「それはね、こうこうこういう倫理規範に基づいてこういうような場合においてウソは許容されるかもね」みたいにダイレクトなアンサーをすることをしないようにしています。その代わりに「あー、その君の質問からは君がある具体的ないきさつを抱えていて、それに対して困っている匂いがすごいするんだけど、差し支えなければ君に今何が起きていて、そしてどんなことで困ってるのか教えてほしいです」と答えます。
この質問がとても香しいのは、この質問が「一般的なことを教養として知りたい」という欲求から生まれたとはほぼ思えないからです。この質問は明らかに、知識を得ることを目的としたものというよりは、何らかの具体的な問題に質問者が対処するための助言を得ることを目的としています。さらには、答える側としては、おそらくこの一般的なアジェンダとして加工された質問に答えたとしても、質問者の期待に応召するのが難しいと私は理解します。具体的なトラブルなどのイベントは、様々な背景とともに存在しています。そして、一般的なアジェンダに翻訳されてもある程度背景が読める質問(例えば、「Bさんがおすすめの恵比寿当たりのフレンチレストランを教えて」など)と、そうではない質問があります。この質問は、まさに「そうではない」側の質問です。この「読めない隠れた背景」というのは実にかぐわしいのです。
そして、実はこの看護師が私に対して期待している応召は、実は質問への正確な答えではなく、具体的な体験の中で起きている困りごとを何とか乗り切るための助言なのです。「なにがあったのか → あー、こういうことが起こってるのね?」「それで何に困っているの? → それは困るわな」「で、どうしようとしてたの → いや、それは悪手だな」という3ステップのやり取りを、「ウソが許される要件は○○だよ」という返答の代わりに私はしたいと思っています。
その理由の一つは、そっちの方が質問者が持つ期待への応召として「はずしていない」と私が考えているからです(ひょっとしたらこの考え自体が「はずしている」かもしれませんが)。そしてもう一つは、固有名詞の関係にある友人や同僚が持つ「いきさつ」に触れたいという欲求、そして、いきさつの中でかかわりたいという欲求を私が持つからなのだと思います。広く言うなら、それは「愛」の一部なのかもしれません。
Chat GPTでいろいろOpen AIとやり取りをしていて感じたのはそこでした。当たり前なのかもしれませんが、AIコミュニケーション端末は私が持つ「いきさつ」に踏み込もうとする片りんはみじんもありません。それは相手からのいらぬ「おせっかい」が発生しない心理的安全性を確保してくれますが、同時に「つまらんな」という感覚も持ってしまいます。
機能として、近い将来Chat GPTが、私が投げかけた一般的質問に対して「何があったの?」「何にどう困っているの?」と返してくれるようになるかもしれません。ただ、おそらく私はここで「掘られる」ことをあまり心地よいものとは感じないかもしれません。このあたりが、コミュニケーションにおける分水嶺なのかなと感じています。