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「魔法」へのあこがれは、いつしか「創業」という物語へ — ビットキー・寳槻昌則のストーリー(第1回)
ビットキー共同創業者であり、代表取締役社長 CEOの寳槻昌則(ほうつき・まさのり)。この記事では寳槻へのインタビューを通じて、ビットキーが実現したいこれからの未来についてお伝えします。
今回のテーマは、寳槻自身の生い立ち。起業家としての源流は「強烈なオヤジ」のもとで育ったユニークな少年期の体験にありました。
寳槻 昌則(ほうつき・まさのり)
株式会社ビットキー 代表取締役社長 CEO。1985年生まれ。起業家の父と芸術家の母の間に三男として生まれる。中学卒業後すぐに大検の資格を取り、高校へ通わず独学で京都大学へ。在学中は教育ベンチャーの起業や映画助監督を経験。2011年にIT企業のワークスアプリケーションズへ入社。2年目でアメリカ事業立ち上げ責任者に選ばれ、単身で渡米。ニューヨークとロサンゼルスを拠点にしたビジネス展開を経験する。帰国後の2018年にビットキーを共同創業した。
家中に仕掛けられた「興味の種まき」。
中卒から京大へ。ダジャレ企画の「京大3兄弟」
——まずは子ども時代について聞きます。寳槻さんは中学卒業後、高校へは通わず独学で京都大学(京大)へ進んでいるんですね。
寳槻:はい。私は3兄弟の末っ子として生まれました。私だけではなく2人の兄も、高校には通わず独学で京大へ入っています。なぜ京大かというと、父のダジャレ企画なんです。「中卒で京大3兄弟」って面白いだろ、と。
私の父は相当変わった変人です。「強烈なオヤジ」とググってもらえば色々情報が出てくるほどでして、激情型の強烈な性格であり知の巨人。詰将棋を教えれば、キャンプにも連れていく。彼を通じて、私は様々なことに興味関心を持ちました。発明やサイエンスもそのひとつ。私の起業家としての背骨は、そんな生い立ちでつくられました。
——お父さんの中には京大への強いこだわりがあったんですか?
「京大3兄弟」の語呂がいいから、としか聞いていません(笑)。が、学歴志向というわけではなく、むしろ詰め込み式の受験勉強には超批判的立場で、正反対の哲学を父は持っていました。
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「学力なんかよりも子どもたちが好きなことを見つけるのが大切なんだ」という考えです。つまり、”能力” を高めるのではなく、"興味" を伸ばすことを大事にする。そのため寳槻家では「興味の種まき」がたくさん仕掛けられていました。
——興味の種まきとは?
子どもが広く深く興味を持つように、いろんなことをやるんです。家庭内には変な仕掛けがいくつもあったんですけど、例えばお小遣いルール。実家の本棚には膨大な本がありました。でも子どもはなかなか本に興味を持ちませんよね。そこで寳槻家では「1ページ1円」の歩合制で小遣いを支給するルールができた。「金で釣る」作戦!
本だけでなく漫画でもOKで、1ページ読めば1円もらえるというシステムで、月々いくらの定額制ではないんです。読んだ後には中身についてプレゼンすることが義務づけられていたので、ズルはできません。そのうちに私は本や漫画が大好きになり、その小遣いルールがなくても自発的に読むようになりました。
映画やテレビも数え切れないくらい見ましたね。当時はVHSテープの時代。家には大きな業務用のラックがあって、10台ほどのビデオデッキが忙しく動いている。父は新聞のテレビ欄を毎日チェックしては、常に何かしらの番組を録画予約していました。
次第に私自身も録画マニアに。NHKスペシャル、BS世界のドキュメンタリー、その時歴史は動いた、ガイアの夜明け、美の壺、プロジェクトX、情熱大陸…。YouTubeはない時代ながら、観るコンテンツは山ほどありました。
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人類を前進させる「クレイジー」が好き。
だから、「変わってるね」は褒め言葉
——家庭内ではどんな会話が繰り広げられていたんでしょうか。
寳槻:父と子の会話は、道場の師弟関係とか大学の研究室の雰囲気でした。
私が小学4年生の頃のエピソードですけど、父と私で録画した歴史番組を見ていました。幕末がテーマの回でしたが、番組が盛り上がっているのに父は途中で再生を止める。「おい。いまから俺が解説するぞ」と。いいところなのに!(笑)。でもその内容がめちゃくちゃ面白いんですよね。「吉田松陰の生き様はなぁ……!」と涙をボロボロ流しながら本気で語る。テレビ番組でなく、映画を観てるときでもそれをやります。子どもからすると相当ウザいんですけど、痺れるほど面白い。
こんなことは日常茶飯事で、父は相手が小学生だろうと構わず、大人に話しているように熱く語りかけてきました。銭湯のサウナで、「おい。近代国家になるための条件3つは何だと思う?」なんて聞いてきます。「それはな、軍隊、工場、そして学校だ。なんでかわかるか?」といった具合です。そしてまた延々と解説します(笑)。相手が子どもであっても決して容赦しません。
——高校や大学の政治経済や世界史で学ぶような内容ですね……。
子どもを、子ども扱いせず、知の海へ放り込んでくれていたんですよね。小4の私が内容をすべて理解できていたかは別として、知的好奇心が非常に強い子どもになったのは間違いありません。
かといって、家にずっとこもっていたわけでもないんです。小学生らしくクワガタを捕まえたり、川で魚を追いかけて潜ったり、駄菓子屋さんでアイスを買ったりしながら、いろいろな物事への関心を育んでいきました。
——とはいえ、独特な教育方針のもとで、周囲と自分とを比べて将来が不安になることはありませんでしたか?
たしかに変わったパーソナリティを得ましたが、人と比べることはしませんでした。なので、不安には全然ならない。むしろ、友達から「変わってるね」と言われることに喜びすら感じるような、オタク気質の少年でした。
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人類の歴史を前進させてきたのは、他の人が持っていないオリジナリティ、クリエイティビティを発揮した過去の偉人たちです。偉人たちはクレイジーと言えるほどの独自性を持っていました。天才と狂気は紙一重なんです。テレビに出てくるプロフェッショナルな職人や映画の主人公たちもそうです。
私の描くロールモデルはいつのまにか、世界をより良い方向へ塗り替えてきた「クレイジーな独自性を持つ人たち」になっていたんです。
映画とテクノロジー。 「魔法」に、あこがれて。
——京大入学後はどんなことに取り組んでいましたか?
寳槻:人を驚かせるようなこと、革新的なことにワクワクするのは、当時も今も全く変わっていません。人類を前進させる「クレイジー」が生み出すアイデアは、魔法のようなものです。それが一度世の中に現れると、人やシステムに大きな影響を与えて、それ以前とは違ったベターな世界が生まれる。こういった魔法を自分も生み出したい、という野心が生まれました。
そんなことを考えているうちに、私の中に2つの興味の柱が生まれます。
「映画」と「テクノロジー」です。
数ある興味の中でも「映画」は特別な存在でした。私はいまでも映画をいつか撮りたいと思っていますが、当時は映画監督になるという想いが最も強かった。学内サークルではなく、プロの映画制作現場へ潜り込みました。掴んだのは、映画助監督という仕事です。
助監督は「演出部」という、映画監督の直属チームの一員です。その仕事内容は例えば、台本には書かれていない細部の全てを決めていく(監督に提案する)役割。衣装や美術、小道具などをより具体的に割り振るだけでなく、それらがどんな意味合いで、どのような登場方法で作品内に存在すべきかを考え抜く。さらには現場力も必要で、各部門との調整を行っていき、実際の映画撮影を進めていきます。
こう言うと立派に聞こえますが、まあ現場での立場はカースト最下層の若手の兵隊です。眠い目をこすり、撮影現場で怖い大人たちに怒鳴られ蹴られながら、カチンコを叩く。とても厳しくハードな日々でしたが、大好きな映画制作に携われることは学びが多く、大きな喜びでした。
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——なぜそこまで映画に心を惹かれたのでしょうか。
私にとって映画は「魔法」なんですよ。
自分という人間が生きられるのは1回きりの人生ですが、映画を観ることでたくさんの人生を追体験できます。2時間の上映時間で火星へ旅したり、500年前の戦国時代で生死をかけて戦う。ニューヨークやローマで恋愛もできる。さまざまな登場人物の気持ちになって現実とは異なる世界へ入り込めるのは、映画ならではの魅力だと感じています。
しかもその世界は、「フィクション」で、つまりぜんぶ嘘なんです。映画制作に携わってみるとよく分かります。シーンや各カットを、ストーリーの順番通りに撮ることはありません。一つのカットの前後は全く違う日で撮られていることが普通です。すべてが演技で、セットもハリボテで、道具も偽物です。もう一度いいますけど、ぜーんぶ嘘なんです。映画制作者は、完全なる虚構をつくっているわけです。でも、それを観ている人間が感情移入して深く入り込んでいくと、虚構から感情が沸き起こる。教訓を得られる。この体験に関しては「本物」なんです。嘘を使って、真実を語る。
これって魔法のようなものだと思いませんか?
私はこの魔法を使えるようになりたいと真剣に考え、映画の世界にのめり込んでいきました。
——もう一つの興味の柱である「テクノロジー」については?
ハリー・ポッターの世界で描かれているそれとは違うものの、テクノロジーもまた、私にとっては魔法でした。
もともと小学生の頃から、科学雑誌『Newton(ニュートン)』を愛読していました。「20XX年の世界はこうなる!」といったテーマで、様々なジャンルの未来予測の特集があったのですが、これが大好きで。ワクワクしながら友達に見せていたんです。
少年時代に見たその未来予測が、いまやリアルタイムにどんどん実現しています。考えてみてください。今ではスマホ一つあれば地球の裏側にいる人とビデオ通話で話せるし、アプリを使ってご飯が届く。カプセル1つ飲めば、昔は不治の病とされていたものが、すっかり治る。100年前の人類にしてみればSFの世界であり、魔法使いたちの住む国ですよね。
多くの場合、この「魔法」を実現する現代の主役は、「テクノロジー」です。現代の魔法使いになるなら、テクノロジーを自らの武器として身に付けるべきだと思いました。そこで私は、ITの世界に飛び込む。起業を経験し、その後にワークスアプリケーションズというIT企業へ入社したんです。
入社後、とても運が良くて、アメリカ事業立ち上げを任されることになりました。その経験がもとになって、ビットキーの事業構想を思いつきます。
ですから、「起業家になるために準備してきた」というわけではないんです。
最初はただ「魔法」へ憧れていた。自分の興味の追求をしているうちに、いつしか「創業」という物語へつながりました。
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いかがでしたか。寳槻昌則のストーリー第1回目は、寳槻自身の生い立ちをご紹介しました。次回は、アメリカ会社員時代のエピソードから「ビットキーの事業構想の原点」を語ってもらいます。
ビットキーでは、各職種で積極的に採用活動をおこなっています。
ご興味をお持ちの方は、お気軽にカジュアル面談にご応募ください。
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