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スモモになりたい
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今週の一枚は「スモモ」
スモモの名前の由来は果実がモモに似てることと、酸味が強く酸っぱい味だから、スモモとなったようだ。
花言葉は「忠実」「貞節」「独立」「疑惑」「甘い生活」「誤解」「困難」
他には、
「投桃報李(とうとうほうり)」
という四文字熟語があるが、これは桃が贈られて来たら、そのお礼にスモモを贈り返すということらしい。
意味は自分が善を施せば、相手も善で報いるということ。まぁ良いことすれば、相手も良いことで返してくれるということだな。よくよく考えると、桃よりスモモの方が良い果物ということなのかな?
他には中国の有名な故事で、
「李下に冠を正さず」
というのもある。これは、李(スモモ)の木の下で手を上げれば、スモモを盗もうとしていると周りに疑われる。 だから、例え、冠(かんむり)が曲がってたとしても手を上げて直すべきではない。疑われそうな事を無闇にするべきではないという戒めだ。
スモモの花言葉を調べてたら、また新しい知識を手に入れてしまったようだ。
しかし、改めて写真に撮ってるのを見てみたら、鮮やかな赤だ。スモモを美しいと感じる。今まで植物になど一切の視線を向けなかった男が、花だけじゃなく果実に対しても美しいと感じるようになるとは、なんたる心境の変化だ。
「投桃報李」の四文字熟語のように、人に良い事をすれば相手からも必ず良い事が返ってくるなら、本当に日本は良い世の中だとは思うが、しかし、それが返って来ないのが現代の日本社会なのだ。
今の俺も中学生の頃のように人の好意を素直には信じられなくなってる。悲しい事だが他人の好意の裏に何か策略があるんじゃないか?俺を騙して陰で「コイツはとんだハッピーボーイだな!ワハハ!」と皆で笑い者にするんじゃないかと、ビクビクしてしまうようになってる。
しかし、そんな事を書きながら、最近はロマンス詐欺にも引っかかりそうになったし、ジョージの頭の中は今だに小田原フラワーガーデンのようなお花いっぱいのお花畑なのは間違いない。
ここで考える。
疑い深く人に簡単に心を許さないかわりに人に騙されにくい人間か、それとも、人を簡単に信じて人に善行を行うが人に騙される可能性が高くなる人間か、俺はどっちの人間を目指せばいいんだろう?
もう二度と金銭的なことで親に迷惑はかけれないから、人をすぐに信用して、その人を助けるために簡単にお金を出そうとするのはいけないことなのは分かってる。
しかし、自分に力があり、目の前に心を痛めて経済的に弱ってる自分好みの女性がいたら、俺は見捨てることが出来るのだろうか?
否!それは出来ない!
長年モラハラにあった過去、ロマンス詐欺でノートン先生がビンビンに反応してるウイルス満載の怪しいサイトに登録させられそうになった過去を素早く軽快に忘れて、俺はこの女性を全身全霊で助けようとするだろう。
「どうしたんだい?彼氏に浮気されて傷付いたのかい?えっ?!さらに勝手に自分名義の借金まで作られて彼氏とは音信不通だって?しかし、男なんてしょせんは渡り鳥。季節ごとに新しい場所を目指して飛び立ってしまう。しかし、僕は違うよ。俺はブナの木の根っこのような不動な男。君を助けるまで動かない。いや、助けたって君が僕を求めるなら、ここから動かないよ。ドント・ウォーリー!」
と、俺はこんな熱いセリフを放って女性を助けようとするだろう。
しかしだ!
俺がスモモになり切れないのは、相手が男性だと対応が変わる可能性が高いからだ。
これが温水洋一さんのような見るからに困ってる男性でも俺は全身全霊で助けるのか?
否!助けない!
だから、俺はスモモにはなれないんだ!
相手が誰でも善行を行うのが「投桃報李」の精神ではないのか?
俺は女性に対してだけ、スモモになって温水洋一さんに対しては対応がドリアンになってしまう可能性が大だ。
スモモの赤い美しさに心惹かれて、人様に喜ばれるスモモのような人間になろうとしたけど、俺はまだまだ人に喜ばれる贈り物にはなれない人格だ。
あぁ……人に喜ばれるスモモになりたい…
こんな事を思った今週の一枚