痛くて恋しい
世界のニュースを見てると、自分がどこかに置き去りにされてるような感覚のズレを感じる。
こんなにも世界のあちこちで争いが起こってるのに、それを目にしながらも、自分たちの平和だけは大丈夫だと呑気に過ごす日常と世界の厳しい日常とのズレを感じる。
どこかの国では生まれたばかりの双子の子供の出生証明の書類を取りに父親がアパートを出てる間にアパートが空爆されて、妻と生まれたばかりの双子が亡くなってしまったというニュースを見た。
男性が泣いてる映像は今までも見たことがあったが、あまりのショックで周りの人に支えられないと立てなくなってる父親の映像を見てしまった。
この世に、こんな残酷な事ってあるのか?
映画か何かの作り物の映像ではないのか?
ちゃんとしたニュースの映像なのに、そんな風にさえ思ってしまうほどに俺は平和ボケの湯船の中に毎日ドップリと浸かってる状態だ。
さらに、こんな風に表面上は世界の争いを憂いながらも平日の俺はお金儲けの為に株式投資をしている。
その投資の世界とは、事件、事故、戦争が起こると、その先にいる人々の命などはまったく目に入らないかのごとく、値動きする銘柄めがけてアリのように群がる人間が多数いる世界だ。
株の空売りや為替のショートは値が下がれば利益が出るから、自分の利益のために人の不幸すら願う人間もいる世界。
本当に血も涙もない世界。
人の不幸さえお金に換えようとする残酷な世界。
でも、これが資本主義社会の現実。
投資の世界で生きていくには残酷にならざるを得ないのを痛感する毎日だ。
もちろん、いくら投資の世界に居ようとも、紛争地域の人達の心配をまったくしない人間ばかりではないが、しかし、ひとたび、紛争が起こると投資をしてる人間がまず真っ先に心配するのは自分の資産の増減だと思う。それが投資家という生き方だ。
だが、しかし「お金の為に人間らしい心は無くしたくはない!」と、心に強く思ってる夕焼けやんちゃ坊主の俺は左のポッケには人生の裏山で見つけた優しさ印の松ぼっくり、そして右のポッケには愛情ドングリが今でも大事にしまってあるはずだ。
と、ここで何を言っても言い訳にしかならないのも分ってる。だって、この世の中には投資の世界で生きなくても、他にいくらでも別の生き方があるのだから。
現在の俺は、この山奥の大自然に囲まれ、衣食住、何も不安の無い生活だ。さらに、田んぼと畑、山もあるから、いざとなったら自給自足で生きていける環境でもある。なのに、この恵まれた環境の上でさらにお金まで貪欲に儲けようと投資の世界に自ら足を踏み込んでる現状。まさに強欲。強欲オバケなり。
そうは言っても、俺だけが投資の世界で金儲けしようとしてるわけじゃなく、世界の富豪の資産のほとんどが投資によって得た資産なので、世界の経済は投資の世界中心に動いていると言っていい。
ここでジョージは考える。
世界の大富豪たちは使い切れないほどのお金を掴み、そして、そこから本当の幸せに辿り着いたのだろうか?
そして何不自由なくお金が使える大富豪たちは、この先、一体、何を目標に生きていくのだろうか?
投資の世界ではアリにもなれてないミスターミジンの俺が大富豪のその先の幸せを今の段階で語ったって何も説得力はないとは思うが、大富豪たちのお金の使い道を調べてみると、世界の富豪がどこに幸せを求めているのかが、おぼろげに見えてくる。
例えば2022年の9月にアウトドア用品大手パタゴニアの創業者イボン・シュイナード氏が本人と家族が保有する同社の発行済み株式の全て30億ドル(1ドル147円で計算すると4410億円)を環境NPOに寄付したり、著名な投資家のウォーレン・バフェット氏も個人資産の99%を占める持ち株全てを寄付すると表明している。
さらにアマゾン・ドット・コムの創業者であるジェフ・ベゾス氏は100億ドル(当時のレートで約1兆400億円)を寄付し、マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏は元夫人と8兆円に近い寄付をしている。
もちろん、相続税に対する税金対策もあるだろうが、欲しい物が全て買える次元まで上り詰めた人たちの行き着く先に慈善事業があるのが、なんとも興味深い。
物欲の先に行き着いてる万能感を感じる。
全ての高価な物が買える人たちが行き着く先に、人に喜んでもらう事、人を幸せにする事、本物のお金持ちが人の幸せの為にお金を使うという境地に行き着いてるのを知り、なんだかホッとする自分がいる。
まだまだ、この世界は捨てたモノではないと思えるからだ。
しかし、その反面、やはり大富豪ともなると周りの人もなかなか本心を言ってくれなくなるのではないだろうか?
ゴマすり、おべんちゃら、媚びへつらいながら、なんとか大富豪から多額のお金を得ようとする人間ばかりが周りに集まって来て、自分が何か間違った事をしてても注意してくれる人も怒ってくれる人もいなくなってしまう世界かも知れない。
使い切れないほどのお金を得ると、物欲は満たせても、本当に自分の事を思ってくれてる人の心が見えなくなってしまう可能性がある。
俺がもし、大富豪ジョージ・セバスチャンとなったとして、闇金王国のマーガレット女王とのダンスパーティーに出席しようとしてる時に左の鼻から鼻毛がコンニチハ!してても周りの執事たちは誰も注意してくれなくなるのか?
俺がセレブ仕様の明星一平ちゃんを食べて、歯に青のり付けてコストコに行こうとしてても、周りのボディガードたちは誰も注意してくれないってことか?
なんて、悲しいんだ。大富豪ジョージ・セバスチャン………
いや、よくよく考えてみると、大富豪じゃない今でも、誰も俺を注意もしないし怒ってもくれない。
今の俺は決して犯罪などに手を染めてはいないが、自堕落な生活をしてても誰にも注意もされず怒られない毎日だ。
そんな俺でも、学生時代は父親に毎日のように怒られていた。
俺が部活を辞め、人付き合いからも逃げてたからだ。
その父親も、今ではまったく俺を怒らない。
人を怒るにはパワーがいる。
そのパワーの源は相手を思う心があるからだ。
心配だからだ。
愛情があるからだ。
でも今は、俺の事を父親は注意もせず怒りもしない。
でもそれは、俺に対しての愛情が無くなったわけではないと思う。
もう俺が大人になりすぎて、注意をしてくれて心配で怒ってくれる大事な人間関係を自分自身で作れって事なんだろうな。
しかし、今の俺は、この世界に俺しか存在していないかのような日常生活しか作れてない。
人間として、一番辛いのは無視される事だ。
無関心は残酷だ。
誰の目にも映ってない日常は虚しさばかりが募る。
俺がもし大金持ちになったら、誰かの心に残るような人助けをしたいな。
この世界から俺がいなくなった後でも、人の心の中に俺の思い出が残るように人に喜ばれるような生き方をしよう。
今の俺の毎日は誰にも怒られず、自分の心に怒られた痛みさえ残らない日々。
もちろん、痛みばかりの毎日は嫌だ。
でも、今でも、
胸の痛みが時々恋しくなる。